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やノートページでの議論にご協力ください。PC/AT互換機(ピーシーエーティーごかんき、英語: IBM PC/AT Compatibles)とは、IBM PC ATの互換機であるパーソナルコンピューター(PC)であり、広義にはその後の拡張を含めたアーキテクチャの総称。16ビット以降のPCのデファクトスタンダードとなった。世界的にはIBM PC互換機、単にPCとも呼ばれる。日本ではDOS/V機などとも呼ばれる。当記事では1981年の初代IBM PC以降の「IBM PC互換機」を含めて記載する。 世界的には「IBM PC互換機」と呼ばれる場合が多い。その「IBM PC」とは、1981年にIBMが発売したオリジナル(元祖)のIBM PCで、更には後継のIBM PC XT、IBM PC ATを含めたシリーズを指す。従って「IBM PC互換機」とは、そのシリーズのアーキテクチャを受け継ぐ互換機の事であり、広義にはIBM社自身の後の製品も含まれるが、IBM社製品でも独自仕様など異なるアーキテクチャのものは含まれない。また「IBM PCクローン」は初期の比較的単純な複製品を指す場合が多い。また主にMacintoshと対比させて、単に「PC」「PCs」と総称する場合も多い。 日本では以下の経緯もあり「PC/AT互換機」や「DOS/V機」などの表現が普及した。 なお大手メーカーの多くはブランド戦略やサポート範囲上、「互換機」の表現を使用しない傾向があり、コンパック(現HP)は日本でのDOS/V参入時に「業界標準機」(Industry Standard Machine)、日本電気はPC/AT互換機であるPC98-NXシリーズ発売時に「世界標準機」と呼んだ。 米国を始めとする世界的には1980年代以降(日本では特殊事情より1990年代半ば以降、後述参照)、パーソナルコンピュータ (PC)の大多数はMacintoshやタブレット端末を除くとPC/AT互換機であり、デファクトスタンダードとなっている。また各種のスーパーコンピュータや産業用機器、携帯情報端末などのベースとしても使用されている。 PC/AT互換機はオリジナルのIBM PC ATとハードウェアとソフトウェアの両面で互換性を持つところから出発したが、現在では拡張を重ね、ATバス(ISA)やHDDのインターフェース、キーボード・マウスのコネクタを含めてハードウェア面の互換性はほとんど失われている。しかし、ソフトウェア面から見れば、ほぼ後方互換性を持つCPU (x86) やディスプレイ仕様(VGAなど)などを引き継いでいる。このため現在ではPC/AT互換機とは「オリジナルのPC/ATと直接の互換性があるマシン」という意味ではなく、「PC/ATをベースにソフトウェア面の後方互換性を維持しながらも、各種の拡張や標準化を重ね、事実上の標準を確立したマシンや仕様の総称」といえる。 事実上、1980年代後半から日本を除く世界的なPCのシェアの過半はPC/AT互換機で占められ、ハードウェアやBIOSのインタフェースを共通にすることで、ソフトウェアや周辺機器がメーカーを問わずどのPCでも利用できる様になった。なお、日本では1980年代の半ば頃から1990年代の前半頃まで、日本語で使用できるシステムを実用化させた日本電気のPC-9800シリーズが市場をほぼ独占していたが、1990年代半ばよりPC/AT互換機が普及した。 PC/AT互換機がデファクトスタンダード化した後には、多くの互換機メーカーや、台湾などを中心とした部品メーカーが登場し、競争によるコストダウンが進み、事実上の標準PCの地位を築いた。これにより、低価格なホビーPCや独自規格(PC-9800シリーズ、X68000など)はMacintoshシリーズを除いて1990年代半ば以降ほぼ消滅し、PC市場はPC/AT互換機が寡占するようになった。また、AppleのMacintoshシリーズも2005年にIntel系CPUを採用しPC/AT互換機となった。ただし、2020年に自社開発のAppleシリコンへの移行を発表している。 PC/AT互換機の仕様は各社や各種標準化団体によるデファクトスタンダードの積み重ねであり、汎用の部品を組み合わることにより比較的容易にコンピュータを作成できる。このため大手メーカーの他、零細なガレージメーカー、ショップブランド、BTO、個人による自作パソコンなども広く存在している。ただし、組み合わせによっては、各ベンダーによるサポートの有無、サポートのレベルの違い、また、特定のパーツの組み合わせで問題が発生するいわゆる相性なども存在し、サポート外の部分には自己責任が求められる。 IBMによって発売された、1981年のオリジナルのIBM PC、1983年のマイナーチェンジであるIBM PC XT、1984年のIBM PC ATは大ヒットとなり、ビジネス用途を含め広く普及し、多数のアプリケーションソフトウェアや周辺機器が市場に普及したが、合法的な互換機や標準化の試みにより、段階的に互換機市場が形成されていった。 1981年に発売されたオリジナルのIBM PCは、短期間でパソコン市場に参入するためにCPU、メモリ、入出力デバイス、周辺ロジックに市場で入手可能な汎用の部品ならびに既存のソフトウェアのみを用いて構成され、拡張スロットにビデオカードを追加する事によってビデオ(テキスト、グラフィック)機能を拡張することが容易であった。更にIBMはアプリケーションソフトウェアや周辺機器の開発のためにマニュアル中に回路図やBIOSのソースコードを公開し、サードパーティー製品の普及に努めた。またIBM PC用の主要なオペレーティングシステムであるPC DOSの普及のため、開発元のマイクロソフトが他メーカーにOEM供給する事を許可した。IBM以外の各社へ提供したDOSは、当初はOEM先の各社の名称がつけられたが、総じてMS-DOSと呼ばれるようになった。IBMは後にこれらをオープンアーキテクチャと呼んでいる[1][2]。但し、互換機の作成にはBIOSが必要であり、公開されているBIOSのソースコードをそのまま使用する事は著作権侵害となるため、当時IBMは互換機自体の作成は避けられると考えていた。 互換機のうち、初期に登場した各オリジナルのコピー(模倣)に近いものをクローンと呼ぶ。クローンは先行したApple IIなどでも存在したが、その中にはBIOSなどの著作権を侵害しているものも含まれる。1982年のコロンビア・データ・プロダクツ
名称
日本では普及時期が1990年のDOS/V登場以降で、当時は「PC/AT互換機」が普及していた。
日本では「IBM PC」の知名度が低く、日本IBMの独自仕様PCや、PC-9800シリーズなどと誤解されやすかった。
後にWindows 95が導入メディアを「PC-9800シリーズ用」と対比して「PC/AT互換機用」と表記した。
概説
歴史
IBM PC互換機の誕生