Nupedia
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ヌーペディアの問題をサンガーから聞かされたコヴィッツは、ウォード・カニンガムによって発明されたウィキの仕組みについて説明した[31]。それを聞いたサンガーは、ウィキがよりオープンでシンプルな編集手順を持つ百科事典を作るプロジェクトに相応しいものと考えるに至った[30]。サンガーはウェールズにウィキをヌーペディアに利用する案を持ちかけ、ウェールズからの好感触を得たサンガーは具体的なウィキの適用に動き出す[33]

初期のボミスのプレスリリースでも、ウィキ導入のアイデアはサンガーの提案とされていた[33]。ウェールズも、後の2001年10月30日のウィキペディアメーリングリストメッセージにおいて、ウィキを使用するアイデアはサンガーが持っていたと述べている[34]。しかしその後、ウィキのアイデアはヌーペディアを運営するボミスの社員であったジェレミー・ローゼンフェルドから聞いたとウェールズは述べており、現在ではそれぞれの認識が異なっている[31]

いずれの経緯にしろ、ウィキを導入した百科事典プロジェクトがボミス内で動き出した。2001年1月10日、サンガーはヌーペディアのメーリングリストに、ウィキ導入を説明するLet's make a wiki(ウィキを作ろう)と題したメッセージを送信した[32]。悪くない反響を得たサンガーはnupedia.comのサブディレクトリとしてすぐにウィキページを作成する[35]。しかし、ヌーペディアの専門家の投稿者たちはウィキのシステムに抵抗を見せ、結局、別の独自アドレスとして2001年1月15日にwikipedia.comが立ち上げられた[36][10]。ヌーペディアとは対照的に、開始されたウィキペディアは急激な成長を始める[37]。ウィキペディアは2月の終わりまでに150項目を達成し、2001年の終わりには記事数は約15,000項目にも上り、参加者は約350人に達した[10]
ヌーペディアの閉鎖とその後

その後もウィキペディアは成長を遂げていくが、ヌーペディアは自然休眠状態に陥る。2001年以降に作られたヌーペディアの記事は2つのみであった[38]。ウィキペディアの急成長はウェールズとサンガーを驚かせ、ウィキペディアがしっかり機能していくことを2人は理解すると、全面的にウィキペディアの運営に力を入れていくことになる[37][38][10]

サンガーによれば、閉鎖するまでの2002年または2003年ごろ、ヌーペディアを十分に支援できなくなってきたボミスの代わりに、大学などの組織に買い取ってもらい運営してもらうことや、サンガー自身が買い取ることをウェールズに提案したが、結局実現しなかった[39]。また、ウィキペディアの完成・承認された記事をヌーペディアに収めていく案も議論された[40]。これについてはウェールズも積極的だったが、結局実現しなかった[40]

2003年9月にヌーペディアのサーバーがクラッシュする[4]。オフライン状態になったヌーペディアはそのまま復旧されることなく、その歴史を閉じた[4]。ヌーペディアの記事の総数は、サンガーによれば2001年初冬までに査読プロセスを通過して完成した記事はおよそ25項目ほどで、下書き中の記事が150項目以上という状態であった[41]。少ないながらも存在していた記事はウィキペディアの方へ吸収された[42]。その後の歴史については、後身となったウィキペディアの歴史などを参照のこと。

ヌーペディアが上手く機能できなかったことの反省点として、サンガーは、複雑なシステムでも指示さえ明確にしていれば我慢強く利用してくれると思い込んでいたことを挙げている[26]。ウェールズは、2007年のインタビューでヌーペディアが失敗した理由を尋ねられて、「なぜ失敗したかというと、参加するのが難しかった、そして面白くなかったのが理由だと思います 」[43]と振り返っている。
仕組みと編集方針

ヌーペディアの記事の利用許諾ライセンスは、GNUのライセンスを基にしたヌーペディア・オープン・コンテント・ライセンス(Nupedia Open Content License)が作られ、採用されていた[44]。このライセンスでは、ウィキペディアのように記事作成者ではなく、サイトに出資するボミスが著作権者となっていた[45]。ただし、途中からGNUフリー・ドキュメンテーション・ライセンス(GNU Free Documentation License)に移行している[44]。サイトのソフトウェアはNupeCodeという共同作業用のソフトウェアで動いていた[46]。閲覧は無料で、広告を掲載することで収益を確保する予定だった[2]

記事の執筆や査読はボランティアによって行われた[44]。ラリー・サンガーが編集主幹の役職を務め、彼のみがボミスに雇われる形で有給でヌーペディアの編集に携わっていた[47]。博士号取得者、大学の教授、その他実績のある専門家を対象に参加者を募っていた[22][48]。記事が公開されるまでに厳格な7段階の工程を経る必要がある。記事の作成から公開までのプロセスは次のようになっている[49]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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