R・リー・アーメイ
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R・リー・アーメイ
Ronald Lee Ermey
名誉昇進後の2007年1月、キャンプ・ハンセンの海兵隊第7通信大隊にて
渾名"The Gunny"
生誕 (1944-03-24) 1944年3月24日
アメリカ合衆国カンザス州エンポリア
死没2018年4月15日(2018-04-15)(74歳)
所属組織 アメリカ海兵隊
軍歴1961 - 1972
最終階級 一等軍曹
除隊後俳優
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ロナルド・リー・アーメイ(Ronald Lee Ermey, 1944年3月24日 - 2018年4月15日[1])は、アメリカ海兵隊軍人俳優。ニックネームは「ガニー(Gunny)」(Gunnery Sergeant:一等軍曹の略称[注釈 1])海兵隊時代には教練指導官も務めた。身長は180 cm[2]

軍を退役後に映画『フルメタル・ジャケット』でのハートマン軍曹に代表されるような極めて居丈高な軍人・父親役を演じた。ヒストリーチャンネルの番組Mail Call や、Lock N' Load[注釈 2]の司会を務めた。また、オーストリア銃器メーカーであるグロック社のオフィシャル・スポークスマンでもあった。

2002年5月海兵隊総司令官ジェームズ・ローガン・ジョーンズ(英語版)大将によって、一等軍曹(E-7)へと名誉昇進(honorary promotion)した[3]。米海兵隊の歴史上、退役者が昇進したのは彼が初めてである。これによって名実ともにニックネームどおりの「ガニー軍曹」となった[注釈 3]
経歴

R・リー・アーメイ
R. Lee Ermey
専門番組取材で強襲揚陸艦ベロー・ウッドを訪問(2005年)
本名R. Lee Ermey
生年月日 (1944-03-24) 1944年3月24日
没年月日 (2018-04-15) 2018年4月15日(74歳没)
出生地アメリカ合衆国カンザス州エンポリア
身長180 cm
活動期間1978年 - 2018年
配偶者ニーラ・アーメイ(1975年 - 2018年
主な作品


フルメタル・ジャケット

ミシシッピー・バーニング

セブン

デッドマン・ウォーキング

トイ・ストーリー』シリーズ

テキサス・チェーンソー』シリーズ

 受賞
ボストン映画批評家協会賞
助演男優賞
1987年フルメタル・ジャケット

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カンザス州エンポリア生まれ。毎朝の通学中に祖父の散弾銃狩猟をしていたという。正式のファーストネームは父と同じRonaldで、そこからRonnieという愛称で呼ばれていたが、アーチー・コミックに登場する女子キャラクターと同じ愛称であることを嫌がり、イニシャルのRのみを名乗るようになった。14歳の時にワシントン州に転居。10代の頃は札付きの不良で、1961年の2度目の少年審判で、軍に入隊するか刑務所で服役するかのいずれかの処分を選択させられ、17歳で海兵隊に入隊する。当初希望したのは父親と同じ海軍で、それまで海兵隊については聞いたこともなかったが、海兵隊のポスターを見て制服が格好いいと思い海兵隊を選んだ[4]。後に、彼は「(海兵隊が)俺の型破りな生き方に急ブレーキをかけた」("put a screeching halt to my unconventional manner")と述懐している。

後年に過酷な新兵訓練の場面を演じたアーメイだが、軍人上がりの父親による軍隊式の躾の方が現実の軍隊での訓練より厳しかったため、訓練課程は苦にならなかったという[4]1965年から1967年までの2年間、カリフォルニア州サンディエゴの海兵隊サンディエゴ新兵訓練所 (MCRD San Diego) で、DI(ドリル・インストラクター、教練指導官)として勤務。

1968年、第17海兵航空支援群に配属されベトナム戦争に従軍。普天間飛行場でも2度ほど勤務する。この間何度も負傷し、1972年に二等軍曹(Staff Sergeant)で名誉除隊。しかし、負傷は戦闘によるものではないという事でパープルハート章は授与されなかった。

退役後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)とみられる戦闘経験の悪夢と闘っていた。かつて赴任した沖縄に4年ほど滞在し、いくつかのパブを経営するが、売却してフィリピンに移住する[4]

彼の映画デビューは除隊後、GI法による復員軍人奨学金を得てフィリピンのマニラ大学(英語版)で犯罪学と演劇を学んでいたときである。彼は映画『地獄の黙示録』にヘリコプターパイロット役として出演し、またフランシス・コッポラ監督のテクニカルアドバイザーとして参加した。そしていくつかの映画で脇役を務めた後の1987年スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』で教練指導官のハートマン軍曹役で出演。当初、彼はテクニカルアドバイザーとして参加していたが、演技指導で彼の罵詈雑言の迫力を見たキューブリック監督により、ハートマン軍曹役そのものが与えられた。軍曹の台詞の一部は彼が手がけ、また一部の演技は彼のアドリブである。キューブリック監督は彼を「これまで仕事をしてきた中で最高の俳優の一人で、1シーン撮るのにたった2、3回のテイクで十分[注釈 4]だった」と評している。この映画出演がきっかけになり、キューブリック監督とは友人となった。キューブリック監督は死の直前に彼との会話で自身の遺作『アイズ ワイド シャット』を駄作と告白していたと彼は語っている[5]。フルメタル・ジャケットにおける彼の演技は批評家たちの激賞を受け、ゴールデングローブ賞の最優秀助演男優賞にノミネートされた。

その後も、約60本の映画に出演し、またアニメやゲームソフトの声優、テレビ番組の司会などとして活躍していた。

2018年4月15日、肺炎による合併症のため74歳で死去[6][7]。葬儀の際、棺は海兵隊員によって運ばれ、アーリントン国立墓地に埋葬された[8]
主な出演作品AC-130に搭乗したR・リー・アーメイ(2006年)
映画

公開年邦題
原題役名備考
1978ヤング・ソルジャー 米海兵隊員/青春の記録
The Boys in Company Cロイス
1979
地獄の黙示録
Apocalypse Nowヘリコプターの操縦手クレジット無し
1984パープル・ハーツ/愛の勲章
Purple HeartsGunny
1987フルメタル・ジャケット
Full Metal Jacketハートマン軍曹
1988ミシシッピー・バーニング


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