PCエンジン
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この項目では、家庭用据置型ゲーム専用機の「PCエンジン」について説明しています。舶用・発電用4サイクル中速ディーゼルエンジンの「PCエンジン」については「JFEエンジニアリング」を、パーソナルコンピュータPC-88VAシリーズ用OSの「PC-Engine」については「PC-8800シリーズ」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼:PC-KD863Gの画像提供をお願いします。(2007年6月)

PCエンジン
TurboGrafx-16

メーカーハドソン(開発)
NECホームエレクトロニクス(開発・販売)
種別据置型ゲーム機
世代第4世代
発売日 1987年10月30日
1989年8月29日
1989年11月22日
1989年
1990年
CPUHuC6280
MOS 6502ベース)
GPUHuC6260 + HuC6270
対応メディアHuCARD
CD-ROM2
SUPER CD-ROM2
アーケードカード
対応ストレージ天の声2
バックアップブースター
バックアップブースターII
天の声BANK
メモリーベース128
コントローラ入力ケーブル
売上台数PCエンジンシリーズ
590万台
250万台
1,000万台[1]
最高売上ソフトPC原人/70万本
互換ハードウェアPCエンジンコアグラフィックス
PCエンジンスーパーグラフィックス
PCエンジンDuo
PCエンジンGT
次世代ハードウェアPC-FX
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PCエンジン(PC Engine)は、ハドソン日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス、以下NEC-HE)により共同開発され、1987年10月30日[2]にNEC HEから発売されたHE-SYSTEM規格に基づく家庭用ゲーム機。当時のメーカー希望小売価格は24,800円。

任天堂ファミリーコンピュータが発売され数年が経過し、ハドソン社内におけるより高性能のハードウェアを望む声から開発が始まった。同時期に日本電気(NEC)社内において計画されていたCD-ROM機開発の思惑と合致したため、ハドソンとNEC-HEとの共同開発により市場に投入されたゲーム機である[注 1]

北米市場ではTurboGrafx-16(ターボグラフィックス16)の商品名で発売され、NECの米国法人から販売された。HE-SYSTEMの北米仕様であり、HE-SYSTEMのロゴだけは使用している。

発売当初はファミリーコンピュータやセガ・マークIIIと競合し、後にスーパーファミコンメガドライブとも競合した。トップシェアを占めることはなかったが、世界累計販売台数1,000万台[要出典]を記録している。
歴史
国内展開

1987年に設立されたNECアベニューがゲームソフトの開発と販売を行っている(NEC-HEはハードウェア製造メーカーだった)。また、ハドソンが初期のラインナップを充実させている。この時期ファミコンソフトの製造での優遇措置停止で任天堂とのトラブルになっていたナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)が参入。ハドソン・NECアベニューと共に初期の三本柱に[3]、参入社数過多により飽和状態になっていたファミコン市場から新たな市場を求めたサードパーティがPCエンジンへと参入した、タイトーアイレムデータイースト日本物産などが参入。一方でカプコン[注 2]コンパイル[注 3]などはソフトのOEM供給などをしていたが、参入して自社ブランドで販売することはなかった。

これらサードパーティの参加もあり、ファミコンでは実現が難しかったアーケードゲームが移植された。

1988年11月にCD-ROM2を発売[4]。CD-ROM2は1989年の『天外魔境 ZIRIA』『イースI・II』、1990年の『スーパーダライアス』といったキラーソフトの登場により普及が加速していった。

1989年末にはテレビへの出力端子を従来のRF端子からAV端子に変更して色はダークグレーになり、コントローラーのI・IIボタンに連射機能が搭載されたものに変わったPCエンジンコアグラフィックス、拡張バスを削除してCD-ROM2や天の声などは繋げなくHuカードのみ専用にした廉価版[5]PCエンジンシャトル、Hu6270を2個に増量しVRAMを2倍、メインメモリを4倍に強化したPCエンジンスーパーグラフィックス、本体の拡張バスから繋ぎPCエンジンを使って画面に絵を描け、アーティストツールで印刷をすることも可能なプリント&イラストブースタという4種類のハードを発売している。

1991年6月にコアグラフィックスと性能は同じだが、価格を5000円ダウンさせたコアグラフィックスIIが19800円で発売された。ハードの色はSUPER CD-ROM2システムと同色となる。12月にSUPER CD-ROM2を発売している。またこの時期にコナミ(ブランド名は『KONAMI』、その後ゲーム事業はコナミデジタルエンタテインメントへ移管)も参入し、NEC HEも日本市場(それまで当社は米国市場のみでゲームソフトを発売する程度だった)でゲームソフトを販売するようになり、後期以降の主要ソフトメーカーにまで発展した[注 4]

翌1992年3月にはCD-ROMが100万台を突破し、ソフト供給はCD-ROM中心になる[6]。この時期にPCエンジンの主力メディアはHuカードからCD-ROMへ移行が進み、本体もPCエンジンDuoシリーズが主力になっていった。しかしながらHuカードもコンパクトサイズハードであるPCエンジンGT、PCエンジンLTなどで依然として意義はあり、供給を継続していた。国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていたとする調査結果が雑誌に掲載された[7]。この時期に『天外魔境II 卍MARU』『スナッチャー』といったSUPER CD-ROM2を代表するキラーソフトが発売されている。CD-ROMの普及に伴い、日本ファルコムアートディンクシステムソフトリバーヒルソフトブレイングレイマイクロキャビンコーエー(現:コーエーテクモゲームス)・日本テレネットといったPCゲームのソフトハウスが参入した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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