PLANET_OF_THE_APES/猿の惑星
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また、特殊メイクにはベイカーの代わりにスタン・ウィンストンを起用し、監督にはフィリップ・ノイスが起用された[7][10][11]。しかし、20世紀フォックスはヘイズの脚本に対するストーンの解釈に不満を抱いた。マーフィーは「テリーは『ターミネーター』を書き、フォックスは『原始家族フリントストーン』を望んでいた」と述べた[8]。20世紀フォックスはコメディ要素を盛り込むように求めたが、ヘイズはこれを拒否したため解雇され、ノイスも『セイント』製作のため1995年12月に監督を離れた[7][8]
クリス・コロンバスの企画

その後、ストーンも他の映画の製作に専念するため降板し、チャーニンはトーマス・ロスマン(英語版)を監督に起用した。その後、ロスマンに代わりクリス・コロンバスが監督に起用され、コロンバスは猿がスキーをするシーンのテスト撮影を行ったが、マーフィーは「全く意味のないテストだった」と述べている[12]。コロンバスはさらにサム・ハム(英語版)を共同脚本に起用した。ハムは「我々は『最後の猿の惑星』のオマージュ要素を脚本に盛り込む。また、ピエール・ブールの原作小説の要素も多く盛り込むつもりだ」と述べた[12]

ハムの脚本では次のような物語となっていた。「ニューヨーク港に猿の宇宙飛行士が操縦する宇宙船が不時着し、未知のウイルスが蔓延し人類が絶滅寸前となる。アメリカ疾病予防管理センターの職員スーザン・ランディス博士とエリア51の科学者アレクサンドル・トロイ博士は、解毒剤を見付けるため猿の宇宙船に乗り込み未知の惑星に向かうが、その惑星ではザイアス卿の率いる猿類が文明の支配者として人間狩りを行っていた。ランディスとトロイは解毒剤を見付け地球に帰還するが、二人が帰還した地球では74年間が経過して猿の文明が成立しており、自由の女神像は猿の顔に彫り直されていた」[12]

主演は引き続きシュワルツェネッガーの予定となっていたが、1995年後半にコロンバスは『ジングル・オール・ザ・ウェイ』製作のため降板し、20世紀フォックスは1996年1月にローランド・エメリッヒに監督就任を打診した[7]。同時に『タイタニック』製作中のジェームズ・キャメロンにも監督就任を打診したが、彼は『タイタニック』の興行的成功後に打診を断った[12]。また、シュワルツェネッガーも『イレイザー』に出演するため降板し、マイケル・ベイからも監督を断られた[7][8]。チャーニンとロスマンは再びジャクソンを脚本に起用するため交渉するが、1998年にマクドウォールが死去したことを理由に断られてしまう[6]
ティム・バートンの企画

1999年にウィリアム・ブロイルス・ジュニア(英語版)が新しい脚本家として製作に参加した。20世紀フォックスは2001年7月の公開を決定し、2000年2月にティム・バートンが監督に起用された[13]。バートンは「私はリメイクや続編を作ることに興味はありません。しかし、私は多くの人と同様に『猿の惑星』に影響を受けました。私はリ・イマジネーションすることに興味を抱きました」と述べた[14]。翌3月にはリチャード・D・ザナックが製作に加わった[15]。バートンはブロイルス・ジュニアに新しい脚本を書くように指示し、製作費は200万ドルを想定したが、20世紀フォックスは100万ドルを提示した[14][16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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