P&Gサンホーム
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プロクター・アンド・ギャンブル > プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン

プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン株式会社
The Procter&Gamble Company of Japan Limited
本社を構える三宮ビル北館
種類株式会社
略称P&Gジャパン、P&G Japan
本社所在地 日本
〒651-0088
兵庫県神戸市中央区小野柄通七丁目1番18号
北緯34度41分36.1秒 東経135度11分45.8秒 / 北緯34.693361度 東経135.196056度 / 34.693361; 135.196056座標: 北緯34度41分36.1秒 東経135度11分45.8秒 / 北緯34.693361度 東経135.196056度 / 34.693361; 135.196056
設立2006年3月3日
業種化学
法人番号1140001024801
事業内容日本における洗濯洗浄関連製品・紙製品・医薬部外品・化粧品・食品・ペットフード・小型家電製品などの研究開発、販売、輸出入
代表者スタニスラブ・ベセラ(代表取締役社長)
資本金232億円(2018年6月30日現在)[1]
売上高2,717億68百万円(2018年6月期)[1]
営業利益59億92百万円(2018年6月期)[1]
経常利益88億63百万円(2018年6月期)[1]
純利益68億75百万円(2018年6月期)[1]
純資産773億18百万円(2018年6月30日現在)[1]
総資産1,328億99百万円
(2018年6月30日現在)[1]
従業員数4,600名
決算期6月30日
主要株主プロクター・アンド・ギャンブル
外部リンクhttps://jp.pg.com/
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旧本社ビル

プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン株式会社(P&Gジャパン、: The Procter&Gamble Company of Japan Limited)は、アメリカ合衆国に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカーである、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)の日本における子会社であり、P&Gの名称で活動している。

日本は販売戦略の重要な拠点と位置づけられており、シニアエグゼクティブオフィサーの桐山一憲、2013年までP&G米国本社のCEOで、オバマ政権下で退役軍事長官を務めたボブ・マクドナルドもP&Gジャパンの社長を経験している。日本法人の代表商品として家庭用合成洗剤のジョイ紙おむつパンパース等がある。
目次

1 歴史

2 日本で発売されている主な商品

3 日本での宣伝活動および提供番組

4 歴代キャッチコピー

5 脚注

6 外部リンク

6.1 ブランドサイト


歴史

1969年 - ミツワ石鹸第一工業製薬旭電化工業の3社の合同出資により、日本サンホームを設立。製造はこの3社が担当。

1972年 - 米P&Gが日本サンホームを買収。米P&G・日本サンホーム・伊藤忠商事の3社合同でプロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム株式会社(P&Gサンホーム)を大阪府大阪市に設立[2]。この時、ミツワ石鹸がP&Gの買収に反対し、日本サンホームから離脱。

1973年 - P&Gサンホームが日本サンホームの全事業を継承、営業を開始。日本国内でのP&G製品第1号は『全温度チアー』。

1975年 - かつて日本サンホームの出資会社の1社だったミツワ石鹸が倒産。ミツワ石鹸の商標(同社が製造していた薬用石鹸『ミューズ』など)・営業権を買収し、プロクター・アンド・ギャンブル石鹸株式会社(P&G石鹸)を設立。

1976年 - 米P&Gが日本プロクター・アンド・ギャンブル株式会社(日本P&G)を100%出資で設立。

1977年 - 日本初の乳幼児用紙おむつ『パンパース』発売。

1978年 - 日本P&Gが伊藤忠商事からP&Gサンホームの株を買収し、子会社化。

1984年 - 関連会社5社(日本P&G、P&Gサンホーム、P&G石鹸、P&Gサンホーム工業、日本P&G産業)を統合、プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク(P&Gファー・イースト)を設立。

1985年 - 米P&Gによるリチャードソン・ヴィックス社の買収に伴い、リチャードソン・ヴィックス社の日本法人である日本ヴィックス株式会社がP&G傘下になる。

1988年 - 日本ヴィックスがプロクター・アンド・ギャンブル・ヘルスケア株式会社(P&Gヘルスケア)に社名変更。

1991年 - 米P&Gがマックスファクター社を買収。それに伴い、同社の日本法人の株を100%買収。化粧品事業に進出。

1993年 - 兵庫県神戸市東灘区六甲アイランドに新社屋が完成。本社を大阪市から移転。

1994年 - ポテトチップス『プリングルズ』発売。製菓事業[3]に進出。

1995年 - 阪神・淡路大震災で本社ビルと明石工場が被災。

1996年 - P&Gヘルスケアの事業をマックスファクターへ統合。

1998年 - 哺乳瓶用消毒剤『ミルトン』のブランドおよび事業を杏林製薬に譲渡。

2000年 - 製造部門をピー・アンド・ジー株式会社として分社化。

2001年 - 『アイムス』ブランドが日本進出、ペットフード市場に進出。

2001年 - 国内の法人組織をプロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク、マックスファクター株式会社、ピー・アンド・ジー・ノースイースト・アジア・ピーティーイー・リミテッド、ピー・アンド・ジー株式会社、プロクター・アンド・ギャンブル・アジア・ピーティーイー・リミテッド、アイムス・ジャパン株式会社の5社に再編。

2003年 - ヴィックスなど医薬品事業を大正製薬に譲渡[4]し、医薬品事業から撤退。

2004年 - 単独提供していた『TIME OVER』参加視聴者の個人情報を流出させる事件が発生。問題のCD-ROMは製作局のBS-iが無事回収。

2006年 - P&Gファー・イーストの国内事業を、新設のプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン株式会社(P&Gジャパン)に移管。また、第一工業製薬時代からの最古参商品だった『モノゲン』シリーズが販売終了。

2007年 - マックスファクター株式会社がP&Gマックスファクター合同会社に改組・社名変更。また、ジレット・ジャパン・エルエルシーの事業をP&Gジャパンに移管し、ジレット・ジャパン・エルエルシーを解散。

2007年 - 1975年以来保持していたミツワ石鹸の商標を玉の肌石鹸に譲渡。

2008年 - アイムスジャパンを吸収合併。

2008年 - 旧ミツワ石鹸時代からの古参商品『ミューズ』の商標をレキットベンキーザー・ジャパンに譲渡[5]

2009年 - 日本初のクエン酸配合洗剤『さらさ』発売。

2010年 - ウエラの事業をP&Gジャパンに移管し、ウエラジャパンを解散。

2012年 - プリングルズの事業を日本ケロッグに譲渡。

2014年 - 六甲アイランドにある本社社屋[6]を貿易・コンサルティング業の剣豪集団に売却[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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