PDPシリーズ(ピーディーピー・シリーズ)は、デジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)社のコンピュータシリーズであり、1957年から1990年まで続いた。PDPは Programmed Data Processor の略[1]である。PDPシリーズが登場した当時、コンピュータと言えば大きくて高価なメインフレームが一般的だった。PDPは、そのような大きなコンピュータが入り込めないミニコンピュータ市場を切り開いた。コンピュータを名乗らなかったのは、DECに資金提供していたベンチャーキャピタルがその言葉に警戒感を持っていたためである。
PDPマシンは基本的にワード長によってファミリに分けられる。例外は 16ビットのPDP-11で、アーキテクチャ的には最も複雑な 36ビットのPDP-6やPDP-10に類似している。 PDPシリーズは、以下の通りである。
PDPシリーズの詳細
PDP-1
最初のPDP(1960年)。18ビット機で初期のタイムシェアリング オペレーティングシステムが動作する。初期のハッカー文化の源でもある。世界初のコンピュータゲームのひとつ スペースウォー!はこのマシン上で開発された。
PDP-2
24ビット機向けに予約された番号だったが、設計されなかった[2]。
PDP-3
DECの設計としては初の 36ビットマシンだが、製品としては販売されなかった。CIAの Scientific Engineering Institute (SEI) 向けに1960年に製造されたもので、ロッキードA-12偵察機のレーダー反射断面積のデータ処理に使われた[3][4]。アーキテクチャ的には PDP-1 を 36ビット幅に引き伸ばしただけのものである。
PDP-4
PDP-1の低価格版として開発されたが、性能が低く商業的には成功しなかった[2]。後のPDPの18ビットマシン(PDP-7/9/15)はこの命令セットに基づいている。初期のユーザーとしてカナダ原子力公社が挙げられ、PDP-4とPDP-5を原子炉の制御に使っていた。
PDP-5
DEC初の12ビットマシン。その命令セットは後の PDP-8 でも使われた。コストを削減するため、メモリの 0 番地をプログラムカウンタとして使用しており、ハードウェアによる独立したレジスタを設けなかった。日本の研究機関にも導入された[5][6]。
PDP-6
36ビットのタイムシェアリング機。非常にすっきりしたアーキテクチャである。大型ミニコンピュータまたは汎用コンピュータと見なされていた。
PDP-7
PDP-4 の後継機(18ビット)。DEC初のワイヤーラップ機。最初のUNIXやMUMPSが開発されたマシンでもある。
PDP-8
PDP-5から受け継いだ小さな命令セットの12ビットマシン。DECとしては商業的に成功した最初のコンピュータであり、ミニコンピュータ革命のきっかけとなった。学校、大学、研究所などが購入した。後のモデルはDECmate
LINC-8(英語版)
LINCとPDP-8を結合したコンピュータであり、ふたつの命令セットを持つ。PDP-12の元となった。
PDP-9
PDP-7の後継機。DEC初のマイクロプログラム方式マシンである[2]。
PDP-10
36ビットのタイムシェアリング機であり、いくつかの機種が開発されるなど成功を収めた。命令セットは PDP-6 から若干複雑化した。
PDP-11
ミニコンピュータの典型。16ビット機で、16ビットの命令セットとしては史上最も優れていると考えられ、大きな成功を収めた。ここからの発展として、組み込みシステム向けの LSI-11 と、32ビットのVAXシリーズがある。初期のVAXにはPDP-11互換モードがあった。PDP-11の命令セットは、モトローラのMC68000、ルネサスのH8、TIのMSP430(英語版)などに影響を与えている。直交性の高い汎用レジスタ指向の命令セットと豊富なアドレッシングモードを特徴とする。