PC-8001
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PC-8000シリーズ
種別パーソナルコンピュータ
発売日1979年9月 (1979-09) (PC-8001)
前世代ハードCOMPO BS/80
次世代ハードPC-6000シリーズ
PC-8800シリーズ

PC-8000シリーズは、日本電気 (NEC) が発売したパーソナルコンピュータのシリーズである。PC-8001に始まり、PC-8001mkII、PC-8001mkIISRがある。日本電気の特約店(NECビットイン、NECマイコンショップ)のほか、新日本電気(後のNECホームエレクトロニクス)の家庭電化商品ルートで販売された。

キーボードと本体が一体化したデザイン。同社を代表するシリーズのひとつで、数多くのソフトウェアや周辺機器が販売されていた。

上位機種はPC-8800シリーズ
PC-8001

PC-8001PC-8001とカラーディスプレイ、フロッピーディスクドライブ、拡張ユニットのシステムセット
開発元日本電気
製造元新日本電気[1]
種別パーソナルコンピュータ
発売日1979年9月 (44年前) (1979-09)[1]
標準価格168,000円
販売終了日1983年1月 (1983-01)[2]
売上台数25万台[2][3]
OSN-BASICDISK-BASICCP/M
CPUμPD780C-1(Z80互換)4MHz
メモリROM 24KB(最大32KB)、RAM 16KB(最大32KB)
グラフィックテキスト80桁×25行、グラフィック160×100ドット8色
サウンドビープ音
入力機器JISキーボード
外部接続カセット磁気テーププリンタシリアルポート
電源AC100V 50/60Hz 20W
サイズ430(W)×260(D)×80(H)mm
重量4kg
次世代ハードPC-8001mkII

PC-8001は日本で1979年5月9日に発表され[4]、9月20日に出荷が開始された[5]。9月28日がパソコン記念日/パソコンの日としてこの機種の発売日を根拠とした日付として語られることが多いが、記念日の名称すら表記ゆれがあり、NECの公式な見解は「9月」のみとなっている[1]。希望小売価格は168,000円で、当時としてはリーズナブルな価格であり、1983年1月の販売終了まで一度も改定されなかった[6]

日本では輸入品を除けば半完成品(セミキット)がほとんどであった当時のマイコンの中で、本格的な完成品として登場し、ハード・ソフトとも高い機能と完成度を有した。PC-8001は「パーソナルコンピュータ (Personal Computer)」を商標に据えて宣伝し、1980年代初めにはNECのPCシリーズ展開を先導した日本のパソコンの代表的機種となった[7]。また、よく日本初のパーソナルコンピューターと説明されることもあるが、その真偽については各論があるので注意が必要である。

1981年8月にはアメリカ合衆国で「PC-8001A」が1,295ドル(32K RAMシステム)で発売された。FCCが規制する電波障害の対策を施し、片仮名の代わりにギリシア文字を表示できるようになっていた[8]。同年10月には西ドイツに日本電気ホームエレクトロニクスの支社が設立され、PC-8001が発売された[9]

2015年9月1日国立科学博物館重要科学技術史資料(通称:未来技術遺産)の第00205号として、登録された[10]
機能

キーボードと本体が一体化され、最低限必要であるプリンタコンパクトカセットデータレコーダ)、CRTインタフェースを備える。ただし拡張スロットはなく、FDD等その他機器の増設には別売の増設ボックスPC-8011、PC-8012が必要である。

発売当初は搭載メモリ16Kモデルのみの販売であった。さらに16Kの増設が可能で、増設して購入するユーザが大半であったため、32Kモデルも後に販売された。なお、拡張ボックスの使用により64Kに拡張してFDDを増設すれば、CP/Mなどの汎用OSを動作させることも可能である。

グラフィックも発売当時は160×100ドットで十分高い画面解像度であった。しかし、後発の機種が640×200ドットのフルグラフィックを搭載してくると見劣りするようになり、NEC以外から発売された高解像度アダプタ(FGU8200)やユーザ定義キャラクタジェネレータ(PCG8100)等、とキャラクターを書き換えて擬似的に1ドット毎のグラフィック変更を実装したりと、機能拡張の周辺機器が発売された。
開発

