二世部隊は、ビルマ周辺の山岳民族を組織してゲリラ部隊と協力して日本軍と戦い、海南島の捕虜収容所で捕虜を解放。その後香港へ向かい1945年9月16日、ペニンシュラホテルでの降伏調印式を見守った。ラルフ円福(Ralph Yempuku)もその一人だった。ハワイの興行プロモーターで、日米の橋渡しも果たした斯界の大物として知られる[16]。弟のドナルドは、日本で職を得て帰化してから、同じ場所で日本軍将校の通訳をしていた。そのとき敵である兄に声をかけられなかった[17]。
ナチスドイツの降伏後、アメリカ側に投降した陸軍少将ラインハルト・ゲーレンのアメリカ密入国に関わり、対ソ諜報組織の「ゲーレン機関」を創設した。
参考文献
田中英道『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」―二段階革命理論と憲法』展転社、2011年7月
加藤哲郎『象徴天皇制の起源―アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社新書、2005年7月
吉倫亨「1945年、26日間の独立」吉永憲史 訳、ハガツサ 2023年
関連文献
吉田一彦『情報で世界を操った男』新潮社、1997年
太田茂『OSSの全貌―CIAの前身となった諜報機関の光と影』芙蓉書房出版、2022年
脚注^ a b 読売新聞 2008年8月15日「J・フォード監督の名も、米CIA前身の工作員名公開」記事
^ 【一筆多論】バチカンと外交協力深めよ 岡部伸 - 産経新聞(2019年11月26日配信、2021年4月16日閲覧)
^ 日本のスパイ養成「中野学校」をご存知ですか - 東亜日報(2021年4月3日配信、2021年4月16日閲覧)
^ CIAが採用している「スパイたちの意外な前職」とは - DIAMONDonline(2020年11月30日配信、2021年4月16日閲覧)
^ ドノバンの陰で次の4人が強く影響したといわれる。
ルイス・マウントバッテン
en:Charles Hambro, Baron Hambro
スチュワート・メンジーズ
en:William Stephenson
参考文献は以下。
Richard Smith The Secret History of America's First Central Intelligence Agency Rowman & Littlefield, 2005.8, p/29. p.157. pp.265-268.
Douglas Waller Wild Bill Donovan Simon and Schuster, 2012.2, pp.141-143.
^ R. Harwood Nuremberg and other War Crimes Trials Historical Revew Press, 1978 p.9. ; Donald Gibson The Kennedy Assassination Cover-up Nova Publishers, 2000 pp.228-229.
^ 田中(2011)
^ 英: Project Olivia
^ 吉倫亨(2023) p.270
^ 吉倫亨(2023) p.270
^ 吉倫亨(2023) p.271
^ 吉倫亨(2023) p.272
^ 吉倫亨(2023) p.274
^ 吉倫亨(2023) p.279
^ 春名幹男 『秘密のファイル CIAの対日工作 上』 共同通信社 2000年 pp.9-51.
^ 野地秩嘉『ビートルズを呼んだ男―伝説の呼び屋・永島達司の生涯』
^ トミ・カイザワ・ネイフラー『引き裂かれた家族』NHK出版
関連項目
ドナルド・キーン
特殊作戦執行部
アレン・ウェルシュ・ダレス(OSSベルン支局長 のちCIA長官)
民航空運公司
クラヴ・マガ