PE'Z
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1stスタジオ・アルバム『九月の空-KUGATSU NO SORA-』が器楽曲バンドとしてオリコン10位を記録[5]

2003年、器楽曲バンドとして「第17回日本ゴールドディスク大賞」“ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー”を受賞。全国各地の野外フェス等への出演を経て全国区の知名度を獲得[1]

2004年1月、韓国で路上ライブを決行し大きな話題を呼ぶ[6]

2005年オランダに本社を置くロードランナー・レコードに移籍して本格的に世界進出を果たし、イギリスマンチェスターロンドン)、オランダ(アムステルダム)にてライブを敢行[7]。同年、日本全国45公演のツアーを敢行。ツアーファイナルは韓国ソウルにて行われた[6]

2006年3月、初のUSツアー(全9公演)を行う[3]カナダ「カナディアンミュージックフェスティバル」「サウス・バイ・サウスウエスト」に出演。

2008年2月、全国展開する雑貨屋ヴィレッジヴァンガード (書籍・雑貨店)にてジャズのスタンダードを独自のアレンジでカヴァーした限定CD『黒船のジャズ -SAMURAI MEETS THE ENEMY-』をリリース、4月にはTBS系列筑紫哲也 NEWS23」に生出演[5]。同年、約3年ぶりに国内レーベル(デフスターレコーズ)へ移籍[注 1]

2011年9月、アルバム『向日葵-Himawari』を全曲無料配信する“合法ダウンロード”企画を実施する。

2012年2月に無料配信アルバム第2弾『OH! YEAH!PARTY!!』を、同年12月に第3弾となる『JumpUP!』を発表。
解散

2014年、結成15周年のアニバーサリーイヤーという事もあって5月に短期間で東京のライブハウス13ヵ所を一気に駆け抜けるツアー、7月には約10年ぶりとなる東京新宿の歌舞伎町でのワンマンライブなどハイペースなコンサート活動を行うものの、12月1日、PE'Zオフィシャルサイトにて翌2015年いっぱいでの解散を発表。

2015年12月19日、ラストライブ「EN-MUSUBI 2015 FINAL?おどらにゃそんそん?」を東京・昭和女子大学人見記念講堂にて開催し解散した。その模様は動画サイトのUstreamを通して完全生放送で中継された[9]
メンバーOhyama"B.M.W"WataruKadota"JAW"Kousukeヒイズミマサユ機
Ohyama "B.M.W" Wataru(オオヤマ・ビーエムダブリュー・ワタル、1975年11月6日 - )(48歳)
トランペット担当

本名、大山 渉(おおやま わたる)。東京都目黒区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市育ち。血液型AB型、180cm[10]

ピスタチオ・ボーイズでは、wataru-chanの名義でサックスを演奏。

芸名の「B.M.W」は、「B=big(大) M=mountain(山) W=wataru(渉)」の意味。BMW社を連想されがちだが、自動車免許は取得していない。

出身校の神奈川県立鶴嶺高等学校では柔道部に所属し有段者でもある。

1997年ランディ・ブレッカーと共演。1999年7月「ベン・フォールズ・ファイヴ」のジャパンツアーに参加。

2014年、「食事と人と音楽が溶け合う空間」というコンセプトのもと、マヌーシュギタリスト手島大輔、ヴァイオリニストのTajimi “M.J” Tomotaka、ベースのヤマトヤスオ、パーカッションの奥田真広と共にジプシー・スウィングを基調としたバンド「BimBomBam楽団」を結成。PE'Z解散後にはダイニングスタイルの全国ツアーを行い、また各地のジャズフェティバルに出演するなど本格的な活動を開始。同じくトランペッターの小林洋介と2人でバンド「TrumpetFactory」としても活動[10]

2015年にBimBomBam楽団メンバー全員が役員および社員を務めるバンド兼レーベルの機能を備えた株式会社「衣食住音」を設立。自主レーベル「meal me(e)t music」を立ち上げる[10]

Kadota "JAW" Kousuke(カドタ・ジョー・コウスケ、1976年5月27日 - )(47歳)
テナー・サクソフォーン担当。

本名は、門田 晃介(かどた こうすけ)。東京都日野市出身[注 2]、A型、177cm。

芸名の「JAW」はという意味。バンド内のノリで「お前、猪木の若い頃に似てるから、ニックネームは顎で行こうぜ」ということで命名された[11]

国立音楽大学卒業。

実家は愛媛のフランス料理店で、ライブではしばしば冗談で門田本人が宣伝することもあった。

「Mosquito-38」「みずいろの雨」「アケビ」「ヒルビー」「パラノイア」などではソプラノサックスも演奏。「Peach?Ashihara Story?」ではアルトサックスも演奏するなど器用さを見せた。

趣味は自転車で、ロードバイクを所有。2006年にはツール・ド・北海道の市民大会に出場し19位の成績を収めた。

彼をリーダーに、Yasei Collectiveの松下マサナオ(ドラムス)と中西道彦(ベース)、宮川純(キーボード)の4人でBARBを結成[11][12]

Nirehara Masahiro(ニレハラ マサヒロ、1977年10月8日 - )(46歳)
コントラバス担当。

新潟県出身、A型、171cm。

インディーズの時の芸名は、ニレハラ "ハトバスキャノン" マサヒロ。曲名の案を「ハトバスキャノン」と出したことが由来。

早稲田大学理工学部情報学科卒業、在学時はジャズ研(Swing & Jazz Club)に所属し部長を務めていた。

写真家の顔も持つ。

プログラミング・映像Flash編集もこなし、メンバーのHP「PE-Z.JP」も製作。

使用しているウッドベースはエマニュエル・ウィルファー製。

特技は妄想(メンバー・本人談)。

2007年10月より、NORTH WAVEレギュラーラジオ番組『MARMALADE JAM』でDJを担当。

解散後は主に2012年に結成したH ZETTRIOのメンバーとして活動。

ヒイズミマサユ機(ヒイズミマサユキ、1978年2月12日 - )(46歳)
ピアノキーボード担当。詳細は「ヒイズミマサユ機」を参照

兵庫県神戸市出身、O型、171cm。

中学2年の頃、自作の曲「ILLUSION」でジュニアエレクトーンフェスティバル'91全日本大会銅賞入賞[13]

1995年「G7情報通信関係閣僚会議」(Global Information Infrastructureジュニアサミット)に参加。世界各国から41名で会議。

国立音楽大学音楽学部作曲科卒業。

2004年から2005年7月1日まで椎名林檎が結成したバンド「東京事変」の第一期活動でH是都M(エイチゼットエム)として参加。

2007年1月に「5+2=11」をリリースし、メジャー・デビューしたH ZETT Mと同一人物と言われている。

ピスタチオ・ボーイズでは、HZMの名義でドラムを叩いている。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}現在[いつ?]、愛機はKORGのKROSS(PS60より乗り換え)。

解散後はソロ活動の他、2012年に結成したH ZETTRIOのメンバーとして活動。

航(こう、1971年2月21日 - )(53歳)


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