カタラウヌムの戦い(カタラウヌムのたたかい, フランス語読みでシャロンの戦いとも、英:Battle of Chalons)は、ゲルマン民族の大移動の時代にフン族と西欧諸民族連合軍の間で行われた会戦である。両軍合せ約5万名が参戦し、うち1万名が戦死するという大激戦となった。
451年、アッティラの率いるフン族はライン川を渡り、ガリアに侵攻し、オルレアンを包囲した。西ローマ帝国の将軍アエティウスはゲルマン諸族の軍と共にこれを討ちカタラウヌムの野(今の北フランス、シャロン=アン=シャンパーニュ付近)で決戦した。激戦の末、アッティラは大打撃を受けて本拠のハンガリー平原に退き、西欧はフン族の征服を免れることができたが、フン族の勢力は維持された。
ローマ軍側も追撃不可能なほどの被害を受けたことで、西ローマの勢力は弱まり、ガリアへのフランク族の侵入が始まることとなった。この決戦は世界史上の東西両民族の大衝突の一つとしても……続きを読む
特集項目 - 東ローマ1265年のバルカン半島及び小アジアを表した地図
トレビゾンド帝国(トレビゾンドていこく、Trebizond, 1204年 - 1461年)は1204年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスが第4回十字軍によって陥落させられた際に、東ローマ帝国の皇族達が建てた亡命政権の一つ。トレビゾンド(ギリシア名トラペズス、現在のトルコ共和国トラブゾン)を首都とした。
東ローマ皇帝アンドロニコス1世コムネノス(在位:1183年 - 1185年)の孫アレクシオス・コムネノスが1204年4月、トレビゾンドを占領して建国。コムネノス王朝(1081年 - 1185年)の本流を継ぐものとして、「メガス・コムネノス(大コムネノス家)」と称した。しかし実際は、建国に尽力したグルジア王国の傀儡にすぎなかった。
当初は東ローマ帝国の亡命政権の中では最初にコンスタンティノポリスを奪還する勢いであったが、他の亡命諸侯との連携を欠いたため、同じ亡命政権のニカイア帝国やトルコ人のルーム・セルジューク朝に敗北し、小アジア北東部・ポントス地方の地方政権に転落してしまった。しかし、東ローマ帝国滅亡後の1461年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで約250年間存続し、史上最後の東ローマ系国家となった。国家としてはあまり強大ではなかったが、東西交易路の途上に位置するその地理的状況はこの国に多くの富をもたらし、また周辺のグルジア、アルメニアなどのキリスト教文化圏との交流も盛んであった。外交上は東方のイスラーム諸勢力、特に白羊朝ペルシアと婚姻関係を基にした同盟関係を結ぶなどして独立維持を図っている……続きを読む
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