NTV紅白歌のベストテン
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NTV紅白歌のベストテン
主に番組の生放送が行われた渋谷公会堂
ジャンル歌謡番組
企画阿久悠
構成出倉宏ほか
ディレクター#主なスタッフを参照
演出#主なスタッフを参照
司会者徳光和夫(進行役、実質的な司会者)
堺正章(白組キャプテン)
紅組キャプテンは#レギュラーを参照
音楽永作幸男
オープニング「紅白歌のベストテンのテーマ」
国・地域 日本
言語日本語
製作
プロデューサー#主なスタッフを参照
制作日本テレビ

放送
放送チャンネル日本テレビ系列
映像形式カラー放送
音声形式モノラル放送(番組開始 - 1978年9月25日) → ステレオ放送(1978年10月2日 - 番組終了)
放送国・地域 日本
放送期間1969年10月6日 - 1981年3月23日
放送時間月曜 20:00 - 20:56(→20:55→20:54)
放送枠トップテンシリーズ
放送分56分→55分→54分
回数594回

番組年表
次作ザ・トップテン
関連番組今夜復活・紅白歌のベストテン
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。1970年3月まで番組の生放送が行われていた後楽園ホール(『今夜復活・紅白歌のベストテン』の生放送もここで行われていた)

『NTV紅白歌のベストテン』(エヌティーヴィーこうはくうたのベストテン)は、1969年10月6日[注釈 1]から1981年3月23日まで、日本テレビ系列で放送されていた歌謡番組。毎週月曜20時00分 - 20時56分に放送されていた[注釈 2]。初回からカラー放送[2]
概要

「『NHK紅白歌合戦』を毎週お茶の間に」という発想から始まり、「紅白」と、いわゆる「ベストテン」形式の歌謡番組を組み合わせた、当時としては画期的かつ異色とも言える歌謡番組だった。また、2か月前の8月4日に放送開始したTBSナショナル劇場水戸黄門』が高視聴率だったことから、それに対抗するという意味もあった。

本家「紅白」同様、紅組、白組に分かれて対決を行う。司会者は白組、紅組それぞれのキャプテンを務めていた。

放送形式は原則として公開生放送で、渋谷公会堂から放送されていた[注釈 3]。まれに名古屋大阪から公開放送を行ったこともあった。中学校・高校の修学旅行のコースとしても使われており、その際はオープニングでキャプテンが観覧に来た学校を紹介し、その学校の生徒がリアクションをとるのが定番だった(これについては後継番組の『ザ・トップテン』や『歌のトップテン』でもそのまま行っていた)。

白組のキャプテンは堺正章が番組終了まで務めた。紅組キャプテンについては最初は水前寺清子が務めていたが、その後暫く決まったキャプテンはおかれず、毎週出場歌手から1人がキャプテンを務めていた。その後は、今陽子岡崎友紀らが紅組キャプテンを担当した。

1978年10月2日の放送分からは音声がステレオ放送になっている(札幌テレビの札幌以外の地区と機材未整備だった局を除く)。これは同年9月28日、日本テレビが日本で初めて音声多重放送の実用化試験放送を開始したことに伴うもので、テレビの音楽番組でのステレオ化は最も早かった方である(ちなみに、フジテレビ夜のヒットスタジオ』も、同年10月2日にステレオ化されている)。

主な出演歌手はアイドルが中心となり、演歌がそれに続いた。フォークロックニューミュージックは稀であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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