OVA
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そのため、OVAの概念がさらに曖昧になっている。定額制動画配信サービスなどを提供する動画配信事業者においては、テレビアニメ、アニメ映画、OVA、といった初出メディアによる区別をせず、すべて「アニメ」として並列に提供していることも多い。あるいは、「テレビ番組」と「映画」とは別に「オリジナルビデオ」のカテゴリ分けしている場合でも、「書籍」の付録として発売されたOAD、ビデオスルー、配信サイトの自社制作アニメ、などといったものを全て「オリジナルビデオ」のアニメのカテゴリに入れている場合もある。
呼称

黎明期には「オリジナルビデオ」「ビデオアニメ」「アニメビデオ」「オリジナル・アニメーション・ビデオ」などと言った呼称が用いられた。しかし『月刊ニュータイプ』(角川書店)が1986年より「OVA」の呼称を積極的に使い始め、次第に一般化した。いわゆる「和製英語」であるが、海外でも「日本のアニメのオリジナルビデオ」という意味で使われる。

「オリジナル・ビデオ・アニメ」という呼称の初出は『ニュータイプ』誌以外の可能性もあるが、『ニュータイプ』誌における初出は創刊号(1985年3月発売)、「OVA」(読みは「オーブイエー」)という呼称の初出は1986年2月号「ビデオアニメ完全カタログ'86」である。同誌では1986年11月よりOVA評論コラム「秋姫のOVA放言録」が連載されており、「OVA」と書いて「オヴァ」と読むなどと小ネタを挟みつつも[2]、「OVA」という呼称の普及に一役買った。

「OVA」という用語は『ニュータイプ』が広めたものであったため一般化するまで他誌では使われなかった。1980年代当時は、学習研究社の『アニメディア』および『アニメV』が提唱した「OAV」(オリジナル・アニメーション・ビデオの略称)という呼称も一般的であったが、「AV」が「アダルトビデオ」や「オーディオ・ビジュアル」の略称と間違われやすいため、次第に用いられなくなっていったが『アニメディア』は2014年時点でもまだ「OAV」の呼称を使っている。

「ビデオ」とは、1990年代にはVHSビデオテープのことを指すことが多かったため、2000年代にVHSの衰退によりDVD専売のOVAが登場すると、OVAは「オリジナル・ヴィジュアル・アニメーション」[注釈 2]の略称ともされるようになった。『らき☆すたOVA』(2008年)が「オリジナルなビジュアルとアニメーション」を称している。
歴史
黎明期

1983年12月、世界初のオリジナルアニメのビデオソフトである『ダロス』が発売される。元々制作されなかったテレビアニメの作品の企画を、ビデオ向けにストーリーを再構築した上でビデオ販売を目的に製作されたものである。当時はビデオ市場の黎明期ということもあって、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(19,800円)など、1巻2万円近いアニメビデオが盛んにリリースされている中、『ダロス』は新作で1巻6,800円と買いやすい値段であったこともあり、全4巻で2万本を出荷するヒット作となった。

テレビアニメのようにスポンサーの資金に頼ることなく、ビデオの販売代金だけで製作費の回収が可能であることが判明すると、多くの発売・販売元が参入し、続々とオリジナルアニメのビデオが発売され始めた。OVAに限らず当時のビデオソフトはきわめて高価で、例えば『メガゾーン23』(1985年)は1巻13,800円、『幻夢戦記レダ』(1985年)は1巻12,000円であったが、それぞれ数万本を売り上げた。

1980年代中盤当時、ポストマクロス作品が不発に終わったことにより、高年齢層向けアニメが減少していた。そんな中、ビデオソフトとして展開されるオリジナル作品は、当時のテレビアニメが主な対象としていた少年層よりも年齢が高い、中高生以上のハイターゲット層向けアニメの発表の場として重要な位置を占めるようになった[3]

このようなムーブメントにアニメ雑誌の『アニメディア』(学研)が注目し、1985年6月、オリジナルアニメを専門に取り扱う『アニメV』が創刊された。1985年3月に創刊されたばかりの角川書店の『月刊ニュータイプ』も、1986年2月号で「OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)」の特集を組んだ。
1980年代後期

OVAがブームとなったことから、アニメを作ったことのないメーカーの新規参入が相次いだ。1987年当時の売れ筋ジャンルは、半裸の女性が主人公で宇宙を背景に「おーばり」メカが出てくるような男性向けSFヒロイックファンタジーで、これは製作陣も設定などを全部自分の頭の中で作ればよくて資料を集める手間がかからなくて楽なので[4]、たくさんリリースされた。アニメを作ったことのないメーカーでも、企画書と脚本と1350万円をもって当時のアニメ制作最大手であるAICに行けば3か月で作ってくれ、作画さえよければ脚本や演出がムタムタでもアニメファンに許され、そのような作品でもアニメ雑誌に広告を出しておけば悪い評価は受けず、ムービックに頼んでアニメイトでイベントを組んだりしておけばそこそこ売れたとのことで、アニメ雑誌の『月刊OUT』の連載漫画「魔法少女アンイーちゃん」(1987年)ではその安易さが指摘された。この連載漫画では、劇場版『プロジェクトA子』(1986年、2作目以降はOVA)が安易すぎて、『天空の城ラピュタ』(1986年)を製作中の宮崎駿に「セーラー服が機関銃撃って、走り回ってる様なもの」と怒られた件にも触れられている、『月刊OUT』自身も『活劇少女探偵団』(1986年)でOVAに手を出してそんな安易な作品を作り、不振の一因となったとのこと。

『月刊OUT』の連載漫画で揶揄された「おーばり」こと大張正己によると、当時の一般的なOVAの作監料はテレビアニメとは桁違いに高かったが、当時高評価を受けたAICの『戦え!!イクサー1』(1985年)は、自社をアピールするために、あえて安い予算でも良いものを作ろうと考えていたらしく実際に安かったという。しかし、企画から製作まで3か月というのは「夢がある」、AICなら「才能だけで監督まで登れる」と考え、参加したとのこと[5]。大張は実際、22歳にして『バブルガムクライシス』(1988年)の監督を務め、当時の最年少アニメ監督となった。

大張以外にも、『戦え!!イクサー1』『メガゾーン23』(1985年)の平野俊弘、『吸血姫美夕』(1988年)の垣野内成美、『冥王計画ゼオライマー』(1988年)の菊池通隆、と言った新進のアニメーターがOVAで頭角を現した。平野いわく、「テレビでできないことをやろうよ」[6]とのことで、ハイターゲット向けアニメは、基本的にテレビアニメよりもOVAとしてのリリースを主とするようになった。

OVAを盛り上げるイベントも盛んに開かれ、OVAがリリースされるたびに各地で試写会が行われた。特に1985年から1986年にかけて日本各地で行われた『幻夢戦記レダ』のイベントは、1985年末に大阪と東京で開催された『幻夢戦記レダ』&『吸血鬼ハンターD』試写会を中心として、『幻夢戦記レダ』のテーマソングを歌った新人アイドル歌手の秋本理央と、『吸血鬼ハンターD』のテーマソングを製作した無名時代のTMネットワークを起用した大々的なプロモーションが行われた。ただし、イベントなどは東京・大阪など都会で開かれることが多く、地方格差が大きかった。アニメイトでは定期的にイベントが行われていたが、そもそも地方にはアニメイトがなかった。
1980年代末期?1990年代

OVAのリリースタイトル数は右肩上がりに増え、1983年には1タイトルのみだったものが、1989年には300タイトルを超えるまでになった。

初期のOVAは、ほとんどが劇場アニメのフォーマットを模したもので、収録時間は60分から90分程度の内容のものが多かったが、1980年代後半になると、OVAもテレビアニメのように30分×数本のシリーズものが増えた。またシリーズ物はキャラクター、背景、音楽などの流用ができて製作費が抑えられるので、OVAの低価格化が進んだ[7]。例えば『機動警察パトレイバー』(1988年-1989年)は、劇中に広告を入れたりメディアミックスの手法を取ることで、1巻4,800円の低価格を実現し、また『銀河英雄伝説』(1988年-1989年)は、テレビアニメの制作方法を模すことで、1巻2,500円の低価格を実現した[8]

OVAという概念が確立した1986年当時は、原作付きOVAは「オリジナル」ではないとして、アニメファンには受け入れがたいものであったが[9]、OVAのリリースタイトル数の増加に伴い、次第に「原作付き」が増えた。1989年にリリースされた300タイトル超のOVAのうち、約40タイトルが原作付きとなった。原作付きは巻を重ねるものが多く、発売タイトル数ではなく巻数でカウントすると、「ビデオオリジナルタイトル」の比率はかなり少なくなった。
2000年代

2000年代に入ると、完全新作のタイトルは少なくなり、昔から展開されているシリーズ作品の続刊がほとんどとなったが、シリーズ展開を打ち切る作品が年を追うごとに増えていったため、OVAのリリース本数も売り上げも少なくなった。

それまでならOVAとして展開されていたはずのアニメシリーズは、深夜アニメを主としたテレビアニメとして放送されることの方が多くなり、特に独立局のテレビアニメはほとんどが深夜帯で放送され、OVAはあくまで深夜アニメの続編やサブストーリーとして展開されるケースが多くみられるようになった。深夜アニメが放送されるのは三大都市圏を主とした主要都市圏地上波局のみに限られることから、それらがテレビで視聴されることはあまり重視されておらず、視聴率も2%以上が高視聴率ラインとなっているように、平均的に低めである。玩具の販売促進を主とした子供向けアニメとは違い、深夜アニメは従来からのOVAの視聴層向けに、テレビ版にビデオオリジナルエピソードが追加された完全版DVD-BOXの購入や、単巻DVDの購入およびレンタルの促進を主とした宣伝戦略を取っていたので、バンダイビジュアルアニプレックスなどといったビデオの販売元が必ずスポンサーについていた。

この時期のオリジナルOVAでも、『ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン』(2005年)のように、IPを所有するスクウェア・エニックスの自社製作作品となっているのを活かし、DVDショップだけでなくゲームショップにも流通したことで日本出荷枚数100万枚[10]・海外140万枚[11]の大ヒットとなった作品も存在する。
2010年代

2010年代以降のOVAは、DVDやBDの売り上げ収入に加えて、dアニメストア(2012年7月開始)、バンダイチャンネル(2011年8月より月額見放題サービス開始)、Amazonプライムネットフリックスなどといった定額制動画配信サービスでの視聴を主としている。


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