P-T境界の大絶滅と同時に、地上や海中において堆積した炭酸塩岩中の炭素同位体比が急変したことが確認されている。地球の炭素は質量数12の12Cと質量数13の13Cが約99:1の比率で存在しているが[54]、この炭素同位体比率を測定すると、空中の二酸化炭素、生物体内の有機物など存在する場所によって微妙に異なっている。地質年代に起こった出来事を分析するのにこの炭素同位体比を比較する手法が最近重要視されている。同位体比は標準物質[55]の13C比率との偏差の千分率(‰)で表され、一般にδ13C と表記される。同位体比が変化する原因は生物活動による。光合成生物が大気中の二酸化炭素[56]を固定する際に12Cをより多く取り入れるため、植物や植物を食べた動物のδ13Cは元の二酸化炭素より低い値(-20から-25‰)をとる。生物が死後分解されずに地中に埋没すると、その分だけ大気の12Cが減ってδ13Cがプラス側に推移する。生物の死骸が変化してできた石炭、石油、天然ガス(主成分はメタン)、メタンハイドレート等のδ13Cの値も大きなマイナス値を示す。海洋で堆積する石灰岩は、化学的に堆積したものも生物活動に由来するものも大気中の二酸化炭素を原料として作られるため、石灰岩のδ13Cの変化は、大気中の二酸化炭素のそれを反映している。ペルム紀後期の石灰岩のδ13Cはほぼ3-4‰で安定していたが、P-T境界で急激に低下し-2‰の値をとり、三畳紀初頭に0-1‰まで回復する。この変動のピークは2回あり急激な変動の期間は約16万年と見積もられている[57]。この急激なδ13Cの変化は大気中の二酸化炭素の変化を示すもので、必然的に地球全体で同時に生起した。海中以外でも陸上のP-T境界の地層に同様の変動が記録されており大絶滅が地上でも同時に起こったことの証拠とされ、またP-T境界の地層を特定するための指標として使われている。この急激なδ13Cの低下の原因については、生物起源の有機物の空中への大量放出や、光合成生物の激減による炭素分別の停止などが考えられる。今まで下記のような仮説が提出されているがどの仮説も決定的な証拠は出ていない[58]。
温暖化に伴うメタンハイドレートの大量放出
当時大量に石炭が堆積していたシベリアに洪水玄武岩の流出した結果発生した石炭の分解・燃焼
全世界で地上の草木が激減して土壌が露出・流出し、土壌中の有機物が酸化された
植物が死滅してしまい光合成が長期間低下した結果、大気中の二酸化炭素のδ13C値が火山ガスの値に近づいた
なおメタンの発生に関しては、微生物の働きによるとする意見もある[59]。 恐竜が絶滅した事件である「K-Pg境界」においては、巨大な隕石が落下したことが確実視されつつある。巨大な隕石が地球に落下した場合の環境への影響は大きく、大絶滅を起こしうるためP-T境界においてもクレーターの探索が行われており、オーストラリア[60]や南極において巨大クレーター発見の報告がなされている。巨大隕石が地球に落下したK-Pg境界では次のような現象が確認されており、生物が大量に死滅する状況を表している[61]。 4項目目以後については確認されていない。地球外物質の落下がP-T境界の大絶滅の直接原因となった可能性は今のところ高くない。
巨大隕石の落下の可能性
落下の衝撃による巨大クレーターの存在
衝突に伴って発生した空中に飛散した塵(ダスト雲)からの砕屑物の層が地球規模で広がっている。大量のダストが地球全体を覆ったと考えられる。
地球外からもたらされたと判断される元素の濃集、K-Pg境界ではイリジウムの濃集が判明している。
隕石衝突のエネルギーによる全地球的な森林火事の発生、K-Pg境界の地層から白亜紀の地上に存在した森林の6分の一が燃えた量に相当する大量の煤が発見されている[62]。本体の隕石からの高熱以外に落下地点から飛び散った破片が大気圏へ再落下するときの熱が火元となって、落下地点から離れた場所でも火災が起こった可能性がある[63]。
衝突により発生した巨大津波(最大波高300m)の証拠
