R&B
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1960年代のアメリカでは公民権運動による黒人たちの地位向上と共に、彼らのアイデンティティを高揚し、アフリカンアメリカンとしてのルーツを誇示する傾向があらわれた。ソウル/R&Bは彼らの音楽であるだけでなく、もっと幅広い黒人生活全般を示すキーワードにもなった。
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Motownは、1960年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの "Shop Around"をヒットさせた。また南部では1961年にカーラ・トーマスの "Gee Whiz!がヒットした Staxレコードの次のメジャーヒットであるThe Mar-Keysの "Last Night"(1961年にリリース)によりメンフィスの純粋な南部サウンドをリリースするスタックス・レコードが知名度をあげた[7]。 ジャマイカでは、R&Bがスカの発展に影響を与えた。R&B界には、サム・クックジェームス・ブラウンアレサ・フランクリンオーティス・レディング[注 2]らの大スターが誕生した。1970年代にはストリングスを使用したフィリー・ソウルも登場した。フィリー・ソウルの代表的なミュージシャンには、オージェイズハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツビリー・ポールらがいた。北部・東部のソウルだけでなく、1970年代にはアル・グリーンを擁したハイ・レコード[注 3]のような南部のレーベルも活発に活動していた。
R&Bインスト

歌唱なしのR&Bインストルメンタルの音楽家には、ビル・ドゲットブッカーT&MGsキング・カーティスや、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ[8]らがいた。他にもザ・JBズ、ハイ・リズム、マーキーズ、フェイム・ギャング、マッスルショールズ・リズム・セクションらも活躍した。ジュニア・ウォーカーのヒット曲には一部ヴォーカルも入っているが、フォリナーの曲をカバーした「アージェント」などは、完全にインスト曲になっている。
ホワイトR&B

1960年代にリズム・アンド・ブルースはヨーロッパにも渡り、流行に敏感な若者たちの一部を虜にし、やがて彼らは自らリズム・アンド・ブルースを演奏するようになった。ヴァン・モリソンゼムや、スティーヴ・ウィンウッドスペンサー・デイヴィス・グループ[注 4]アニマルズらはR&Bを演奏し、レコードを発表した[9]。こうして、リズム・アンド・ブルースは米国から世界へと広がっていった。
和製R&B

日本でも1960年代には内田正人キングトーンズ[10]和田アキ子、ザ・ボルテージ(桜井ユタカが歌唱指導)、安田明とビートフォークらが和製R&Bとして登場した。1970年以降は、大橋純子、宮本典子(mimi)、シャネルズ/ラッツ&スター鈴木雅之鈴木聖美らが和製R&Bの曲を録音した。その後、1980年代から1990年代には久保田利伸バブルガム・ブラザーズがヒット曲を発表した。小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」は1990年代の代表的な楽曲だった。ブラザー・トムは、HUMAN SOUL 、REAL BLOODなどのR&Bグループを結成した。カンニング竹山は、左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」をカバーしている。
1980年代以降

やがてリズム・アンド・ブルースはより洗練された方向に発展していき、1980年代以降はブラック・コンテンポラリー(ブラコン)と呼ばれることもあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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