O・J・シンプソン事件
O. J. Simpson murder case
O・J・シンプソン逮捕時のマグショット
場所 アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス
日付1994年6月13日 (1994-06-13)
0:10 (深夜)
標的ニコール・ブラウンとロナルド・ゴールドマン
武器ナイフなど
死亡者2
負傷者0
犯人不明
動機不明
攻撃側人数不明
対処O・J・シンプソンの誤認逮捕
刑事裁判では殺人を否定する無罪判決、民事裁判では殺人を認定する判決
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O・J・シンプソン事件(O・J・シンプソンじけん、O. J. Simpson murder case)は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス、ブレントウッド
で発生した殺人事件。著名なアメリカンフットボール選手のO・J・シンプソンが1994年6月16日に逮捕されて、1995年1月25日から10月2日まで裁判が行われた。全米のみならず世界中の注目を集めた裁判の結果は刑事裁判では殺人を否定する無罪判決となったが、民事裁判では殺人を認定する判決が下った。
事件概要
発生(en)とその友人ロナルド・ゴールドマン(en)の刃物で刺された血だらけの死体がカリフォルニア州ロサンゼルス、ブレントウッドにあるニコールの自宅玄関前で発見されたことから始まった。ゴールドマンは180cmと長身であり格闘技の達人であったため、体格や腕力の勝る男性による犯行が濃厚と考えられた。
事件発生後、イリノイ州シカゴにいたシンプソンは警察からの連絡でブレントウッドに一番早い便で帰った。飛行機から降りたシンプソンはいきなり手錠をはめられたが、顧問弁護士であるハワード・ワイズマンによりすぐに解かれている。 その後もシンプソンは冷静に対処し、一度釈放された。しかしその後、6月16日に第1級殺人罪で逮捕令状が下りた時、シンプソンは友人のアル・カウリングズ
追跡劇
なお、この逃亡劇は全米のテレビで生中継されたために、ロサンゼルスでは逃亡するシンプソンの車を追いかけるものが多数出現した。また、全米中がテレビに釘付けとなり、食事の手間を省くためにピザの注文が急増している。ちょうど行われていたバスケットボールリーグ、NBAファイナル・ニューヨーク・ニックス対ヒューストン・ロケッツの第5戦は忘れられて(NBCが放送を予定していた)、テレビ視聴者の中からは「GO!OJ!」(OJ逃げろ!)という声も起きた[1][2]。
シンプソンがブレントウッドの自宅に到着した直後、その後裁判でシンプソンの主任弁護人となるロバート・シャピーロもシンプソンの自宅に到着し、シャピーロ立会いのもとで逮捕されることとなった。なお、この際にシンプソンとカウリングズは武器を所持していたことが確認されている。 シンプソンが逮捕された後、多数の出版物が彼の写真を掲載した。タイム誌は彼の皮膚を暗くし、囚人ID番号のサイズを縮小した顔写真を表紙に用いた。一方ニューズウィーク誌はオリジナルの写真を表紙に用い、対照的な二誌が書店のスタンドに並ぶこととなった。タイム誌には市民グループからの抗議が続いた。後に写真を加工したタイム誌のイラストレーター、マット・マフリンは「より巧妙に、より注意を引きたかった」と語っている。 O.J.シンプソンを第1級殺人罪の被告人として、ロサンゼルス郡のカリフォルニア州最高裁判所で1995年1月25日から行われ、10月2日に殺人を否定する無罪判決が行われた。 太字になっている人物はリーダーである。 ランス・イトー
顔写真
刑事裁判
主なメンバー
裁判官
検察側
ギル・ガーゼッチ(地方検事長)
ウィリアム・ホッジマン(検事主将)
マーシャ・クラーク
クリストファー・ダーデン
ブライアン・ケルバーグ(検事)
リサ・カーン(検事調査員)
弁護団
ヘンリー・リー(法医学者。ジョンベネ殺害事件担当)
ロバート・シャピーロ
ジョニー・コクラン(人種裁判で全米一と折り紙つき。マイケル・ジャクソン裁判担当)
バリー・シェック(DNA鑑定研究者)
ピーター・ニューフィールド(同上)
ジェラルド・ウールメン(サンタクララ大学法学部長)
フランシス・リー・ベイリー(F・リー・バイリーとも表記。「無罪請負人」の異名を持つ辣腕。ボストンの絞殺魔裁判、サム・シェパード事件 (Sam Sheppard) 、パトリシア・ハースト事件担当経験)
アラン・ダーショヴィッツ(ハーバード大学憲法学者。マイク・タイソンの強姦事件担当)
マイケル・バーデン(元ニューヨーク市警検視官、キング牧師の遺体解剖担当)
ロバート・カーダシアン(被告の友人。被告と弁護団の連絡係)
リーダーが2人となっているのは、リーダーを争って最後に喧嘩別れとなったためだといわれている。 シンプソンは全面無罪を主張し、陪審裁判
「ドリームチーム」
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}そのためか[独自研究?]、この事件を題材にした書籍『グレイゾーン』では「単独」の検察、「全米選抜」の弁護団と称された。なお、シンプソンの弁護費用は当時の日本円にして5億円といわれており[4]、その規模の大きさが窺える。 検察は検察側に有利な大陪審で起訴の決定を行おうとしていたが、その直前ロス市警は、OJに脅えるニコールが警察に助けを求めた911番の録音テープを公開。弁護士側は「警察が漏らした911番のテープや他の情報は大陪審の裁定に著しく偏った予断を与えた」として大陪審の解散を要求した。判事はこの動議を受け入れて大陪審を解散し、予備審問へ起訴の審理が持ち込まれることになった。 被害者が白人で、加害容疑者が黒人だったため、この裁判では人種問題が大きく取り上げられた。「人種偏見によって裁判が行われてはならない」として、判事は黒人でも白人でもない日系アメリカ人のランス・イトー 弁護団は陪審員を黒人が多い地区から選出することを要求し、採用された。また白人が選出されても検察・弁護側に認められている専断的拒否権 裁判の過程は全米のメディアで逐一報道され、全米ネットワークのテレビ局やゴシップ誌は専門のチームを結成し裁判の報道にあたった。真実の解明よりもスキャンダル性を重視したこれらマスコミの報道によって陪審員の判断が左右されるのを防ぐため、陪審員は裁判所によって一時期ホテルに隔離され、新聞を読むことやテレビを見ることも禁止された。
大陪審
陪審員
報道
ケイトー・ケイリンが、シンプソンのアリバイを崩す重要証言をして一躍有名になり、様々なメディアに出演し、ファンクラブが結成されるなど「この裁判で一番得をした男」と呼ばれた。