Odds_GP!
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Odds
ジャンル
自転車漫画[1]
競輪[1]
漫画:Odds -オッズ-
作者石渡治
出版社小学館
掲載誌週刊ヤングサンデー
スピリッツ増刊 YSスペシャル
レーベルヤングサンデーコミックス
発表号2006年14号 - YSスペシャル VOL.1
発表期間2006年 - 2008年9月
巻数全10巻
話数全106話
漫画:Odds plus 1
作者石渡治
出版社小学館
掲載誌スピリッツ増刊 YSスペシャル
レーベルヤングサンデーコミックス
発表号Vol.2 - VOL.5
発表期間2008年10月 - 2009年1月
巻数全1巻
話数全4話
漫画:Odds GP!
作者石渡治
出版社双葉社
掲載誌漫画アクション
レーベルアクションコミックス
発表号2009年4号 - 2013年24号
発表期間2009年2月3日[2] - 2013年12月3日
巻数全14巻
話数全116話
漫画:Odds VERSUS!
作者石渡治
出版社双葉社
掲載誌漫画アクション
レーベルアクションコミックス
発表号2014年2号 - 2023年22号
2024年3号 -
巻数全31巻
話数全107話
テンプレート - ノート
プロジェクト漫画
ポータル漫画

『Odds』(オッズ)は、石渡治による日本漫画競輪をテーマとした漫画のシリーズである。2006年からシリーズ開始。『Odds -オッズ-』のほか、続編の『Odds plus 1』、『Odds GP!』、『Odds VERSUS!』について説明する。
沿革

2006年から『Odds -オッズ-』のタイトルで『週刊ヤングサンデー』(小学館)に連載されたが[3]、同誌が2008年7月末で休刊となったため[1]、主人公が競輪学校を終えた時点で本編は「競輪学校編完結」(第1部・完)という形になった。その最終話は『スピリッツ増刊 YSスペシャル』VOL.1に掲載され、『YSスペシャル』VOL.2からVOL.5までは読み切りシリーズ『Odds plus 1』(Odds +1、オッズ プラスワン)が連載された[4]

その後、双葉社の『漫画アクション』へ移籍して再開し、『Odds GP!』(オッズ ジーピー)へ改題した続編を2009年2月3日発売の4号から2013年12月3日発売の24号まで連載[2]、さらに『Odds VERSUS!』(Odds VS!、オッズ バーサス)へ改題して2014年1月7日発売の2号から2023年22号まで連載[5]。2024年3号からスピンオフシリーズが連載開始。

なお、作中で登場する『競輪学校』については、現実の世界では2019年より現在の『日本競輪選手養成所』に改称されており、ここで研修を受ける者も競輪学校時代の『生徒』から『選手候補生』(単に『候補生』と呼ぶこともある)へと改称されている。また、作中では生徒は男子のみ、かつ年2回募集であった時代に描かれており、現在の養成所内の生活とは大きく異なる点も留意されたい。なお本項目では、作品発表時に合わせて、いずれも旧称である『競輪学校』、『生徒』で統一する。

2021年にシリーズが15周年を迎え、単行本が通巻で50冊刊行の記念として、『漫画アクション』2022年1号にて特集を掲載[3]。特集ではお祝いのコメントを宮尾岳曽田正人松本規之竹山祐右島本和彦が寄稿し、作者の石渡と競輪選手の高木真備の対談や、よしもとよしともがエッセイを発表といった内容となっている[3]
あらすじ

主人公、辻堂麟太郎はかつて自転車のロードレース競技で高校選手権2位を獲り、将来を期待されていた選手であった。

しかし、高校選手権と時を同じくして、母親と妹が自動車事故により他界。父親は植物状態となり、延命治療には毎月20万円という費用がかかるという。麟太郎はヨーロッパに渡ってロードレースの選手となるという夢を一旦封印し、より手っ取り早く大金を稼げる自転車競技「競輪」の選手となる決断をする。

競輪世界に入った麟太郎は、苦しみながらもロードレース選手としての肉体を捨てて『競輪選手の肉体』に改造することに成功し、競輪学校を卒業、晴れて競輪選手としてのデビューを迎えた。しかし、麟太郎の金銭的負担は当初の目論見よりも更に増えていた。

麟太郎は当初、競輪を単なる金儲けのための手段としか思っていなかったが、競輪学校の仲間や先輩たちと研鑽を重ね競輪の魅力を肌で感じ、本格的に競輪に取り組むことを決意。終生のライバル藤沢悠はロードレース界の、麟太郎は競輪界の頂上「ラルプ・デュエズ」を目指すことを共に誓い合い、麟太郎はバンクを駆け抜けるのだった。
主な登場人物
主人公と友人たち
辻堂麟太郎(つじどう りんたろう)
本作の主人公。通称・リンタ。東京都出身。高校時代はロードレース競技の選手として活躍するが、藤沢悠には勝てなかったため万年2位であった。高校時代最後のレース観戦を断ったために、事故で家族を失ったという自責の念(当然麟太郎には何の責任はない)から、父親の医療費と家族が暮らしたマンションを守るため、自転車で稼ぐことができる競輪選手の道を選ぶ。ホームバンクは最初は
立川競輪場、後に京王閣競輪場。脚質は先行であり、プロローグの時点ではS級2班に所属していた。Odds GP!開始時点ではA級3班所属でOdds GP!4巻時点ではA級2班への昇級、同13巻では3場所連続完全優勝でS級への昇級が決まった。優れた動体視力を生かしてロードレーサー時代から峠の下りを得意としていた。また「地脚のバケモノ」と評されるほどの驚異的なロードレーサー出身ならではの持久力を生かし、競輪学校ではバンクの斜面を利用してスパートをかける独自の戦術「ラルプ・デュエズ颪」「ガリビエカマシ」を生み出している。(但し、競輪学校では正攻法の走法を身に付けなくてはならず禁じ手になった)高校時代の愛車はジャイアントのTCR COMPOSITEで、装着されていたコンポはシマノULTEGRA。このTCRは亡き母親がへそくりでプレゼントしてくれたものだが、高校卒業時点でサイズが合わなくなっていたため、競輪学校入学時に同型・同年式でサイズが大きい中古フレームを調達し、部品を移植した。競輪学校受験時代は師匠の秋谷淳から譲られた中古のナガサワのトラックレーサーを使用していた。プロの競輪選手となって以降もロッソフェラーリに塗られたナガサワのフレームを使い続けていたが、地区プロのチームスプリントに参加するため、競技用ピストにのったことがきっかけで、自分にあったフレームの必要性を感じることになり、マキノ自転車工房製のフレームに乗り換えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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