PRIDE_(格闘技イベント)
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2000年8月27日の「PRIDE.10」で、アントニオ猪木エグゼクティブ・プロデューサーに、2003年1月8日に森下直人が死去した後任の社長に榊原信行常務取締役が、2003年4月には、高田延彦がPRIDE統括本部長に、それぞれ就任。公的な役職には就いていはいないものの、作家の百瀬博教もプロデューサー的な立場だったと言われる(百瀬の公式ウェブサイトでは、興行を「百瀬博教プロデュース」と明記していた)。なお、榊原体制発足時にテレビ制作会社イースト(現・イースト・エンタテインメント)とスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT)の資本がDSEに入った[8]

K-1UFCなどの他興行との協調路線を打ち出しており選手層の拡大が期待されたが、PRIDEがK-1からミルコ・クロコップを引き抜いたのをきっかけにK-1とは険悪な関係になり、日本の格闘技ブームの一つの頂点とも言える2003年12月31日の興行戦争[注釈 1]以来、K-1との対立は決定的になり、猪木、百瀬は離反した。

2001年11月3日、「PRIDE.17」でヘビー級(93kg以上)とミドル級(93kg以下)の王座の新設に伴い王座決定戦が行われ、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラヴァンダレイ・シウバがそれぞれ初代王者となった。

2003年ミドル級グランプリが2004年にはヘビー級グランプリが行われる。また2005年には再びミドル級グランプリが行われたほか、武士道においてウェルター級およびライト級のグランプリも開催された。

2004年12月31日、「PRIDE男祭り 2004 -SADAME-」において国際レスリング連盟(FILA)会長のラファエル・マルティニティと、日本レスリング協会会長の福田富昭がリング上より「FILAはアマチュアレスラーのプロ格闘技活動を公式に認め、今後協会よりオリンピックメダリストをはじめ、世界中の強豪レスラーをPRIDEに送りこむ」という内容の挨拶を行う。

2005年4月23日から『PRIDE GRANDPRIX 2005』を開催。12月31日には「PRIDE 男祭り 2005」を開催し49801人の集客に成功した。

2006年3月、ウェルター級及びライト級王座を設立し、ダン・ヘンダーソン五味隆典を初代王者に認定する。4月、無差別級グランプリが開催される。その最中の2006年6月5日、フジテレビはDSEとの契約を全面解除したことで、地上波中継が出来なくなる。直後に開催された「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND」では、会場の照明やセット、煽りVTR、実況等において劣化がみられ、フジテレビの撤退が少なからず影響したといえる。「PRIDE 武士道 -其の十三-」では、煽りVTR制作にフジテレビを退社した佐藤大輔、ナレーターに立木文彦という体制が復活。しかし地上波撤退の影響で、DSEへの信用失墜によるスポンサーの撤退が相次ぎ、一気に資金繰りが悪化していった。10月にはアメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスにて初めての海外大会「PRIDE.32」を開催。翌年2月には「PRIDE.33」を再び同地で催して活路を求めたが、経営体力は限界に達していた。
イベント消滅

2007年3月27日、東京・六本木ヒルズアリーナで記者会見が行われ、DSEはアメリカの総合格闘技イベントUFCおよび同イベントを主催するズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータに興行権を譲渡するとともに、本社を米・デラウェア州に置く新会社「PRIDE FC WORLDWIDE (Pride FC Worldwide Holdings, LLC)」の設立が発表された[9]。4月8日の「PRIDE.34」がDSE体制として最後の興行となった。だが、2007年5月に開催予定だったライト級グランプリは準備不足のため夏に延期になるなど、新体制発足後は興行開催の目途が全く立たない先行き不透明の状態が続いた。そのため提携先のUFCやDEEP、さらに最大のライバル団体であったHERO'Sへと選手が流出した。また、2007年4月17日にDSEが開いた臨時株主総会で法人解散を決議したことが官報に公示された。

2007年10月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所の解散と運営スタッフの解雇がなされたことが報じられ、PRIDEは事実上消滅した[10]。これについてPRIDE FC WORLDWIDE側は、事務所の解散およびスタッフの解雇は日本でのイベント開催が不可能になったことに起因するもので、それらは旧DSEの元役員の協力不足によるものであるとする声明を発表した。

その後もPRIDEの各権利はPRIDE FC WORLDWIDEが保持しているが、2008年2月にアメリカでPRIDE FC WORLDWIDEと関連会社が榊原信行らを相手取り協力不足や情報開示がされなかったこと等を理由に、これまでに支払われた金銭の返還とPRIDEを維持する義務の免除を求める訴訟を起こした。これに対して、榊原側はPRIDEの興行継続を断念したことは契約違反だとして、フェティータ兄弟とPRIDE FC WORLDWIDEを同年4月に訴えている[11][12][13]

PRIDEの消滅に伴い、ここを主戦場としていた選手らの多くは各所に流出していった。2008年度前半期には、UFCへと流出した元PRIDE選手らが、UFCのヘビー級からミドル級までの3階級を全て制覇し、UFC王者の過半数を元PRIDE選手が占めるという事態が起こった。(2007?8年頃、ヘビー級暫定王者:アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ライトヘビー級王者:クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、ミドル級王者:アンデウソン・シウバ

2007年9月8日、UFC 75で、PRIDEミドル級王座を保持したままUFCに移籍したダン・ヘンダーソンと、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンの持つUFC世界ライトヘビー級王座との統一が行われ、ミドル級王座が消滅した。
一夜限りの復活

2007年11月21日の会見で同年の大晦日にロシアの総合格闘技プロモーション「M-1 Global」のサポートを受け、旧PRIDEスタッフの手により一夜限りでイベント「やれんのか! 大晦日! 2007」を開催することとなった。統括本部長は高田延彦が務めた[14]


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