1978年夏頃、日本電気電子デバイス販売事業部マイクロコンピュータ販売部長の渡辺和也と設計主担当の後藤富雄を筆頭とする10人[注 1]のチームで、PC-8001の開発が始められた[11]。NEC社内での開発コードは「PCX-1」であった[1][12]

当時、日本のメーカーでは既に日立製作所がベーシックマスターを、シャープがMZ-80Kをパソコンとして発売していたが、ベーシックマスターは文教用途を中心に考えられており、MZ-80Kは販売上の理由からセミキット形式であり、購入しても使えるまでには電子工作の知識が必要だった。ボードコンピュータのTK-80BSを筐体に組み込んでパソコンの形態にした製品は以前から計画されていて、これは1978年10月にCOMPO BS/80として発表されたが、搭載されたプログラミング言語のBASICが機能・性能ともに貧弱であったため成功しなかった。PC-8001は軽微な事務業務も意識しつつ、機能面で妥協しつつも個人も入手しやすい All-in Oneのコンピュータとして開発された[6]

本体は元々COMPO BS/80と同系色のデザインと旧JIS配列のキーボードで考えられていたが、石田晴久の助言によりミニコンの端末としても通用するシックなデザインとテレタイプ仕様のキーボードレイアウトとなった[13]。プログラミング言語のBASICは、マイクロソフトが作成したものとNECが社内で作成したものの2種類のバージョンが開発されていたが、既に北米のパソコン市場でデファクトスタンダードの地位を確立していたマイクロソフトのBASICが採用された。これは後の独自アーキテクチャパソコンにおいて、デファクトスタンダードとなった大きな変更点であった。詳細は「N-BASIC」を参照

マイクロソフトは日本企業への本格的なOEM進出を狙っていたタイミングであったため、NECには非常に安い価格でBASICが提供されたという[6]

本体、ディスプレイ、外部記憶装置は日本電気が開発して新日本電気が生産していたが、プリンターは日本電気にはメインフレーム用の高価なものしかなく、東京電気からOEMで調達された[14]

大内淳義(当時、日本電気専務取締役)は販売部が立ち上がった時点から渡辺に行動の一切を委ね、非公式の会議で連絡を取っていた。マイクロプロセッサの拡販が本来の業務である部隊がマニアを相手に商売を広げ、さらにパソコンの開発を進めていることに、社内からは批判の声があがっていた。TK-80BSまではマイクロプロセッサを拡販するためのキットという口実が通った。しかし、PC-8001は完全なコンピュータであるため、商品が失敗すればNECの本業であるコンピュータ事業や企業イメージに悪影響を及ぼす恐れがある。大内はPC-8001の発売に際しては待ったを掛けた[15]。先行するメーカーのパソコンがそれほど売れていないことや、TK-80BSとCOMPO BS/80の失敗もあって、大内は市場に需要を見いだせずPC-8001の商品化に躊躇していた。結局、開発部隊が成功するという絶対的な自信を持っている様子を見て、大内は動くことにした。まずはキットの技術サポートのために開設していた主要都市のBit-INNでテスト販売し、反応が良ければ徐々に販売ルートを増やしていくことになった[12]
評価

パソコン雑誌『ASCII』(1979年11月号)は発売直後のレビュー記事にて「若干の問題は残しているもののソフトウェア、ハードウェア共に現在考えられる最強のマシンと折り紙を付けることができるだろう。」と総評した。外観はコンパクトで好ましいカラーであると評価した。キーボードは5個のファンクションキーで10種のコマンドを定義できることを挙げて「他に類を見ない」と賞賛した一方、Escキーにリピート機能を付けるべきでない、キートップにグラフィック記号の表示がないことなどを憾んだ。シリアルインタフェースでRS-232C規格の機器と接続するには、レベル変換のために別売のケーブルユニット (PC-8062) を挟む必要があることに対して、基板上に数個の部品を追加するだけでよりスマートに実装できたはずと不満を挙げた。電源の保護機能、電圧変動、過負荷特性は「非常に優秀」と評価した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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