New_Associationist_Movement
[Wikipedia|▼Menu]

New Associationist Movement(ニュー アソシエーショニスト ムーブメント、略称:NAM〈ナム〉)は、日本発の資本国家への対抗運動。柄谷行人が「当時雑誌(『群像』)に連載した『トランスクリティークーカントとマルクス』で提示した、カントマルクスの総合、アナーキズムマルクス主義の総合を、実践的レベルで追求するための試み」[1]。2000年6月大阪で運動を開始、結成。2000年10月には綱領的文書である『NAM原理』を出版。2003年1月に解散[2]。2年半の活動だった。

提唱者の柄谷自身は、『共産党宣言』後2年で解散した共産主義者同盟のケースと同じく、解散後は固有名詞ではなくなり、一般名詞(文字通り、”新しいアソシエーショニストの運動”)となったと述べている[3]。「『NAM原理』は、2000年の時点で存在した組織のために書いたのですが、2年で解散したから、それ以後は一般名詞です。つまり、それは「新しいアソシエーショニスト運動」という意味ですから、2000年の時点にあったものに限定する必要はありません」[4]「NAMは解散したが、アソシエーションの運動が終わったわけではない」[5]とも述べている。

2021年2月『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(柄谷行人、作品社)と『NAM総括-運動の未来のために』(吉永剛志、航思社)が出版された。
原理

  下記の原理を承認すれば、あとの実践は何をやってもいい、各人の創造に負うとされた。  
NAMは、倫理的‐経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済無き倫理は空虚であるがゆえに。

NAMは「非暴力的」である。それはいわゆる暴力革命を否定するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しないという意味である。なぜならNAMが目指すのは、国家権力によっては廃棄することができないような、資本制経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄である~。

NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する。内側とは、通常の労働運動・議会政治にあるような資本に対抗する運動である。外側とは非資本的な経済圏を作り出すことである。これらの対抗運動はいずれも必要である。ただそのいずれにおいても、生産過程より流通過程に重点が置かれなけれなならない。

NAMはまた、国家の内と外、すなわち、小さな地域と大きな国際社会に向かう。いいかえれば、NAMは一方で地域の自治に向かい、他方で「世界共和国」(カント)を目指す。それらはいずれも、国家と資本を超える基盤となるものである。

NAMはその組織と運動形態自体において、実現すべきものを体現する。

NAMは、現実の矛盾を使用する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。言い換えれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、この運動には、歴史的な経験の吟味と同時に、未知のものへの創造的な挑戦が、不可欠である。

   ※2018年1月になって、4を付け加える。[6]

  

  ※運動は大きな二つの柱からなる。
内在的運動:『資本論』から柄谷が得た「資本が増殖する際に一度は売る立場に立たなくてはならず、そのとき、消費者としての労働者は主体的に振舞える」という考えに基づき、不買運動ボイコット)を中心とした資本への対抗運動を展開してゆく。

超出的運動:非資本制企業(協同組合)を創出してゆく。

沿革

 2000年6月結成、2003年1月解散[7]

 柄谷行人は、2001年『トランスクリティーク カントとマルクス』を、2000年に自らも関わって立ち上げた生産協同組合である、批評空間社[8][9] から出版、その内容をもとに、2000年6月、アソシエーション=「国家と資本への対抗運動」の活動、NAM(New Associationist Movement)[10][11] を大阪で立ち上げた。『NAM原理』(2000・太田出版)は、WEB上でその内容が公開されていたにもかかわらず当時、発売3カ月で1万7千部以上売れた。著名なエコロジー活動家など多数が参加し、最大700人の会員数を数えた[12]2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件発生した際、NAMのサイトに「テロにも報復戦争にも反対する」という旨の声明が出た。なお『批評空間』のWEBサイト上で、9.11同時多発テロに対する柄谷行人のコメントとして「これは予言ではない」と題する文章が掲載された[13]

 2001年12月にはWEB上でのヴァーチャルな取引を、制度設計として組み込んだことを目玉とする地域通貨Q[14] を、NAMとは独立した任意団体として西部忠を中心に立ち上げた。当初の予定では、批評空間社もこのQに参入し、productsを部分的にQ支払い可能にし、出版メディア、そして最終的には流通一般そのもの、の既成の仕組みを徐々に変革していくことが目指されていた。第3期批評空間創刊記念シンポジウムでは、建築や芸術のジャンルから磯崎新岡崎乾二郎らがパネリストとして並び、地域通貨Qによる流通の変革への期待が述べられた。しかし、人間関係の軋轢、未知の問題点の噴出、ネット上でのコミュニケーションからおこる通信上の混乱などで、NAMは2003年1月に早々と解散。あるいは柄谷が「身も蓋もなく潰」した[15]。批評空間社も社長兼『批評空間』の編集者の内藤祐治の死(2002年春)を契機に解散した[16]

 NAMの解散理由について柄谷は、NAM解散後、「本来この運動はアソシエーションのアソシエーションであり、運動開始に先行して幾つかのアソシエーションが存在していなければならなかったが、NAM自体が個人からなる一つのアソシエーションに過ぎなかった」[17]「ファンクラブを集めてしまった」[18]などと語っている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef