この項目では、日本のロックバンドについて説明しています。抗生物質の一種については「ペニシリン」をご覧ください。
PENICILLIN
別名ペニシリン
出身地 日本
ジャンルロック
オルタナティヴ・ロック
ハードロック
活動期間1992年 -
レーベルPIONEER LDC(1996年 - 1997年)
east west japan(1998年 - 2000年)
omega A.T. music(2001年)
HiBOOM(2002年 - 2005年)
avex trax(2005年 - 2007年)
日本クラウン(2008年 - 2009年)
THAT Records(2010年 - )
b-mode / blowgrow(2012年 - 2018年 )
Hysteria / ソニー・ミュージックソリューションズ(2019年 - )
ユニバーサル・ミュージック(2023年 )
事務所ティアーズ音楽事務所(1992年 - 2001年)
HUMAN DOLL(2002年 - 2007年)
DUPLEX DEVELOPMENTS JAPAN(2007年 - )
公式サイトPENICILLIN - Official WebSite -
PENICILLIN(ペニシリン)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。
1992年2月14日、千聖が下宿していたアパートに東海大学のバンドサークルで出会ったメンバーが集まり結成[1]。PENICILLINというバンド名は上條淳士の漫画作品『TO-Y』に登場するバンド「ペニシリン・ショック」に由来している[2]。インディーズ時代はPenicillinと表記していた。
メンバー全員が行うソロ活動は、タイ、ロンドン、ラスベガスなど、日本国外でもライブを開催している。
インディーズ期以降、ティアーズ音楽事務所に所属していたが、2002年に個人事務所HUMAN DOLLを設立。事務所設立後のソロ活動は、各メンバー別々の事務所でマネジメントしている。2007年4月のHUMAN DOLL解散後は、DUPLEX DEVELOPMENTS JAPANに所属している。
east west japan(現ワーナーミュージック・ジャパン)、omega A.T.music、HiBOOM、avex trax、日本クラウン、自主レーベルTHAT Records、blowgrowを経て、2019年よりHysteria / ソニー・ミュージックソリューションズからCDを発売している。 この節には複数の問題があります。改善
メンバー.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2014年5月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2014年5月)
HAKUEI:ヴォーカル1970年12月16日生まれ。O型。宮崎県串間市出身。東海大学教養学部生活経済学科卒。身長183センチ。毎年自身の誕生日ライブは「SUPER HEART CORE」と称される[3]。
千聖:ギター、リーダー1971年10月4日生まれ。B型。東京都出身。東海大学法学部卒。身長177センチ。毎年自身の誕生日ライブは「ROCK×ROCK」と称される。
ステージネームは森高千里より[4]。
O-JIRO:ドラムス、プログラミング1972年9月14日生まれ。O型。千葉県出身。東海大学工学部電子工学科中退。身長175センチ。HAKUEIの漫画「すすめ!とのさま」はO-JIROがモデルとなっており、毎年自身の誕生日ライブは「とのさまGIG」と称される。
ドラムはYAMAHAを使用。O-JIROモデルのスティック(YCSOJ)が発売されている[5]。コンピュータープログラミングを得意とし、バンド内でも実力を発揮。
ステージネームはドラえもんから藤子不二雄つながりで、コロ助→オバQ→Q太郎→O-JIROという雰囲気のみで決定した[1]。
高校と大学は、A・O・I(SHAZNA)と同級生だった事もありSHAZNAのLIVEにドラマーとして参加したことがある。
元Sleep My DearのYASUMICHA'Nとのユニット『808』を結成。
ヴィジュアル系バンドの全盛期には、他のメンバーが染めて立てた長髪やタイトな革の服など尖った衣装でまとめているのに対し、O-JIROのみベレー帽にチェック柄の服など、他メンバーとは方向性の違う中性的かつポップな衣装でまとめることが多かった。
ペニシリンのGISHOらとのユニット『STARMAN』を結成。STARMANでの名義はO-J。2004年には六本木クワイルでライブを敢行。ボーカルを務める。
『Crack6』のサポートドラムとしても活動中。
旧メンバー
GISHO:ベース1971年5月20日生まれ。A型。兵庫県出身。東海大学政治経済学部卒。身長180センチ。
大滝純名義で歌手、俳優、監督デビューを果たす。過去にVシネマ『湘南爆走族 荒くれKNIGHT』、テレビドラマ『救急ハート治療室』などに出演後は、映像クリエイターとして映画作品の出品や映像関連雑誌への連載を開始。自身の監督作品は2004年公開の『Run-ing』『狼少女?Day After Tomorrow?』[6]。
2005年9月、オメガプロジェクト・ホールディングス代表取締役社長に就任(2010年6月をもって退任)。
2007年5月20日、本人の意向により「GISHORIX REVOLUTION NEVER ENDING STORY」をもってPENICILLINを脱退。脱退後も時折、ステージにてメンバーと共演をしている。
2013年、HAKUEIの別プロジェクト「ライチ☆光クラブ」に加入し音楽活動を再開、2人の対談も実現している[7]。