NIAGARA_CALENDAR_'78
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}大瀧詠一 > 大瀧詠一の作品一覧 > NIAGARA CALENDAR

『NIAGARA CALENDAR』
大滝詠一スタジオ・アルバム
リリース1977年12月25日 (1977-12-25)
録音45 Studio, Fussa
Over Dubb:Sound City, Freedom
ジャンル.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ロック

ポップス

レーベルNIAGARA ? COLUMBIA
プロデュース大瀧詠一
チャート最高順位


60位(1996年盤、オリコン

大滝詠一 アルバム 年表



GO! GO! NIAGARA

(1976年 (1976))


NIAGARA CALENDAR

(1977年 (1977))


DEBUT

(1978年 (1978))



『NIAGARA CALENDAR』収録のシングル

「青空のように」
リリース: 1977年7月1日 (1977-07-01)

「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」
リリース: 1978年2月1日 (1978-02-01)

ナイアガラ・レーベル 年表



多羅尾伴内楽團 Vol.1 / 多羅尾伴内楽團

(1977年 (1977))


NIAGARA CALENDAR / 大滝詠一

(1977年 (1977))


多羅尾伴内楽團 Vol.2 / 多羅尾伴内楽團

(1978年 (1978))


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『NIAGARA CALENDAR』(ナイアガラ・カレンダー)は、1977年12月25日 (1977-12-25)に発売された大滝詠一の通算4作目のスタジオ・アルバム
解説

ジュリー・ロンドンが1956年 (1956)に発表したアルバム『カレンダー・ガール』の大瀧版[1]で、日本で最初に作られた「カレンダーアルバム」である。

このアルバムが商業的に失敗し、発売後に大瀧はコロムビアとの契約を打ち切られてしまうため、結果的には「第一期ナイアガラ」のラストアルバムとなる。

なお、1977年版(以下、コロムビア盤)は福生45スタジオのミックスルームを別の部屋に移動させたことやスケジュールに余裕がなかったことが影響し、ミキサーの出力端子の左右を逆に接続していたことに気づかずにミックスしてしまい、大瀧が構想していたものとは定位が逆になっていた。大瀧は30周年記念盤で久し振りにオリジナルマスターを再生させるまでその事実に気付かず[2]、後に2008年の新春放談で「今ひとつ評価が悪かったのはL-R(左右)が違ったせいもあったかもしれないなぁ…」と語っていた[3]

1981年4月1日 (1981-04-01)に笛吹銅次こと大瀧自身による全曲リミックス、新ジャケットにて再発売された(以下、ソニー盤)(後述)。更に1986年3月21日 (1986-03-21)には吉田保による再リミックスが施されたCDが発売された(廃盤)。
収録曲
SIDE 1
Rock'n'Roll お年玉冒頭の
SEについて大瀧は「部屋の中にテープ・レコーダーを置いて、狭いところにマイク2本並べて、真ん中にカレンダーを置いて録音ボタンを押して、一旦戸を閉めて。向こうでレコーダーが回ってるわけですよね。で、ギイッって自分で戸を開けて、畳敷きのところをスリッパを履いて音をちょっとたてつつ、壁にとめてあったカレンダーの表紙をビリビリ破って」[4]と、その録音手順を明かしているが、“みなさん”の挨拶はその場で言っているという。また、「スタジオの外から中に入ってくる、というのは『幕末太陽傳』の当初のアイデアの逆ですよね。外にいた人間がスタジオに入ってきて曲が始まるという」[4]とも答えている。後に鈴木祥子によってカヴァーされた[注釈 1]

Blue Valentine's Dayバレンタインデー・ソングには珍しい、男の失恋の歌。山下達郎[5]をはじめ多くの歌手がこの曲をカヴァーしている。コロムビア盤ではドラムの音が入っていない。シングルとは異なるバージョン(ミックスにわずかな違いがある)。なお、はっぴいえんど結成当初のバンド名は「バレンタイン・ブルー」であった。プロモーションシングル盤のB面に大滝詠一楽団名義のインスト版が収録されている。

お花見メレンゲシングル「Blue Valentine's Day」のB面曲としても発売されたが、異なるバージョン(シングルは別ミックスによりモノラル化)。『NIAGARA SONG BOOK』収録のインストゥルメンタル版が、フジテレビ『おめざめ天気予報』のオープニング・テーマに使用された(1991-1992年)。

Baseball-Crazy

五月雨1972年 (1972)発売のシングル「空飛ぶくじら」[注釈 2]のカップリング曲のセルフ・カヴァー。その経緯について大瀧は「5月は考えたんだよね。こいのぼりとか菖蒲湯とか、いろいろ考えあぐねてもうネタがなくて。これはもう<五月雨>をやるしかないなと思ったんだけれども。だけどなんであんなライチャスのできそこないみたいなアレンジを突然しようと思ったのかはよくわからないんだけど。まあ、スペクターのアプローチでどの曲かはやらないととは当然思ってたんだけど。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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