P-6
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「P-6」はこの項目へ転送されています。ソビエト連邦製の対艦ミサイルについては「P-6 (ミサイル)」をご覧ください。

新京阪鉄道P-6形電車
105ほか4連の急行(1953年)
基本情報
運用者新京阪鉄道
京阪電気鉄道
京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)
製造所汽車製造日本車輌製造川崎造船所田中車輌
製造年1927年 - 1929年
製造数73両
廃車1973年
主要諸元
軌間1,435 mm
主電動機出力200 HP × 4
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新京阪鉄道P-6形電車(しんけいはんてつどうP-6がたでんしゃ)は、阪急京都線の前身となる新京阪鉄道1927年から1929年にかけて導入した電車である。新京阪鉄道当初の形式称号「P-6」のほか、形式記号を付与した京阪電気鉄道時代の「デイ100」、京阪神急行電鉄発足後の「100形」「100系」の名でも呼ばれる。

戦前大阪京都府境の大山崎付近における新京阪線と国鉄東海道本線の並行区間において、国鉄の特急列車」を追い抜いたというエピソードがあり、鉄道ファンからは伝説視されている。
概要

淀川西岸に京阪間のバイパス路線を計画していた京阪電気鉄道は、1918年に取得した軌道特許を1922年に地方鉄道法による免許に改め、子会社として新京阪鉄道を設立した[1]

新京阪の本線の線路は高規格なものとなり、最小曲線半径600m、最大勾配10パーミルで直線主体の線形、線路は1,435mm標準軌で、レールはアメリカ合衆国製の50kg/m(100ポンド/1ヤード)相当の重軌条[注 1]が採用された[2]。頻発運転の各駅停車を高速運転の特急が追い抜く構想から、多数の駅で待避線を設ける余地を持っていた[2]。この本線の開業に合わせて、1927年に日本初の本格的長距離高速電車となるP-6が登場した[3][4]

P-6は1928年1月の淡路 - 高槻町間の開業に備えて投入され、1929年までに73両が製造された[3][4]。「P-6」の呼称はP-5に続くもので、PはPassenger car(客車)に由来するものとされている[2]アメリカ合衆国インターアーバン調の風貌の19m級大型車体に、電車用では大容量の200馬力(150kW)級主電動機を装架、最高速度120km/hでの運転が可能であり[5]、「東洋一の電車」とも称された[6][7]

P-6は当時の技術の粋を結集して製造され、長距離高速電車の草分けとなった[8]。同時期には阪和電気鉄道モヨ100系参宮急行電鉄2200系南海鉄道モハ301形鉄道省モハ42系などが登場している[9]
仕様
車体

19m級広幅2扉の両運転台車体である。設計寸法はヤード・ポンド法に準拠しており、初期の図面は英語で記載されていた[注 2]。寸法は車体長60フィート(18.288m)、車体幅9フィート2インチ(2.79m)となる。車端部に便所を設置し、P-6を上回る車体長66フィート(20.108m)級車の計画図も存在した[2]

車体は直線基調のリベット組立車体であり、台枠は魚腹台枠を用いている。設計に際しては、アメリカへの視察を行い参考にされた[10]

全鋼製車と半鋼製車があり、製造所の違いも含めてリベットの配列や屋根隅のRに差が見られる[3][6]。全鋼製車は屋根までリベット打ちの鋼板張り、半鋼製車は屋根が木製防水キャンバス張りに変更されている。新造時の扉配置は電動車・制御車共にd1(1)D 10 D(1)1d(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)で車体はほぼ完全に共通設計であった。

構体は、鋼製車では台枠の上に柱を立てる設計が後に一般化したが、P-6は台枠の側面に柱を立たせる木造車の手法を用いた[11]。このため柱を固定するガセット(隅当て)が多く、外板と車内化粧板の間の空間には埋木もある。車体だけでも35tの重量となり、正雀工場のクレーンもこの重量を意識して設計されている[11]。特に全鋼製電動車は自重52tの超重量に達したが、公式には全鋼製・半鋼製車ともに自重41.66t(46英トン)として認可されている。

P-6で確立した19m級車体は、阪急では第二次世界大戦後の710系810系において3線統一車体寸法として採用された[12]
電装品

電装品には、主として東洋電機製造製の国産機器が装備された。東洋電機製造はイングリッシュ・エレクトリック社(EE社:English Electric Co.)と提携してイギリス系の技術を積極的に導入し、京阪向けにもEE社製品のデッドコピー品を中心に様々な機器を納入していた。P-6では東洋電機製造の製品としては当時の最上位に位置づけられる高級品が多用された。

主電動機は定格出力200馬力(149kW)の東洋電機TDK-527形[11](端子電圧750V時、定格回転数805rpm)、歯数比は2.346であった[13]

制御器は東洋電機製造製ES-504形で、制御段数が9段の電動カム軸式である[11]。高速走行に備え界磁接触器を制御器に搭載、弱め界磁制御に対応している。
台車

台車汽車製造製で、ボールドウィンA・AA形台車類似のビルドアップ・イコライザー台車(帯鋼リベット組立構造)である。A・Bの2種が存在し、台車枠の形状が異なっている[14]。A形にはA-A形とA-B形の2種があり、合計3種が存在した。

1929年10月、122・501の2両でブリル社製の27-MCB-4X台車が試用された[15]。日本に輸入されたブリル台車としては最大級のもので、乗り心地には定評があった[16]日本製鋼所のライセンス製品で、基礎ブレーキが原型の内側片押し式から両抱き式に改造されている[15]。晩年は付随台車となったが、2両分の台車は廃車時まで使用された[16]

121・502の2両はローラーベアリング付き台車を試用したが、早い時期に取り外されている[15]
ブレーキ

自動空気ブレーキは、アメリカのウェスティングハウス・エアブレーキ(WABCO)社製のU-5自在弁を採用した[11]

ブレーキ機構に空気圧を供給するエアコンプレッサーは、新造時にはU弁にとっての純正部品であるウェスティングハウス・エレクトリック(WH)社製D-3-Fが採用された。戦後は一部が日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)製のD-3-FやD-3-N[注 3]、あるいは東芝製RCP-78B/D[注 4]などに交換されている。


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