PS-1
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PS-1

岩国航空基地にて保存されているPS-1(5813号機)

用途:対潜哨戒機

分類:飛行艇

製造者:新明和工業

運用者: 日本海上自衛隊

初飛行:1967年10月24日(PX-S)

生産数:23機

運用開始:1970年

退役:1989年3月17日

運用状況:退役
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PS-1は日本海上自衛隊が運用した対潜飛行艇。日本の新明和工業によって製造された。
導入経緯

海上自衛隊では対潜哨戒機として、アメリカ合衆国から導入し、後に川崎重工業ライセンス生産したロッキードP2V-7を利用してきた。しかし、海上自衛隊が救難の現場に出てもP2V-7では、せいぜいゴムボートを投下できる程度であり、専用の機材をそろえるアメリカ軍とは大きな格差ができていた。海上自衛隊は「本来、救難は海上保安庁の仕事である」として一線を引いていたが[1]、国産機による救難活動を求める声は様々な場所から聞こえてきた。

かつて川西航空機(現・新明和工業)の設計陣を率いた技術者、菊原静男1953年(昭和28年)から社内で飛行艇の構想を練っており、1957年(昭和32年)には防衛庁に対し、飛行艇の実験機を作らないかと持ちかけていた。これを受けて防衛庁でも飛行艇の実用化を検討して、1960年(昭和35年)には、新型飛行艇を対潜哨戒機として使用する案がまとまった。菊原たちは、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}二式大艇の性能に興味を示し、川西の技術を自社へ移転しようと考えたグラマンから、米海軍向けのUF-1救難飛行艇[要出典](グラマンHU-16「アルバトロス」飛行艇)1機を提供され、それを実験飛行艇UF-XSに改造した。UF-XSは1962年(昭和37年)12月の初飛行から1966年(昭和41年)まで実験と調査を行い、十分な基礎データを取得した。

対潜哨戒機については、当時の技術水準から、一般にソ連潜水艦を探知するには吊り下ろし式対潜ソナー(水中音波探知装置:ディッピングソナー)の方がソノブイよりも探知距離、精度等の点において優れており、ソナーを海中につり下げて運用することが可能な対潜飛行艇が必要であると考え、当時最も有効な対潜センサーであった大型ディッピング(吊り下げ式)ソナーを海面に着水して使用することで、強力な対潜任務を行おうとの発想により、1960年(昭和35年)にソナーを主・ソノブイを従として運用する対潜飛行艇PX-Sの開発が開始された。哨戒機器類も国産の方針となり、すばやく着水するための機上波高計と共に製作の見通しがついてきた。運用構想ではPX-Sが2機に対して、大型固定翼哨戒機のPX-Lが1機でチームを組み、PX-LはPX-Sの統制、通信の中継、目標識別を行うというものであった。PX-Lも国産化する予定であったが、2機種を並行して開発することが予算上不可能であったため、PX-Sを開発した後にPX-Lを開発することになった。PX-S同様にディッピングソナーを用いて哨戒するP6Yが開発されていたものの中止となり、陸上機による哨戒に軸足を移しつつあった米海軍はPX-Sに興味を持ち、PX-Sの技術情報と引き替えにして、P6Y用にP5Mを母機に用いて開発とテストを行っていたAN/AQS-6ディッピングソナーの技術情報や、パッシブソノブイやジュリー、ジェジベルといった最新鋭の哨戒機器が海自にもたらされることとなった。

防衛庁は1960年代前半から対潜哨戒機S2F-1およびP2V-7の後継機として、川崎重工業P-2Jを開発させていたが、新明和のUF-XSによる研究が進んだことを受け、1965年(昭和40年)5月に新明和に対して試作機の製作を命じた。コンセプトは「外洋における運用を第一の目的とする世界初の飛行艇」であり、高揚力装置と自動安定装置による超低速飛行と、境界層制御(BLC)システムによって高いSTOL性能、波消し装置と新設計の機体による耐性をもつもので、二式大艇譲りの良好な凌波性能を備えた機体は、設計上は波高3メートルの荒波での離着水も可能とした。動力はP-2Jと同じゼネラル・エレクトリック社製T64ターボプロップエンジンIHIライセンス生産したものを採用した。対潜装備はP-2J同様に米海軍からもたらされたP-3B準拠の電子装備と、それに加えてAN/AQS-6の情報を参考に小型化したHQS-101ディッピングソナーが開発搭載された。

PX-Sは1967年(昭和42年)10月24日に初飛行した。その後、実験を続けると思わぬトラブルが続いて関係者を悩ませた。水上静止中・滑走中の安定性に問題があり、着水時の衝撃で機体が破損したこともあった。また、GEはこのエンジンをこのような過酷な状況で使うことを想定しておらず、海水の飛沫がエンジンに入り込んで腐食を起こすなど、たびたび問題を起こした。

問題は山積みであったが、自衛隊の装備品運用計画を変更することはできないため、見切り発車ながら2機のPX-Sは翌1968年(昭和43年)7月31日に海上自衛隊へ納入され、第4航空群(現在は航空集団直轄)第51航空隊の岩国航空分遣隊(岩国航空基地)での運用試験を経て、開発最終段階の性能に関する詳細な試験で、十分に部隊の使用に供し得るとの結論を得たことから、1970年(昭和45年)に制式導入が決定、PS-1となった。試作機を含め23機(機体番号:5801?5823)が製造され、試作機PX-Sの2機を含めた試験用4機を除き、全て1973年(昭和48年)3月1日に編成された第31航空隊へ配備された。
運用

こうして登場したPS-1だが、当時の日本の電子技術は極めて遅れていた。当機が着水しての水中ソナー探査であるのに対し、アメリカ海軍の最新型ロッキードP-3C対潜哨戒機1968年初飛行)は空中からソノブイを投下し、無線で情報収集を行う極めて効率の良い方法で、比べてPS-1は哨戒能力が遠く及ばず、すでに時代遅れであった。ソノブイの採用案はあったものの、いちいち使い捨てでは高くつくということから、着水式の吊り下げ式にしたのだが、すでにソ連の潜水艦は高性能化しており、対抗するために新しい哨戒機材を次々に追加しなければ成らなかったため、当初29トン程度の予想が、燃料を満載すると43トンにもなってしまった。また、荒波での着水がセールスポイントであったが、不規則な波の動きを読むことは熟練パイロットでも難しく、その上、機上波高計を含めて計器の信頼性は低かった。このため敵潜水艦の近くにいたとしても、飛行艇ならではのすばやい着水と哨戒が行えず、全く役に立たない状態が続いた。離着水の時にはプロペラが水面をたたいて負荷がかかり、ベアリングの寿命の短さは異常だった。その上、水上でのバランス不足によって転覆事故が相次いだ。機体もエンジンもトラブル続きで、新明和の技術者もエンジンをライセンス生産していた石川島播磨重工業の技術者も休む暇が無かった。

防衛庁はソノブイによる潜水艦探知能力が著しく向上した状況を見て、1976年(昭和51年)から1980年(昭和55年)にかけPS-1の有効性に関する対潜能力向上の検討作業を行ったものの、ソノブイに比べてディッピングソナー戦術は有効性を失いつつあることや、ソナーの能力の大幅な改善も期待できないことから、「今日の潜水艦探知技術の進歩の中で、PS-1は要求通りの性能を満たしていない」として、1980年(昭和55年)8月に調達の打ち切りを決定、23機で生産を終了した。


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