NIAGARA_TRIANGLE_Vol.1
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『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』
ナイアガラ・トライアングルスタジオ・アルバム
リリース1976年3月25日 (1976-03-25)
録音.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

1975年11月7日 ? 1976年1月24日 (1975-11-07 ? 1976-01-24)

福生45スタジオ

コロムビア・スタジオ

ジャンル

ロック

ポップス

レーベルNIAGARA ? COLUMBIA
プロデュース

大滝詠一

山下“クマ”達郎

伊藤“Old British Rocker”銀次

チャート最高順位


29位(オリコン、LPチャート)[1]

ナイアガラ・トライアングル アルバム 年表

-

NIAGARA TRIANGLE Vol.1

(1976年 (1976))


NIAGARA TRIANGLE Vol.2

(1982年 (1982))



『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』収録のシングル

幸せにさよなら / ドリーミング・デイ
リリース: 1976年4月1日 (1976-04-01)

ナイアガラ音頭
リリース: 1976年6月1日 (1976-06-01)

山下達郎 年表



SONGS / シュガー・ベイブ

(1975年 (1975))


NIAGARA TRIANGLE Vol.1

(1976年 (1976))


CIRCUS TOWN

(1976年 (1976))


伊藤銀次 年表



1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出

(1973年 (1973))


NIAGARA TRIANGLE Vol.1

(1976年 (1976))


DEADLY DRIVE

(1977年 (1977))


大滝詠一 年表



僕は天使ぢゃないよ / あがた森魚・大瀧詠一

(1975年 (1975))


NIAGARA TRIANGLE Vol.1

(1976年 (1976))


GO! GO! NIAGARA

(1976年 (1976))


ナイアガラ・レーベル 年表



NIAGARA MOON / 大瀧詠一

(1975年 (1975))


NIAGARA TRIANGLE Vol.1 / ナイアガラ・トライアングル

(1976年 (1976))


GO! GO! NIAGARA / 大滝詠一

(1976年 (1976))


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『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』(ナイアガラ・トライアングル ヴォリュームワン)は、1976年3月25日 (1976-03-25)に発売されたナイアガラ・トライアングル大滝詠一山下達郎伊藤銀次)通算1作目のスタジオ・アルバム。
解説

1973年 (1973)当時、大滝詠一のナイアガラ構想は、ノヴェルティー・タイプのココナツ・バンク、大滝詠一のポップス、シュガー・ベイブのメロディー・タイプ中心という三位一体構想だった[2]。1974年9月にディストリビュート会社もエレックレコードに決まり、1975年4月 (1975-04)に『SONGS[注釈 1]、5月に『NIAGARA MOON[注釈 2]がリリースされてようやくレーベルとしての本格的な活動が始まったが、その折にエレック・レコードが倒産、結局1976年 (1976)、日本コロムビアと新契約を結んだ。それまで所属していたシティー・ミュージックも解散、そのとき設立したのがザ・ナイアガラ・エンタープライズだった。

『SONGS』『NIAGARA MOON』と連続リリースされた後の6月9日、当時のナイアガラでレコード制作と並んでもう一つの基幹活動となったラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』がスタートし、その最初のゲストとして伊藤銀次、山下達郎を迎えたのが第16回(9月29日)第17回(10月6日)だった。この番組がきっかけとなって、終了後に“トライアングル企画”を提案した。大滝にとっては新会社を作り、新たにコロムビアと契約するので、その第一弾として1973年からここまでの三人の活動を記録しておきたいという思いからの提案だった[3]。ココナツ・バンクは1973年9月 (1973-09)で解散、シュガー・ベイブもアルバム1枚をもってレーベルとの契約を終了していたため、1976年 (1976)の契約時点でナイアガラのアーティストは大滝一人だけになっていたので、コロムビアとしては最初のアルバムだったが、ナイアガラ構想の事実上最後のアルバムだった。

この企画はアルバム『ティーンエイジ・トライアングル』[注釈 3]をヒントにしたものだが、シンガー・ソングライター・プロデューサーの3人が、各々のプロジェクトを持ち寄って集まるというアルバムはそれまで類が無かった[3]。おのおのが3曲、または4曲ずつ持ち寄り、プロデュースも各自が行うという体制でレコーディングは進められた。当初、このアルバムの“オチ”として大滝が密かに予定していたのは三人で歌う「ホンダラ行進曲」だった。ライブでカバーしたのにはそうした個人的背景があってのことだったが[注釈 4]、その前に「ナイアガラ音頭」のアイデアがラジオ番組に届き[注釈 5]、当初はラジオ番組用の遊びのつもりで作ったが、これが「ホンダラ行進曲」に取って代わる楽曲として収録された[3]

2013年3月20日 (2013-03-20)、大滝とナイアガラ・レーベルの楽曲が各音楽配信サイトにて一斉配信され、本作もオリジナル盤収録の11曲が配信リリースされた[5]
収録曲
SIDE A
ドリーミング・デイ

作詞 : 大貫妙子、作曲・編曲 : 山下達郎

このアルバムのために書き下ろされた曲で、山下によれば3年間大滝と付き合って色々影響を受けたことを表現した作品だという[6]。仮題は「クライド・マック・バーガー」[7]


パレード

作詞・作曲・編曲 : 山下達郎

シュガー・ベイブのレコーディングの話が出来た頃、大滝からシングル向きの曲をと依頼されて作ったものの「シングル向きではない」と言われ、デモ・テイクは録音したものの結局アルバムには入らなかった[6]。山下によれば家のコタツに入って安物のワインを飲みながら書いた記憶があり、ギターで作ったから、ああいうビート感が出たのだという[8]。キースの「98.6」が下敷きになっている。後に「DOWN TOWN」がバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のエンディングに使用されたのに合わせ、カップリングとしてシングルカットされた[注釈 6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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