RACING_PROJECT_BANDOH
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株式会社レーシングプロジェクトバンドウ
RACING PROJECT BANDOH
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
195-0064
東京都町田市小野路町1059
設立1990年12月7日
業種サービス業
法人番号7012301002725
事業内容レーシングチーム運営 ほか
代表者代表取締役社長 坂東正敬
資本金1,000万円
従業員数15名
関係する人物坂東正明
外部リンク ⇒http://www.bandohracing.com/
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RACING PROJECT BANDOHWedsSport ADVAN GR Supra(2020年)
国籍 日本
本拠地静岡県小山町
創設者坂東正明
チーム代表坂東正敬
活動期間1990年 - 現在
カテゴリJGTCSUPER GT
チームズ
タイトルSUPER GT(GT300) 1(2009
ドライバーズ
タイトルSUPER GT(GT300) 1(2009)
公式サイト ⇒RACING PROJECT BANDOH
備考YouTube
チャンネル

RACING PEOJECT BANDOH

活動期間2016年4月8日[1] -
ジャンルモータースポーツ
登録者数1,88万人
総再生回数2,817,442回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-05-24-00002023年5月24日時点。
2024年のSUPER GT (GT500)
エントリー名TGR TEAM WedsSport BANDOH
レーサー 国本雄資
阪口晴南
マシン19. WedsSport ADVAN GR Supra
タイヤ横浜ゴム
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株式会社レーシングプロジェクトバンドウ(: RACING PROJECT BANDOH)は、日本のレーシングチームである。運営母体は、自動車用パーツ販売会社の有限会社坂東商会。代表及び監督は坂東正敬創業者坂東正明。創業者の強烈な個性から「爆走坂東組」の異名をもつ。
概要

1983年、坂東正明が坂東商会を設立し、1990年にレーシングプロジェクトバンドウを立ち上げた。「プライベートでワークスチームの前を走りたい[2]」というテーマのもと、ツーリングカーレース(いわゆるハコレース)の入門カテゴリーからトップカテゴリーまで精力的な活動を続けている。

これまで監督を務めてきた坂東は、2007年よりSUPER GTを運営するGTアソシエイション(GTA)内の「GTA委員会」委員長に就任したほか、2008年には株式会社化されたGTAの初代社長に就任したため、運営面に集中する必要性から監督の座は退くことになった。ただしチーム代表として、引き続きチームを見守ることとなっている。新たに監督としてチームを率いるのは息子の坂東正敬で、前年から既に監督代行を務めてきていたが、その翌年から正式に監督の座に就くこととなった。
全日本GT選手権・SUPER GTでの活躍

全日本GT選手権(現:SUPER GT)には1997年より、日産・シルビアでGT300クラスに参戦を開始。開幕戦(鈴鹿)で優勝を遂げた後、5戦連続表彰台を獲得(最終戦SUGOでも優勝)し、1点差でシリーズチャンピオン(織戸学福山英朗組)になる。

1998年は、3戦欠場の後 第4戦から全日本ツーリングカー選手権(JTCC)で使用していたトヨタ・EXiVの主要コンポーネントを移植して作られたトヨタ・セリカで参戦。2.0L NAエンジンはリストリクターの装着を免除されていたものの動力性能はさほど高く無かったが、JTCC EXiV譲りの運動性能を武器に第5戦以降3戦連続表彰台を獲得し、シリーズ2位となった。同様の体制で参戦した1999年は、開幕戦(鈴鹿)で優勝を飾るも3点差で惜しくもシリーズ3位。2000年は、第3戦(菅生)で優勝するもシリーズ5位。

2001年は、開幕戦を欠場した後 前年より他チームが使用していたトヨタ・MR-Sに車種を変更したが、極端に短いホイルベースの車体と2.0L ターボエンジンとがどちらもピーキーな特性を持ち、出入りの多いシーズンをおくることとなり、第5戦(もてぎ)で優勝するもシリーズ9位と低迷した。翌2002年は一度も表彰台を得ることが出来ず、シリーズ10位に終わった。

2003年は、第2戦を欠場した後再びトヨタ・セリカを使用することとなった(開幕戦は前年のMR-S)。この車両は、前年までGT500クラスに参戦していたトヨタ・スープラの主要コンポーネントを移植して作られたため、市販車とは異なり後輪駆動である。第5戦(富士)と最終戦(鈴鹿)とで優勝し、シリーズ4位へと順位を上げた。しかし、登場後は改良が進まず、2004年は第2戦(菅生)で優勝するもシリーズ5位、2005年はシリーズ7位、2006年はシリーズ10位と、年々下位に沈むこととなった。さらに、元々使用されている主要部品(競技エンジン用シリンダーブロック/ヘッド、ギアボックス 等)は新たに制作されたものでは無く、他チームが順次参加を止めること(参加当初は3台、最終的には1台)でパーツの確保をしてきたが、ウォーターインジェクション廃止によるパワーダウンや車両の老朽化等戦闘力の低下は否めず、2007年第3戦(富士)ではエキゾーストマニホールドの破損から火災が発生し、何とか事なきを得たが、対応が遅ければ全焼していたかもしれない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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