Navy_SEALs
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チーム6の隊員ら25名を乗せた4機のステルスヘリコプター[11] で容疑者を急襲、約40分の銃撃戦の末、邸宅を制圧した[12]。その際同容疑者とその20歳の息子ら計5名を射殺した。同容疑者は武器を携行していなかったが、「抵抗した」ため射殺されたとされる[13]。詳細は「ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害」を参照

2011年8月5日夜、アフガニスタンで米軍のCH47チヌークが撃墜され、22人のSEALs隊員が死亡した。これはターリバーンが仕掛けた罠によるものであった。ターリバーンのカリ・タヒル司令官が、ターリバーンの会合があるとの偽情報を米軍に流し、米軍部隊を現地におびき出した。ターリバーンは現地までの唯一の飛行ルート上にある谷の両側の山に陣取り、誘き出されたヘリをロケット弾や現代兵器で攻撃して撃墜した。これにより、米軍兵士30人を含む38人が死亡し、このうち22人がSEALs隊員(うち15人がDEVGRU所属[14])で3人が空軍特殊部隊員であった。カルザイ政権は5月のウサマ・ビンラディン殺害に対する報復とみている[15]。詳細は「2011年のアフガニスタンにおけるチヌーク撃墜事件」を参照

2012年1月26日、ソマリアの武装勢力を急襲し、3か月にわたって人質となっていた人道支援団体職員2名を救出した[16]

2013年10月5日、SEALsはソマリア南部ブラバにあるイスラム過激派組織アルシャバーブの重要人物(氏名不詳)の自宅を急襲した。しかし拘束に失敗した上、負傷させた「重要人物」の生死を確認することもなく撤収したため詳しい内容については不明。米当局者によるとアルシャバーブ側に数人の死者が出たが、米軍に死傷者はなかったという。

2013年10日、リビアのトリポリにて1998年の米大使館爆破事件に関与したアルカイダ幹部のナジ・アブドゥルハメド・ルカイの拘束作戦を実施し成功。

2014年3月16日、キプロス南東沖の公海上において、リビア反政府勢力が支配する同国東部シドラの港において3人の武装したリビア人に積み荷の原油ごと占拠されていたタンカーに突入し制圧した[17]

2014年?進行中、ISIL掃討等を目的とした「生来の決意作戦」。

2017年1月28日、イエメンで急襲作戦を実施。激しい銃撃戦となり、SEALs側は隊員1人が撃たれて死亡、3人負傷。更に救出に向かったヘリコプターが着陸に失敗し、数名の負傷者が出た。イエメン側は民兵と民間人にそれぞれ死傷者が出た[18]

2017年5月4日、ソマリアで地元政府軍を輸送していた米軍ヘリコプターが攻撃を受け、隊員1人が死亡、所属不明の複数が負傷。ソマリアでの米軍兵士の死亡は1993年のモガディシュの戦闘以来初[19]

2023年4月23日、スーダンでの戦闘激化のため、アメリカ大使館員とその家族らを救出する作戦をアメリカ陸軍特殊部隊群第160特殊作戦航空連隊の支援を受け行う。[20]

不祥事・事故

2017年6月、
マリ共和国の大使館内で陸軍特殊部隊の隊員ローガン・メルガー(英語版)軍曹が窒息死しているのが発見された[21]シール6隊員2名が殺害に関与したとされる[21]

2022年2月4日にカリフォルニア州サンディエゴで行われていた新人隊員選抜訓練で1人が死亡し、別の1人が負傷し病院へ搬送された[6][7]。この訓練は5日間で寒さ・空腹・寝不足や湿潤の環境に絶えず襲われる中で進められていた[6][7]

2023年1月、ウクライナ戦争に義勇兵として参戦していた元SEAL隊員ダニエル・W・スウィフトが死亡した[22]。彼は2019年より海軍を無許可離隊しており、アメリカ海軍特殊戦コマンドからSEALs隊員の資格を剥奪されていた[22]

人物マイケル・モンスーア2等兵曹。彼はアフガニスタンでの作戦中、仲間を守るために敵が使用した手榴弾に覆いかぶさり戦死し、911後の戦争では数人しか居ない名誉勲章受章者の1人となった。ズムウォルト級ミサイル駆逐艦2番艦には彼の名前が付けられている。4名で約100名のタリバン兵と交戦し、戦死したマイケル・マーフィー大尉。彼は名誉勲章を受章し、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦艦名にもなっている。
エリック・オルソン
特殊作戦軍司令官・海軍大将。SEALs出身で中将以上になった初の人物。
ドレイパー・カウフマン
退役海軍少将。第二次世界大戦中にSEAL前身の水中爆破チームを編成。ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領の兄、プレスコットの義兄にあたる。
ジェシー・ベンチュラ
元プロレスラー、元ミネソタ州知事。ベトナム戦争中、SEALの原組織、UDT(水中爆破チーム)の隊員として南シナ海の作戦に従事。後にUDTがSEALに吸収されたため、UDT/SEALのOBに位置づけられる。
リチャード・マルシンコ
退役海軍中佐。DEVGRUの前身(あるいは同一組織とも)SEAL TEAM SIXの発足者。SEALsで対テロ対策を本格的に手がけた最初の人物。自伝『Rogue Warrior』で有名になる。
ハリー・ハンフリーズ
ベトナム期のSEAL隊員でリチャード・マルシンコの元部下。映画『ブラックホーク・ダウン』、『ティアーズ・オブ・ザ・サン』、『ザ・ロック』で俳優らを指導。『ザ・ロック』では海軍将官として出演している。ベトナム戦争ではテト攻勢のさなかでアメリカ人看護婦の救出で一役買ったことで知られている。その時同じ救出劇に関わった陸軍のドリュー・ディックス軍曹は名誉勲章を受章している。
ブレット・ランガー
ベトナム戦争時のSEAL隊員。デュポン家一族。後にF1ドライバーとなり、1976年のドイツグランプリニキ・ラウダを救出している。
チャック・ファーラー
元チーム4、チーム6隊員。映画『ネイビー・シールズ』、『ジャッカル』の脚本家。
トーマス・ノリス[23]
ベトナム戦争中の1972年4月の被撃墜パイロット救出作戦の功績により名誉勲章を受章。
マイケル・ソーントン [23]
ベトナム戦争中の1972年10月作戦中重傷を負ったトーマス・ノリス大尉の救出が功績として認められ、名誉勲章を受章。2008年1月時点では名誉勲章受章者中、生きて受章した最後の米国軍人といわれる。
ボブ・ケリー
アメリカ上院議員でベトナム戦争期の隊員。作戦中の爆発で片足を失いながらも小隊を指揮して作戦を遂行した功績が認められ、名誉勲章を受章する。しかしベトナム戦争中の1969年、彼が指揮するチームがサンポン村で起こった虐殺事件に関与したことが2001年、元部下によって暴露される。
ジェームス・ワトソン
ベトナム戦争期の隊員で現在UDT/SEAL博物館の館長をつとめる。
ウィリアム・シェパード
退役海軍大尉。宇宙飛行士に転身した元SEAL隊員。スペースシャトル国際宇宙ステーション任務で宇宙へ飛んでいる。
デニス・チョーカー
元チーム6の隊員でグレナダ侵攻ではスクーン提督救出作戦に参加している。リチャード・マルシンコ中佐の元部下。SEAL教官在任中にザ・ロックにSEAL隊員として出演している。自伝を出版している。ベストに装着したスリングと銃を連結する「チョーカースリング」は彼が考案した製品である。
ルディー・ボッシュ

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