PATA
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この項目では、ギタリストについて説明しています。ハードディスクのインターフェース規格については「Advanced Technology Attachment#パラレルATA」を、アフガニスタンの行政区分については「PATA (アフガニスタン)(英語版)」をご覧ください。

PATA

基本情報
出生名石塚 智昭(いしづか ともあき)
生誕 (1965-11-04) 1965年11月4日(57歳)
出身地 日本, 千葉県千葉市
ジャンルロックハードロックヘヴィメタル
職業ギタリスト
担当楽器ギター
活動期間1980年?現在
事務所石塚屋[1]
共同作業者X JAPANRa:IN
公式サイトPATA Official WEBSITE

PATA(パタ、本名:石塚 智昭(いしづか ともあき)、1965年〈昭和40年〉11月4日 - )は、日本のギタリストロックバンドX JAPANのメンバー。千葉県千葉市出身。血液型はB型。ステージネーム(屋号)はPATAだが、hideやファンからは「石塚(大)先生」と呼ばれている。由来は、漫画「パタリロ!」の主人公である「パタリロ・ド・マリネール8世」から。同単行本の44巻にPATA本人が登場している。
来歴

1965年11月4日、千葉県で生まれる。父親は教師だった。

1982年、自身のバンド「BLACK ROSE」を結成。後に「JUDY」と改名。

1985年、JUDYが解散。しばらくは特定のバンドに所属はしていなかったようである。

1987年1月、ギターパートのヘルパーとしてX(X JAPAN)のレコーディングに参加。同年4月、ギタリストのISAOが事故で脱退となったXのライブに再びヘルパーとして呼ばれ、ライブ後にそのまま正式加入となる。

1989年4月21日、Xのギタリストとしてメジャーデビュー。

1992年8月24日、XからX JAPANに改名。

1993年11月4日、アルバム『PATA』でソロデビュー。

1994年1996年hide solo tourに出演。

1997年9月22日、X JAPAN解散を発表。

1997年12月31日、X JAPANがThe Last Liveをもって解散。

1998年2月21日、元MAKE-UPのヴォーカリストNoBとP.A.Fを結成しシングル「LOVE & FAKE」でデビュー。

1998年、hide with Spread Beaverのツアーにゲストギタリストとして出演。

1999年5月1日、X JAPANのベーシストだったHEATHとhide with Spread BeaverのI.N.Aと組んで『hide TRIBUTE SPIRITS』にhideのデモテープを使った「CELEBRATION」を提供。

2000年秋、hide TRIBUTEで組んだheath、I.N.AとDope HEADzを結成。ラジオ番組でDope HEADzのヴォーカリストを募集するという企画を敢行。

2001年2月22日、Dope HEADzが新人ヴォーカリストJO:YAを加えシングル「GLOW」でデビュー。

2002年鈴木享明(B/ex.TENSAWThe TOYS)と向山テツ(Dr/ex.Cocco, ex.RED WARRIORS)と共にRa:IN(ライン)を結成(サポートメンバーであったD.I.E2007年に正式メンバーとして加入)。

2003年3月、Dope HEADz活動休止。

2007年、X JAPAN再結成。

2007年10月22日、X JAPAN再結成イベント。アクアシティお台場にて「I.V.」PV撮影。

2008年3月28日?30日、東京ドームにてX JAPAN 3 DAYSライブ『攻撃再開 2008 I.V.?破滅に向かって?』開催
(28日『?破壊の夜?』 29日『?無謀な夜?』(追加公演) 30日『?創造の夜?』)。

2008年5月3日 、Ra:INのメンバーとして、そしてhide with Spread Beaverのゲストギタリストとして、5月4日、X JAPANのメンバーとして、hide memorial summit(hide十周忌追悼ライブ(多数のバンドやミュージシャンが出演のライブ))に出演。

2008年7月5日のパリ、8月2日の台北、9月13日のニューヨークのX JAPANの公演の発表後、世界各国から公演依頼が殺到し、2008年6月現在発表している以外の日本を含め、全世界を回る大規模なツアーを予定していたが、YOSHIKIの持病の頸椎椎間板ヘルニアと腱鞘炎が悪化した為、全公演の延期を決定。

2008年7月19日、自身が出演したロック映画「attitude」が下北沢トリウッドにて封切り。

2008年8月1日、目黒鹿鳴館で行われたDYNAMITE TOMMY監督の映画「attitude」上映記念ライブ「ROCK ALIVE」に"TOKYOYANKEES + PATA"名義で出演。TAIJIとの久しぶりの競演を果たす。

