NOSAWA
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論外(ノサワろんがい、1976年12月17日 - )は、日本の元プロレスラー
経歴

高校時代はサッカー部で活躍。卒業後、屋台村プロレスでの練習生を経て1995年12月27日PWCでの将軍KYワカマツ戦でデビュー。その後、PWCを離脱しDDTプロレスリングの旗揚げに参加、CMLLジャパンでは覆面レスラーのスペル・カカオ[1]として活動していた。

1998年、現役大学生レスラーと結婚(のちに離婚)。

1999年10月よりNOSAWAのリングネームに改め、メキシコなどでMAZADATAKEMURAと共に「東京愚連隊」として活躍。その後、TNAを経て全日本プロレスに参戦。新日本プロレスにも特別参戦する。

2004年10月31日、当時世界ジュニアヘビー級王者だったカズ・ハヤシにベルト挑戦を迫ったが、「NOSAWA?(挑戦者として)論外だ」と言われ断られてしまう。しかしNOSAWAはこれを逆手に取り、11月21日よりリングネームをNOSAWA論外に改名、「次の挑戦者はNOSAWA論外だ、と確かに言った」と食い下がり、ついに12月5日世界ジュニアヘビー級選手権に挑戦する。敗れはしたものの健闘し、ハヤシに「挑戦者として相応しい相手だった」と言わしめた。

2005年7月26日の代々木大会の第0試合でMAZADAとの「敗者全日本追放マッチ」に敗れて全日本プロレスからの追放が決定した。NOSAWA自身が参戦できないため、代わりに同年8月7日の入間大会以降スペース・論・ウルフなる覆面レスラーを送り込む。だが、スペース・論・ウルフについては、

マスクに「論」の文字が刻まれていた

有料モバイルサイト「プロレス/格闘技DX」レスラーダイアリー木曜日の木原文人リングアナの「木原おやじの裏話」内にて、論ウルフのことを論●と呼んだ。

その後小島聡が自身のblogにて、つい「ドライブインで菊タローと論外が…」と掲載した。

2005年12月1日の全日盛岡大会第1試合終了後のAKIRAがマイクで「近藤の前に論外が入ったけど…」と発言した。

などから、「NOSAWA論外本人じゃないの?」という声も多く聞かれていた。

その後、論ウルフは2005年12月5日にAKIRAとの世界ジュニアヘビー級王者次期挑戦者決定戦に敗れ、自らマスクを脱ぎ正体がN0SAWAであることが判明、論ウルフとしての活動を終了(ただし2006年2月11日の佐々木健介20周年記念興行で復活)し、再びNOSAWA論外のリングネームでの活動を開始した。

2006年6月10日の全日本プロレス武藤祭で鈴木みのるのセコンドにつき、数度にわたり追い払われるも、試合後にバックステージで謎の言葉をささやき、チーム結成を了承された。以後、東京愚連隊を含め鈴木と行動を共にしていたが、NOSAWAだけ練習をサボった、試合中に教えていない逆十字を使ったなどで、度々鈴木から折檻され酷い目に遭っていた。もっともNOSAWAも懲りずに愚行を繰り返しており、このループはファンのみならず鈴木をも楽しませていた。また、同年の世界最強タッグ決定リーグ戦で鈴木とタッグを組んだ際は成績は揮わなかったものの、最後はグロッキー状態になったNOSAWAを鈴木が背負って退場するシーンが見られるなど、少なからず師弟あるいは仲間の絆といったものも出来ていたようである。

全日本プロレスにおいては2007年2月17日の「プロレスLOVE in 両国」にて、TAKAみちのく、カズ・ハヤシらと組むことを宣言し「アッチのほうへ行く」と海外への離脱を匂わせる発言をしたが、結局はTAKA、カズと「メキシコ・アミーゴス」なるルチャドールギミックのユニットを結成、エル・ノサワ・メンドーサなるリングネームでの活動を繰り広げた。2007年12月16日の「全日本プロレス 2007ファン感謝デー」にてルチャギミックユニット「メキシコ・アミーゴスDX」を解散した。

2008年1月2日の新春シャイニングシリーズ開幕戦で、TAKA、カズを裏切り、MAZADAと結託して「東京愚連隊」の復活を宣言した。同年4月には鈴木が合流し、「GURENTAI」と改めての活動を行っていた。2009年1月3日には鈴木のパートナーとしてアジアタッグ王座を獲得。NOSAWA曰く「日本で初のメジャータイトル奪取」であり、感無量のコメントを出していた。

2011年2月20日、後述の事件を起こし、新日本プロレスへの無期限出場停止処分を受けた。東京愚連隊の活動も無期限停止となり、4月に予定されていた自主興業の中止も発表された。

6月25日、鈴木主催の「パイルドライバー・チャリティー・プロジェクト」興業の事前発表の全試合終了後、鈴木に呼びかけられるかたちでリングに上げられ「(プロレス界で迷惑をかけた人達に)ケジメをつけろ」と要求されて、東京愚連隊の同士KIKUZAWA、全日本プロレスのユニット「GURENTAI」で、一時期行動を共にした高山善廣、そして鈴木の3人と「3人掛け」でシングルマッチを戦う(3戦とも敗北)。鈴木との試合後、鈴木がマイクを取り「コイツ、プロレス界に戻ってきてもいいか?」と観客に問いかけると、観客は拍手で答え、NOSAWAのプロレス界復帰を支持した[2]

2017年8月27日、全日本プロレス両国国技館大会にブラック・タイガーとしてTAKAみちのくとタッグを組み、青木篤志と佐藤光留のタッグが持つアジアタッグ王座に挑戦。佐藤のプランチャが青木に誤爆してから青木が捕まる展開となり、一進一退の後に最後は10分35秒に超高校級ラ・マヒストラルでフォール勝ち。102代王者となった。この急造タッグの活躍に、直後の専門誌には「まさかのタイトル移動劇…。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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