NeXT
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日本テレビの番組「NexT」とは異なります。

ネクスト・ソフトウェア
NeXT Software, Inc.

種類未公開会社
本社所在地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州レッドウッドシティ
設立1985年
業種情報・通信業(元は電気機器)
事業内容コンピュータの製造販売(NeXTcubeNeXTstation)、ソフトウェアの開発販売(OPENSTEPWebObjects
従業員数540 (1992)[1]
関係する人物スティーブ・ジョブズ(会長、CEO)
ロス・ペロー(取締役)
John Patrick Crecine(取締役)
ジョン・ルビンスタイン(ハードウェア技術系VP
バッド・トリブル(ソフトウェア技術系VP
アビー・テバニアン(ソフトウェア技術系VP
バートランド・サーレイ(ソフトウェア技術者)
スコット・フォーストール(ソフトウェア技術者)
クレイグ・フェデリギ(ソフトウェア技術者)
ジョアンナ・ホフマン(マーケティング責任者)
ミッチ・マンディッチ(セールス担当VP
特記事項:1996年、Appleが買収
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ネクスト・ソフトウェア(: NeXT Software, Inc.[注 1])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州レッドウッドシティを本拠地としたコンピュータ企業で、高等教育やビジネス市場向けのワークステーションを開発製造していた。Appleの創業者の1人スティーブ・ジョブズがAppleを辞め、1985年に創業。最初の製品NeXTcubeを1988年に発売し、小型化したNeXTstation1990年に発売。売り上げはそれほど大きくはなく、全部で5万台ほどを販売したと見積もられている。とはいうものの、その革新的なオブジェクト指向オペレーティングシステム (OS) であるNeXTSTEPと開発環境はApple 社に多大な影響を及ぼした。

NEXTSTEPの主要なAPIは、後にOPENSTEPとして標準化された。NeXTは1993年にハードウェア事業から撤退し、いくつかのOEMへのOPENSTEP仕様販売と自社製の実装の販売に注力するようになった。NeXTはまた、世界初の企業向けWebアプリケーションフレームワークWebObjectsの開発でも知られている。WebObjectsは5万ドルと高価だったために広く普及することはなかったが、Webページの動的生成に基づいた初期のWebサーバとして特筆すべき例であった。Appleは1996年12月20日、4億2900万ドルでNeXTを買収すると発表し[2]、現行のmacOSの大部分はNeXTSTEPを基盤として開発された[3]。WebObjectsは、かつてOS X ServerおよびXcodeの付属ソフトであった。
歴史
1985年 - 1986年 : NeXT創業

1984年、Apple創業者の1人スティーブ・ジョブズはAppleのスーパーマイクロ部門(MacintoshLisaの開発部門)の責任者を務めていた。MacintoshはApple University Consortiumによって学生や教育機関には割引価格で販売していたため、大学などで大いに成功を収めていた[4][5]。Apple University Consortium は1984年2月までに5000万ドルのコンピュータを販売した[6]

会長として、ジョブズはMacintoshを売り込むために各地の大学や研究者をしばしば訪問していた。当時のフランス共和国大統領フランソワ・ミッテランを迎えた午餐会で、ジョブズはノーベル化学賞を受賞したポール・バーグと出会った[7][8]。バーグは実験室で実際に実験しないで、教科書だけで遺伝子組み換えを学生に教えるにはどうしたらよいかで悩んでいた。遺伝子組み合えの実験にはかなり費用がかかり、当時のパーソナルコンピュータ (PC) でシミュレートするには複雑すぎた。バーグはジョブズに、彼のAppleへの影響力を行使して、高等教育用の "3M" ワークステーションを作ってくれないかと持ちかけた。"3M" とは、1メガバイト以上のRAMメガピクセルレベルのディスプレイ、メガFLOPSレベルの性能を意味する(3つの「メガ」で "3M"。Altoなどを指した用語)。

ジョブズはバーグの描いたワークステーションに好奇心をそそられ、高等教育向けコンピュータ企業を1985年秋に立ち上げることを考えたが、当時Apple社内では内紛が大きくなっていた。ジョブズの部門はMacintoshの新製品をリリースできず、Macintosh Office の大部分もリリースが遅れていた[9]。結果として売り上げが急落し[10]、Appleは売れ残り在庫の償却に数百万ドルを費やした[11]。Appleの最高経営責任者 (CEO) ジョン・スカリーはジョブズのAppleにおける権限を奪い取り、1985年にはジャン=ルイ・ガセーを後釜に据えた[12]。その後ジョブズはAppleの経営権を取り戻すべく闘争を開始した。ジョブズが社用で西ヨーロッパソビエト連邦に出張している間に、スカリーは取締役会の協力をとりつけた[13]

数カ月間Apple社内で邪魔者扱いされた末、ジョブズは1985年9月13日に辞任した。彼は取締役会に、退職後に新たなコンピュータ会社を立ち上げることと、スーパーマイクロ部門から数人の従業員を連れて行くことを明らかにした。また、その会社はAppleとは直接競合することはないし、新会社で設計したものをMacintoshブランドでマーケティングするべくライセンス提供することもありうると表明していた[14]

ジョブズはAppleの株式売却で得た700万ドルを出資し、Apple元従業員のバッド・トリブル、George Crow、Rich Page、Susan Barnes、スーザン・ケア、Dan'l Lewin と共に新会社NeXT, Inc.を創業。基調講演で彼はNeXTを「ネッキスト」(ネキスト)と発音している話は有名である[要出典]。各地の教育関係の業者と相談し(ポール・バーグとも再び会合を行った)、ワークステーションの仮の仕様が出来上がった。それは、遺伝子実験シミュレーションを実行できるほど強力で、大学生が自分の部屋で使える程度に安価になるよう設計された[15]。しかし仕様が確定する以前に、AppleはNeXTが創業者のインサイダー情報を利用しているとして訴えた[16][17]。ジョブズはこれについて、「4300名以上を抱える20億ドル企業がブルージーンズをはいた6人に太刀打ちできないとは想像しにくい」と述べた[16]。この訴えは裁判になる前に取り下げられた。

1986年、ジョブズは有名なグラフィックデザイナーであるポール・ランドに10万ドルでブランド・アイデンティティ制作を依頼した[18]。ランドは、ロゴの正確な角度(28°)や社名の正確な綴り (NeXT) などを含む100ページのブランドの詳細を示す冊子を作った[18]。最初の外部からの出資はテキサス州の実業家ロス・ペローからの資金提供だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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