NTT東日本硬式野球部チーム名(通称)NTT東日本、N東
加盟団体日本野球連盟
加盟区分企業チーム
創部1954年
チーム名の遍歴
電電東京 (1954 - 1984)
NTT東京 (1985 - 1998)
NTT東日本 (1999 - )
本拠地自治体東京都
練習グラウンドNTT東日本船橋グラウンド(千葉県船橋市)
チームカラー青色
監督平野宏
都市対抗野球大会
出場回数46回
最近の出場2022年
最高成績優勝(2回)
社会人野球日本選手権大会
出場回数17回
最近の出場2022年
最高成績準優勝
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数※出場資格なし
NTT東日本硬式野球部(エヌティーティーひがしにほんこうしきやきゅうぶ)は、東京都に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球の企業チームである。合宿所と練習グラウンドであるNTT東日本船橋グラウンドは、千葉県船橋市に所在する。
運営母体は、NTTグループ。 1952年に日本電信電話公社が発足すると、その後数年の間に全国各地で電電公社の社会人野球チームが誕生した。1954年に東京都を本拠地に『電電東京硬式野球部』として発足した。 1959年に都市対抗野球に、1974年に日本選手権にそれぞれ初出場を果たしている。 1985年、日本電信電話公社の民営化に伴いチーム名を『NTT東京硬式野球部』に改称した。 1999年、NTTグループの再編に伴い同年1月にNTT東京硬式野球部を『NTT東日本硬式野球部』に、NTT関西硬式野球部を『NTT西日本硬式野球部』にそれぞれ改称し、社内の各野球部はそのどちらかに統合されることが決まった。これを受け当チームは、NTT東日本のエリアにある4チーム(NTT北海道、NTT東北、NTT関東、NTT信越)を統合した。合宿所と練習グラウンド(NTT東日本船橋グラウンド)については、NTT関東のものを使用することになった。 2011年、都市対抗野球で30年ぶりに進出した決勝戦でJR東日本との東京勢対決を繰り広げたが、延長11回にサヨナラ負けを喫し準優勝となった。 2017年、都市対抗野球で36年ぶり2度目の優勝を果たした。 2022年、日本選手権で準優勝を果たした。 (「電電東京」、「NTT東京」時代を含む) 「電電東京」「NTT東京」時代を含む
概要
設立・沿革
1954年 - 『電電東京』として創部。
1959年 - 都市対抗野球に初出場(初戦敗退)。
1974年 - 日本選手権に初出場(第1回大会、初戦敗退)。
1981年 - 都市対抗野球で初優勝。
1985年 - チーム名を『NTT東京』に改称
1999年 - 本社再編に伴い、チーム名を『NTT東日本』に改称し、東日本エリア4チームを統合。
2011年 - 都市対抗野球で準優勝。
2017年 - 都市対抗野球で36年ぶり2度目の優勝。
2020年 - 都市対抗野球で準優勝。
2022年 - 日本選手権で準優勝。
主要大会の出場歴・最高成績
都市対抗野球大会:出場46回、優勝2回(1981、2017年)、準優勝2回(2011年、2020年)
社会人野球日本選手権大会:出場17回、準優勝1回(2022年)、4強3回(2010年、2017年、2021年)
JABA北海道大会:優勝2回(2014、2018年[1])
JABA東北大会:優勝2回(2005、2018年[1])
JABA東京スポニチ大会:優勝1回(1976年)
JABA静岡大会:優勝3回(1959、1986年、2024年)
JABA四国大会:優勝1回(1998年)
JABA九州大会:優勝2回(1964、1979年)
JABA長野県知事旗争奪野球大会:優勝5回(1981、2000、2002、2003、2010年)
JABA日立市長杯争奪大会:優勝3回(1977、1978、2015年)
JABA広島大会:優勝1回(1974年)
主な出身プロ野球選手
土屋紘(投手) - 1967年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団
柚木秀夫(投手) - 1970年ドラフト外で南海ホークスに入団
尾崎亀重(捕手) - 1971年ドラフト8位でヤクルトアトムズに入団
佐藤龍一郎(外野手) - 東京農業大学在学時の1972年にドラフト6位で大洋ホエールズから指名を受けるも一時拒否し、当チームに1年間所属した後、1973年シーズン終了後に入団
与田剛(投手) - 1989年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団
今関勝(投手) - 1992年ドラフト3位で日本ハムファイターズに入団
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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