PET_2001
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PET 2001
Commodore PET 2001
製造元コモドール
種別パーソナルコンピュータ
発売日1977年10月 (1977-10)[1]
1978年2月 (1978-02)[2]
標準価格US$595 (2001-4), US$795 (2001-8)
¥238,000 (2001-4), ¥298,000 (2001-8)[3][4]
販売終了日1982年[5]
OSCommodore BASIC 1.0 - 4.0
CPUMOS 6502 @ 1 MHz
メモリ4 - 96 kB
ストレージカセットテープ, 5.25" フロッピー, 8" フロッピー, ハードディスク
ディスプレイテキスト 40x25 または 80x25
グラフィックモノクロキャラクターグラフィックス
サウンドなし(ビープ音のみ)
次世代ハードCommodore CBM-II(英語版)

PET 2001は、1977年コモドール社が発表したコンピューターである。PETは Personal Electronic Transactor(個人用電子実行機)のアナグラムである。カナダアメリカの教育市場でよく売れた。コモドール社初の完全なコンピュータシステムで、後の8ビット製品ラインの基盤となった。
歴史
起源と初期の機種PET 2001 のキーボード配置内蔵データレコーダ。コモドールでは「データセット (datasette)」と称した。

1970年代テキサス・インスツルメンツ (TI) は電卓用CPUの主要な供給企業で、コモドールもTIのチップを使った電卓を製造販売していた。1975年にTIが、自社製電卓の価格競争力を上げるためチップの外販価格を上昇させると、業界は冷え込んだ。

コモドールは電卓用チップが供給可能な会社を探し、6502マイクロプロセッサを設計していたモステクノロジーを見つけた。モステクノロジーのチャック・ペドルは6502を使ったワンボードのコンピュータキットKIM-1をコモドール社長ジャック・トラミエルに見せ、電卓市場はもう終わりであると納得させた。1976年9月、ペドルの紹介でスティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックApple II のプロトタイプのデモンストレーションをコモドール側に披露し、これを買ってくれないかともちかけた。しかし、コモドール側はジョブズの提示した金額が高いと判断した[6]。トラミエルは、1977年6月のコンシューマー・エレクトロニクス・ショーに間に合うよう6カ月でコンピュータを設計・試作することをペドル、ビル・セーラー、ジョン・フィーガンスに命じた[7]。トラミエルの息子レナードは、PET独自のグラフィックキャラクターを含む文字セットPETSCII(英語版)の設計を助け、品質管理面で働いた。その結果、世界初のオールインワン型ホームコンピュータ PET が生まれ、最初の機種は PET 2001 と名付けられた。6502プロセッサがディスプレイ、キーボード、データレコーダを制御し、さらに拡張ポートに接続する任意の周辺機器を制御する[8]。メモリ(RAM)が4Kバイトの機種 (2001-4) と8Kバイトの機種 (2001-8) があり、基本的にはワンボードマイコンに制御回路を加えて、内蔵モノクロディスプレイ(40桁×25行表示)を駆動した。PETは設計思想面では最初のMacintoshに似ている[9]。また、データ記録用のカセットテープレコーダー (Datassette) もキーボードの横に装備していた。カセットテープへのデータ転送レートは1500ボーだが、転送を確実に行うために同じビットを2回送るので、実質の転送レートは750ボーとなっている[要出典]。メイン基板には、メモリ拡張用、2台めのデータレコーダ接続用、パラレルポート(ディスクドライブとプリンター接続用)、IEEE-488ポート(モデム接続用)の4つの拡張ポートがある[10]

PET 2001 は世界中の工場で大量生産することで製造コストを削減している。CPUのウェハーはアメリカ合衆国・モステクノロジーの半導体工場で製造され、フィリピンでパッケージ化。基板はメキシコ、ディスプレイは台湾、カセットテープレコーダーはシャープの台湾法人、キーボードは日本の八王子で製造され、アメリカ合衆国のサンノゼで組み立てられていた[11]

PET 2001 は1977年1月の Winter CES で発表され[12]、同年10月に最初の100台が出荷された[1]。数ヶ月間出荷が注文に追いつかない状態が続き、ペースを上げるために4KバイトRAMバージョンを翌年早々にキャンセルし、8Kバージョンのみとした。

マシンは成功したが、電卓のような小さなキーボードには不満が集中した。感触がガムのようだということでチクレットキーボードと呼ばれた。またキートップの表示が容易にかすれてしまうという問題もあった。そのころのホームコンピュータでは珍しいことではないが、信頼性も乏しかった。このため、キーボードを置換するサードパーティ製品がすぐさま登場している。

このため1979年、新たな改良機種である "2001-N" を投入。最初の機種ではディスプレイの表示色がライトブルーだったが、2001-Nでは一般的なグリーンになっている。またデータレコーダを内蔵するのをやめて、もっと大きくて使い勝手のよいキーボードを装備した。また内蔵ROMを更新して、新たに投入したフロッピーディスクドライブ装置を接続できるようにした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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