NHK総合
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12月5日 - 実用化試験局が毎日放送となり、演奏所内幸町NHK東京放送会館に、送信所紀尾井町の千代田放送所(現・千代田放送会館)に置かれ、VHF3chから映像出力5kWで送信[13](事実上のサービス放送開始)。12月26日 - 東京テレビジョンに予備免許が交付される[13]
1953年
1月11日 - テレビジョン放送の開始に備え、NHK自前の東名阪マイクロ回線の運用開始。日本放送協会(NHK)のテレビ事業として公営放送を開始した。総合テレビ以外では民放での主体として、少し遅れて設立された日本テレビ放送網と共に、ラジオが主体であった第二次世界大戦前から戦後しばらくの間報道のあり方を変え、現在に至る日本国マスメディアの基本形を形成した。1月26日 - 東京テレビジョンに本免許[13]2月1日 - 14時、東京テレビジョン(呼出符号:JOAK-TV、現NHK放送センター本放送開始[14][15]。演奏所はNHK東京放送会館に、送信所は紀尾井町の千代田放送所(現・千代田放送会館)に置かれ、VHF3chで送信された。映像出力10kw。
1954年(昭和29年)
3月1日午前8時 - 大阪テレビジョン(呼出符号:JOBK-TV、現NHK大阪放送局)を開局。大阪は演奏所を馬場町の大阪放送会館に、送信所を生駒山に置き、試験放送時代と同じVHF4chで映像出力は10KWに増強し送信された。3月1日午前11時 - 名古屋テレビジョン(呼出符号:JOCK-TV、現NHK名古屋放送局)本放送開始。演奏所と送信所を当時名古屋市中区丸の内(現在の「名古屋市立丸の内中学校」の場所)にあった名古屋放送局敷地内に置き、試験放送時代と同じVHF5ch・映像出力5KWで送信された。3月1日午後2時 - 大阪局・名古屋局の開局記念特番を放送[16]。4月15日 - 電電公社(現在のNTTコミュニケーションズ)がテレビジョン放送の全国展開に対応するため、専用マイクロ回線の運用を開始。これに伴いNHK自前回線を廃止し、公社回線に移行。8月22日 - 名古屋テレビジョン、完成したばかりの名古屋テレビ塔に送信所を移し、映像出力を10kWに増力。
1956年
3月21日 - 仙台広島福岡の各放送局がテレビジョン本放送を開始。以降4年をかけて全国のネットワークをほぼ完成させる。11月1日- 名古屋テレビジョン、中部日本放送テレビジョン放送(呼出符号:JOAR-TV、VHF5ch)の同年12月1日放送開始に備え送信チャンネルを5chから3chに変更。
1957年
5月29日?12月23日 - 長野静岡金沢岡山松山小倉の各放送局がテレビジョン本放送を開始。10月7日 - 早朝放送開始。12月28日 - 東京テレビジョンでカラー実験放送開始。
1958年
11月29日 - 大阪テレビジョン、毎日放送テレビジョン放送(呼出符号:JOOR-TV、VHF4ch)開始に備え送信チャンネルを4chから2chに変更。
1959年
1月10日 - 教育放送専門のNHK教育テレビジョン(2011年6月以後の愛称「Eテレ」)開局。それとの区分のため、正式な名称を「NHK総合テレビジョン」に定める。4月6日 - 東京テレビジョン、放送エリアを関東全域に拡大するため、この年1月10日に開局した東京教育テレビジョン(呼出符号:JOAB-TV)と送信所を入れ替え。この日の放送開始から送信所は東京タワー放送所)に、チャンネルはVHF1chに変わり、デジタル放送完全移行までの半世紀以上の間総合1ch、教育3chというチャンネル割り当てで放送を行った(これに伴い、カラー実験放送も、この日を境に教育テレビへ移行し、翌年の本放送開始の前日まで続いた[17])。
1960年
9月10日 - 東京と大阪でカラー本放送開始。
1962年
3月19日 - 平日午前にあった中断時間を廃止。7月23日 - 平日午後の中断時間を廃止し、終日放送となる。
1964年
東京オリンピック終了後、渋谷区神南NHK放送センター運用開始。以後9年をかけて順次機能移転。
1966年
3月20日 - 当時の電電公社(現在のNTT)の日本全国に於けるカラーテレビ用マイクロ波回線の高規格化工事が完成(鹿児島-名瀬間を除く)[18]。これにより、全国でネット回線経由によるカラー放送が実施可能になったことで、奄美大島等の一部離島地域を除き、全国のカラー化整備が完了する[19]
1969年
3月15日 - 佐賀テレビジョン(呼出符号:JOSP-TV)、総合テレビ初のUHF親局として放送開始。以後、高松、大阪以外の近畿5府県、岐阜でUHFによる親局が開局し、県域放送開始。12月21日 - 東京と大阪で、音声多重放送2か国語放送の実験放送を開始[20][21]
1970年
4月 - UHFテレビジョン試験放送が東京と大阪で開局(ともにUHF14ch)。8月9日 - 東京で、音声多重放送のステレオ放送の実験放送を開始[22][23]
1971年
10月10日 - 全番組カラー化[24][注 3][注 4][注 5]
1974年
1月16日 - 第1次オイルショックに伴い、テレビ放送の昼間[25]深夜の放送を一部休止[26]

総合テレビ、UHFテレビ試験放送では月?金曜日の14時台後半?16時台前半を放送休止とし、深夜は23時で放送打ち切りとなる[注 6]
4月1日 - 深夜の放送終了を23時15分に繰り下げ。翌年には週末のみ[注 7]24時まで、と段階的に放送時間を拡大させている。9月9日 - 昼間の放送休止を解除。
1975年
4月7日 - UHFテレビ試験放送終了。
1978年
10月1日 - 東京と大阪で音声多重実用化試験放送開始。
1982年
12月17日 - 音声多重本放送開始。
1984年
4月2日[27] - 平日の放送終了が24時となり、オイルショックから続いていた深夜の放送休止を全面解除。
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