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8月9日には金九とウィリアム・ドノバンの訪問を受け、侵入部隊を率いるウィリアム・バード(William Bird)中国戦区OSS副司令官は隊員らに出撃待機を命令したが、8月10日に突如、日本のポツダム宣言受諾の報に触れることとなり、OSSと光復軍は作戦変更を余儀なくされた。OSSは東北野戦司令部を編成し、急遽朝鮮半島に派遣することを命じた。新たな任務は情報収集、朝鮮総督府や日本軍の文書押収、連合軍捕虜の救護と送還などであった[13]。総責任者はウィリアム・バードであったが、ジョン・リード・ホッジ中将に引き継がれ、イーグル・プロジェクトは10月1日に正式に解体された[14]

一方、タイ王国イギリスから爆撃されてピブン政権枢軸国の一員として宣戦布告した。しかし駐米大使セーニー・プラーモートが宣戦布告の通達を拒否した上、合衆国政府と計って留学生らを組織し抗日運動「自由タイ運動」を展開した。留学生の内21名がOSSに入隊し、タイ国内における諜報活動等の準備をすすめ、地下活動の訓練を受けた後、タイ国内に潜入し、終戦時には5万人以上のレジスタンスを組織するまでにいたった。なお、現在、タイ・シルクの有名ブランドである『ジム・トンプソン』の創立者ジム・トンプソンは、OSSのバンコク支局長としてタイに入国したのが、その後のビジネスを興す契機となった。

日本の真珠湾攻撃を受けたときは、寺崎英成が一家で訪れていたバージニア州アレクサンドリアのコリングウッドレストランを日系一世・二世要員の詰め所にした。このレストランは1974年に廃業した。3年後にフリーメイソンの米軍人支部が取得し、現在の Collingwood Library & Museum に改装された。一家は連邦捜査局(FBI)に引き離され、監視された[15]

二世部隊は、ビルマ周辺の山岳民族を組織してゲリラ部隊と協力して日本軍と戦い、海南島の捕虜収容所で捕虜を解放。その後香港へ向かい1945年9月16日、ペニンシュラホテルでの降伏調印式を見守った。ラルフ円福(Ralph Yempuku)もその一人だった。ハワイの興行プロモーターで、日米の橋渡しも果たした斯界の大物として知られる[16]。弟のドナルドは、日本で職を得て帰化してから、同じ場所で日本軍将校の通訳をしていた。そのとき敵である兄に声をかけられなかった[17]

ナチスドイツの降伏後、アメリカ側に投降した陸軍少将ラインハルト・ゲーレンのアメリカ密入国に関わり、対ソ諜報組織の「ゲーレン機関」を創設した。
参考文献

田中英道『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」―二段階革命理論と憲法』展転社、2011年7月

加藤哲郎象徴天皇制の起源―アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社新書、2005年7月

吉倫亨「1945年、26日間の独立」吉永憲史 訳、ハガツサ 2023年

関連文献


吉田一彦『情報で世界を操った男』新潮社、1997年

太田茂『OSSの全貌―CIAの前身となった諜報機関の光と影』芙蓉書房出版、2022年

脚注^ a b 読売新聞 2008年8月15日「J・フォード監督の名も、米CIA前身の工作員名公開」記事
^ 【一筆多論】バチカンと外交協力深めよ 岡部伸 - 産経新聞(2019年11月26日配信、2021年4月16日閲覧)
^ 日本のスパイ養成「中野学校」をご存知ですか - 東亜日報(2021年4月3日配信、2021年4月16日閲覧)
^ CIAが採用している「スパイたちの意外な前職」とは - DIAMONDonline(2020年11月30日配信、2021年4月16日閲覧)
^ ドノバンの陰で次の4人が強く影響したといわれる。
ルイス・マウントバッテン
en:Charles Hambro, Baron Hambro
スチュワート・メンジーズ
en:William Stephenson
参考文献は以下。
Richard Smith The Secret History of America's First Central Intelligence Agency Rowman & Littlefield, 2005.8, p/29. p.157. pp.265-268.
Douglas Waller Wild Bill Donovan Simon and Schuster, 2012.2, pp.141-143.
^ R. Harwood Nuremberg and other War Crimes Trials Historical Revew Press, 1978 p.9. ; Donald Gibson The Kennedy Assassination Cover-up Nova Publishers, 2000 pp.228-229.
^ 田中(2011)
^ : Project Olivia
^ 吉倫亨(2023) p.270
^ 吉倫亨(2023) p.270
^ 吉倫亨(2023) p.271
^ 吉倫亨(2023) p.272
^ 吉倫亨(2023) p.274
^ 吉倫亨(2023) p.279
^ 春名幹男 『秘密のファイル CIAの対日工作 上』 共同通信社 2000年 pp.9-51.
^ 野地秩嘉『ビートルズを呼んだ男―伝説の呼び屋・永島達司の生涯』
^ トミ・カイザワ・ネイフラー『引き裂かれた家族』NHK出版

関連項目

ドナルド・キーン

特殊作戦執行部

アレン・ウェルシュ・ダレス(OSSベルン支局長 のちCIA長官)

民航空運公司

クラヴ・マガ

ヒトラー女性化計画

スロバキア民衆蜂起

自由フランス自由フランス軍

フェアフィールド・インダストリーズ(英語版) - 元OSSでアメリカ対日協議会メンバーのケイ・スガハラが育てたグローバル企業

クレイン・ブリントン(英語版) - 歴史家であり、OSS職員であり、セント・ポール大聖堂Fire Marshalであった。

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、戦略情報局に関連するカテゴリがあります。

The Office of Strategic Services: America's First Intelligence Agency ? Central Intelligence Agency - CIA公式サイトのOSSの歴史(英文)

Records of the Office of Strategic Services, Washington Director's Office Administrative Files, 1941-1945 - 国立国会図書館が所蔵するOSS機密文書マイクロフィルムの情報

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