Nintendo_Entertainment_System
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Nintendo Entertainment System

メーカー任天堂
種別据置型ゲーム機
世代第3世代
発売日 1985年10月18日
1986年9月1日
1986年
1987年
1989年
売上台数 3,400万台
次世代ハードウェアSuper Nintendo Entertainment System
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Nintendo Entertainment System(ニンテンドー・エンターテインメント・システム、略称:NES)は、日本国外において任天堂より発売された家庭用ゲーム機

日本で発売されたファミリーコンピュータをベースに筐体の変更や各国への対応を施している。
概要

NES及びファミリーコンピュータは当時もっとも成功したゲーム機であり、任天堂によれば全世界で約6000万台が販売された[1]アタリショックで衰退したビデオゲーム業界を再び活性化し、ゲームデザインから商慣習に至るまでのあらゆる面で、以降の家庭用ゲーム機ビジネスの手本となった。当時としては斬新な横スクロールアクションゲームである『スーパーマリオブラザーズ』はこのゲーム機の最初にして最大のキラーソフトとなった。また、サードパーティーに対して初めて訴訟が提起されたゲーム機でもある。

北米では1985年ヨーロッパでは1986年オーストラリアでは1987年に発売された。本体の外側に“Nintendo”の文字が大きく表記されていたためか、現地では「ニンテンドー」の愛称で親しまれた。

韓国向けは現代電子産業(現・SKハイニックス)が任天堂からOEM供給を受け、北米版をベースに、ヒョンデ・コンボイ(?? ???/HYUNDAI COMBOY)の名称で1989年に発売した。“Nintendo Entertainment System KOREAN VERSION”ロゴの左側に韓国語ハングルアルファベットで“?? ??? COMBOY”(コンボイ)とロゴが記されている。
歴史

1980年代初頭の業務用ゲームでの成功を受けて任天堂は、テレビゲーム15、テレビゲーム6とは異なる、カートリッジを交換して様々なゲームをできる独自のゲーム機の生産を計画した。上村雅之らによって設計され1983年7月15日に日本で発売されたファミコンは、1984年末までには日本で一番売れるゲーム機になった。この成功に活気付けられて任天堂はすぐに北米市場への進出を考えた。

1983年末頃にアタリブランドから、“Nintendo Enhanced Video System”の名でファミコンを発売すべくアタリと交渉に入った。しかし、交渉をしている最中にアタリショックによりアタリは会社が傾き、またその頃にコレコが自社パソコン向けに『ドンキーコング』移植版の発売を発表[注 1]し、これをアタリは任天堂とコレコが接近している兆候と受け取り[2]交渉は不成立に終わった[3]Advanced Video System

次に、任天堂は1985年1月上旬に開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(以下、CES)でNintendo Advanced Video Systemをサンプル出品した[4]。これはキーボードデータレコーダ、無線式ジョイスティック、BASIC言語を加えたものだったが、北米のビデオゲーム市場はアタリショック以降壊滅的状況が続いており、これの発売も立ち消えとなった。

最終的に任天堂は1985年6月2日に夏季CESで本機を発表した。Nintendo Advanced Video Systemから外装と名称を一新して、同年9月ニューヨークに投入[5]、台数は5万台だった。同年10月18日にはニューヨークなど一部地域に限って出荷、1986年2月にはロサンゼルスで出荷開始し、いずれも反響が大きいため同年9月には全米に出荷を広げた[6][7]。NESも日本でのファミコンと同様に人気を集め、ビデオゲーム産業を再活性化する立役者となった。

北米版の反響から、他の国々でもNESが発売された。欧州および豪州では大きく2つの地域に分けて販売網が構築された。イギリス・イタリア・オーストラリア(“地域A”と呼ばれる)での販売はマテルが受け持ち、イタリア以外のヨーロッパ大陸諸国(“地域B”)での販売は他の様々な会社によって行なわれた。一方、カセットのほとんどは任天堂から直接販売された。

こうして1980年代後半において任天堂は日米の家庭用ゲーム機市場で圧倒的なシェアを握った。しかし、任天堂は1990年まで欧州支店を設けていなかった[8]ため、競合していたセガはこれに乗じてマスターシステムを多くの国でNES以上に売り上げている。ただし世界累計での販売台数はNESに遠く及ばない[9]

1990年代に入ると、16ビット機のセガ・ジェネシスなど機能的に優位な後発機が登場し、任天堂自身も“Super Nintendo Entertainment System”(SNES)を発売するなど、NESは徐々に市場の主役の座を譲っていった。任天堂はNESのサポートを続け、途切れない本体への需要に応じるため1990年代前半には初代NESのハードウェアの欠点を改善した新版 NES2(日本におけるAV仕様ファミコンに相当)を発売した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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