2016年1月15日、Ra:INのライブをキャンセルし、体調不良で入院する。2月3日には、YOSHIKIから大腸憩室炎と門脈塞栓症を併発していることが発表され、X JAPANのアルバムとライブ活動が延期になる。

2016年3月18日、SXSW 2016でのYOSHIKIのスピーチにて、退院したことが明らかにされたが、8月に手術のため再入院し、8月10日に自身のフェイスブックで退院を報告[2]

人物

バンドのメンバーの中で最も温厚な人物で知られる。ファンからはPATAと呼ばれずに、本名をもじって石塚先生と呼ばれている。

かなりの酒豪として知られる。酒にまつわる逸話や伝説が多いXJAPANにおいて、酔っても暴れたりする事も無く静かに酒を嗜み、かなりの酒量を呑んでも素面の時と変わらないと言われる程で、XJAPANのメンバー、関係者、ミュージシャン仲間の間でも「1番酒が強いのはPATA」と言われている。また、hideを酒好きにした当事者でもある。尚、近年は麦焼酎の緑茶割りを好んでいる。また、1996年に開催されたhideのソロツアーでは、トーク中にhideから「野球とビールと石塚智昭」と紹介されてる。

メシと酒は両立しない!と、酒を呑むときは別のお店で食事を済ませ、それから行きつけの飲み屋などへ行く事が多い。尚、自宅では殆ど酒は呑まないという。

呑み仲間、?み友達は幅広く音楽業界に留まらず、お笑いコンビ
ライセンス井本貴史もその一人で、一緒に飲み屋をハシゴしたり、夜店で一緒に型抜きに興じるなど仲が良い。

酒はX加入時の時点で既に酒豪の域だったそうだが、煙草を覚えたのは意外にも遅く、Jealousyのレコーディングで渡米した時であった。

ゲームも好きで、所謂アクション系やFPS等の操作が忙しいジャンルではなく、RPG系をまったりと遊ぶのを好む。特にドラゴンクエストシリーズを好んでおり、1度始めるとのめり込んで連絡がつかなくなる。後輩であるLADIESROOMGEORGE曰く、「あの人ドラクエが発売されると、完璧にクリアするまで電話絶対出ないの。で、全部クリアしたら俺にメールがあるの」という程。

音楽的なルーツとしてはビートルズから始まり、その後は60年代後期?70年代のハードロックを聞くようになり、特にJeff BeckCheap TrickDeep PupleLed Zeppelinと言ったアーティストを愛聴していた。その後80年代に入るとSaxonTygers of Pan Tang等のブリティッシュメタルも好むようになり、X加入後は似たようなバンドが好きだったHIDEとよく音楽談義をしていたそうだが、美しいツインギターのハーモニーやサビのメロディ、楽曲の構築がしっかりしたIron Maidenのようなバンドを好むHIDEと、上記に挙げたバンドのようにツインギターに拘らず、リフやリズムが前面に出てくるバンドを好むPATAという、微妙にバンドの好みが違う2人は時々「サクソンとメイデン、どっちがどうだ・・・」等、好みのバンドで意見が対立する事もあった。PATAは当時を振り返り、派閥争いではないが「昔はそういうのあったじゃないですか(笑)」と懐かしんでいた。

中学時代にCheap Trickのギタリストであるリック・ニールセンに憧れたのがギターを始めた切っ掛けで、最初のギターは妹が持っていたアコースティックギターである。最初にコピーしたのは本人の記憶では「Cheap Trickのドリームポリスあたりの曲じゃないかな」との事。尚、このアコースティックギターは今もPATAが所有している。

最初のエレキギターはストラトキャスターのコピーモデルであった。本当はエクスプローラーが欲しかったが、当時はコピーモデルでも値段が高く、また同時期に元Deep Pupleのギタリストであったリッチー・ブラックモア(当時はRAINBOWのギタリストとして活躍)に影響を受けていた時期であり、時代的にもエレキでハードロックをやるならば、リッチー・ブラックモアのギターはコピーしなければいけないという風潮もあり、じゃあストラトにしようという事で、ストラトモデルを購入したという。

高校時代も相変わらずリッチー・ブラックモアが1番のお気に入りで、「誰が何と言おうとリッチー・ブラックモアだった。他にもマイケル・シェンカーとか好きなギタリストは居たけどリッチーがダントツだったな」と言うほどで、ポスターも山ほど所有していたという。ただ、ルックスやギタープレイ、ステージアクションは大好きであったが、リッチー・ブラックモアの破天荒な性格に関しては、「あの性格は真似しようにも真似できない、あの人こそパタリロっぽいと思う」と言っている。


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