絶滅からの生物多様性回復の遅れP-T境界後の三畳紀の陸地に広範に繁殖したミズニラ類の現生種(ミズニラ Isoetes japonica
過去のすべての大絶滅事件の後には、絶滅した生物種に代わって次世代の生物が繁栄して生物多様性が回復した。たとえばK-Pg境界では恐竜に代表される大型爬虫類のほとんどが絶滅した後、数十万年[64][65]で哺乳類や鳥類が多様性をもたらした。P-T境界において生物多様性の回復は非常に遅れ[66]、400万年後においても種の数が回復せず、本格的に回復したのは約1000万年後[64]である。生物多様性の回復が遅れた原因は、P-T境界後も引き続き地球環境が生物の生存に対して厳しい条件にあった可能性が考えられる[67]。 アメリカのテキサス州のペルム紀の海洋地層では底生生物数千種、そのうち巻貝が数百種が確認されているが、ユタ州の砂岩・石灰岩地帯で採取される大絶滅後の三畳紀初期の地層には底生の生物22属、巻き貝化石の種類は9-10種類しか見つかっていない[68][69]。また世界各地の三畳紀初期の地層には二枚貝の「クラライア」や腕足類の「リンギュラ」のみが数百万以上かたまって見つかる場合も多い[70]。この2種類は通常は低酸素条件下に生息する生物で、当時の浅海は引き続き低酸素状態であった可能性が示唆されている[71]。さらに上記スーパーアノキシアがP-T境界後も約1000万年間継続していることと整合している[72]。 またクラライアやリンギュラの同一種は、ユタ州、北イタリア、イラン、中国南部、日本でも三畳紀初頭の化石の主体として確認されており[73]、この期間は種の多様性が著しく低下していた。クラライアやリンギュラは他の生物が出現し始める前期三畳紀の終わりにはまれにしか見つからなくなる[74]。 ストロマトライトは原生代に繁栄した微生物群集によって構築された堆積岩でありカンブリア紀以後姿を消していたが、三畳紀初頭の海洋で広範囲に分布していた。ストロマトライトは現在でもオーストラリアのシャーク湾等で見ることができるが、捕食者に対する防御に欠けるため他の生物が生息できない条件[75]で生きている。この三畳紀初頭のストロマトライトの化石がドイツ[76]・アメリカ西部・トルコ・グリーンランド・中国南部・イラン・日本で見つかっており、400から500万年の間浅海で繁栄していた[77]。この期間の海洋においてストロマトライトを捕食する生物が激減していたと考えられる。 上記のように前期三畳紀の地層からは今のところ石炭が見つかっていない。石炭の元となる泥炭地の植物が激減したと思われる[78]。オーストラリアの三畳紀初頭の地層からは小さいミズニラ、背の低いヒカゲノカズラ、種子シダ、トクサ、少数の針葉樹が見つかっている。特にミズニラ類のアイソエステは13の新種が前期三畳紀の湿地・氾濫原・砂漠などに広がった。当時熱帯に位置していたヨーロッパでもミズニラはヒカゲノカズラとともに主要な植物であった。これら前期三畳紀に特有な植物から中生代を代表する針葉樹に植生が変るのはオーストラリアとヨーロッパでは中期三畳紀の始め、中国では中期三畳紀の後半であった[79]。 岐阜県各務原市と愛知県犬山市の県境、岐阜県大垣市赤坂、京都府福知山市、徳島県天神丸、高知県伊野町、愛媛県東宇和郡城川町、大分県津久見市佐伯市、宮崎県西臼杵郡高千穂町上村にある[80][81][82][83]。
化石として見つかる種の数が少ない
ストロマトライトの繁栄
植物の状況
日本国内におけるP-T境界
犬山 美濃帯 黒色チャート 黒色有機質泥岩
赤坂 石灰岩 5mm 酸性凝灰岩
福知山 丹波帯 チャート
天神丸 秩父帯 チャート
伊野町 秩父帯 チャート
佐伯 秩父帯
城川 ドロマイト
上村 秩父帯 ドロマイト 1?3mm 淡緑色粘土層
顕生代の内訳のグラフ地質時代区分表は地質時代を参照
Size:53 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef