O・R・タンボ国際空港
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O・R・タンボ国際空港
O.R. Tambo International Airport


IATA: JNB - ICAO: FAOR
概要
国・地域 南アフリカ共和国
所在地ハウテン州エクルレニ都市圏
母都市ヨハネスブルグ
種類商業
運営者南アフリカ空港会社(ACSA)
拠点航空会社南アフリカ航空
標高1,694 m (5,558 ft)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯26度8分21秒 東経28度14分45秒 / 南緯26.13917度 東経28.24583度 / -26.13917; 28.24583座標: 南緯26度8分21秒 東経28度14分45秒 / 南緯26.13917度 東経28.24583度 / -26.13917; 28.24583
公式サイトO.R.Tambo International Airport
地図
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滑走路

方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
03R/21L 有 3,400×60 アスファルト
03L/21R 有 4,418×61 アスファルト

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O・R・タンボ国際空港(O・R・タンボこくさいくうこう、英語: O.R. Tambo International Airport)は、南アフリカ共和国ハウテン州エクルレニ都市圏にある国際空港である。

2006年、ヨハネスブルグ国際空港(Johannesburg International Airport)から改称した。
概要

ヨハネスブルグ近郊に所在する。年間旅客人員数はアフリカの空港で最多[1]の19,440,000人[2]で、南アフリカ最大の航空会社である南アフリカ航空を筆頭に国内の航空会社の多くがハブ空港としている。
歴史

それまでヨハネスブルグ周辺の主要空港であったランド空港や欧州便を取り扱っていたパルミエトフォンテーン国際空港に代わり、1952年にイーストランド地域のケンプトン・パークに開港した。当初の空港名は、南アフリカ連邦の首相を務め、第2次ボーア戦争の指揮官であったヤン・スマッツの名前にちなみ、「ヤン・スマッツ国際空港(Jan Christiaan Smuts International Airport)」であった。

最初のフライトは、イギリスヒースロー空港から英国海外航空デ・ハビランド DH.106 コメットによって行われた。

1970年代に入るとコンコルドのテスト空港として利用され、高高度で飛行する航空機が離着陸する時にどう機能するのかを明らかにした。

しかし1980年代に入り、アパルトヘイト政策への国際的批判の高まりにより、国際連合が経済制裁を決定した。それに伴い、航空会社の多くは南アフリカ発着便の運航をやめなければならなかった。欧州方面へ向かうフライトなどで南アフリカ航空などは、安全上の問題やアフリカ諸国からの拒否などでアフリカ大陸上空の飛行ができなかったため、いったん大西洋上へ出るなどしてアフリカ大陸の膨らみを迂回飛行しなければならず、長距離飛行に優れたボーイング747-SPを当時よく使っていた。

1994年、アパルトヘイト撤廃後の総選挙を経て発足した新政府は、政治家の人名を空港の名称に使用しないことを表明した。そのため、「ヤン・スマッツ国際空港」は「ヨハネスブルグ国際空港」に改称された。しかし、2005年後半、アパルトヘイト闘争の英雄であるオリバー・タンボの名をとって「オリバー・タンボ国際空港」に変更することが提案された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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