NHK教育テレビジョン
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2000年代頃から[注 6]は、過去の番組構成を踏襲しながらも個々の番組をリニューアルし、タレントを起用するなど軟化させた、俗受けするような番組もラインナップされるようになっている。例えば「囲碁将棋」「障害者」「クラシック音楽」「語学」「短歌俳句」などは、それのみを純粋に扱うだけでなく、「バラエティ番組に近い教養番組」として作られているものもある。番組の編集もテロップワイプを多用して民間放送のそれに近くなっている。

きょうの料理』、語学講座や趣味番組では必ず番組の最後に番組テキストの宣伝が挿入される。『日曜美術館』のテーマは国内の美術館で企画が行われていたり、「○○周年」のような産業的に利用するに時宜にかなった作家ジャンルが優先的に取り上げられている。

かつては24時間放送を行っていた時期があったが、諸般の事情により中止し、一日平均21時間前後の放送となっている。ただしこれについてはデジタル化原則完了もあり、引き続きマルチ編成の活用などによる削減に向けた取り組みが進められており、2012年度からは、さらに放送時間が削減[3]

本局での最高視聴率は、『第61回全国高等学校野球選手権大会』の「箕島対星稜」中継(1979年(昭和54年)8月16日)で、29.4%を記録した[注 7][5]
歴史
世界初の教育専門チャンネル

1959年昭和34年)1月10日に日本で初めて教育放送を専門に扱うテレビジョン放送局として東京[6]、同年4月1日大阪が開局した。当初は全日放送ではなく、日中の数時間は中断しテストパターンなどが流されていた。
1959年1月10日の当日の番組[7]


10:50-11:00 放送開始・おしらせ

11:00-11:15 三学期の贈り物「はてなはてな お正月」(実質的な教育テレビの開局後最初の番組)

11:15-11:35 同「芸術の窓・チャイコフスキーバレエ音楽」

11:35-11:55 同「美術教室」

11:55-13:00 海外だより

13:00-13:30 教師の時間・火の燃え方

13:30-14:00 母親から教師から・入学前にしつけておきたいこと(14:00-15:00 放送休止=モノスコープによる試験電波

15:00-16:05 NHK東京教育テレビジョン放送開局記念式典実況(NHKホール内幸町〉から公開生中継)(16:05-18:00 放送休止=試験電波)

18:00-18:03 放送再開・おしらせ

18:03-18:10 漫画映画ロデオ大会」

18:10-18:40 びっくり百科

18:40-19:00 連続ドラマ「鉄砲小彌太」

19:00-20:30 NHK東京テレビジョン放送開局記念特集

式辞:NHK会長・野村秀雄

テレビを生活に生かすには(練馬公民館から公開生中継)


20:30-21:15 日本の歴史・日本人と国家の起源

21:15-22:00 音楽夜話(実質的なこの日の最終番組)

話:「ベートーベンの遺跡をたずねて」

演奏:ベートーベン作曲「ロマンス」より、ヘ長調ト長調


22:00-22:03 おしらせ・放送終了

東京は完成から間もなかった東京タワーから1chで開局し、同年4月6日に千代田区の送信所(後の千代田放送会館)から3chで放送されていた総合とチャンネルが入れ替わった。大阪はそれまでアメリカ軍レーダー用に割り当てられた12chが使用された。全国的にみても、教育テレビのアナログ放送には、12chが割り当てられている地域が比較的多かった。なお、教育テレビが全国に置局化されるまでは、教育テレビの未開局の地域では総合テレビで一部の学校放送番組が放送されていた。

カラー放送は、先ず東京で、1959年4月6日に、前述の総合テレビと教育テレビのチャンネルが入れ替わったのを機に、それまで総合テレビでやっていたその実験放送がそのまま教育テレビに引き継がれ、翌日からそれを引き継いで開始[8]。翌年(1960年)9月10日の本放送の前日まで行われた。そして、翌日からの本放送は、東京・大阪共に、総合テレビと同日に開始された。NHKアーカイブスの番組表検索によると、本放送開始の1960年(昭和35年)9月10日の幼児向け番組「かっちゃん」に[注 8]との記載があり、9月12日以降、『理科教室小学校1年生 ?なんなんなあに?』、幼児向けの『できたできた』、小学生高学年向けの『美術教室』『音楽教室』などが、東京ではカラーで放送されており(その後一部は大阪でもビデオ送りでカラー放送となった)、その多くが同年4月の実験放送時から、後の本放送化を考えてカラーで制作かつ実験放送されていた番組である。[9]
オイルショックとその後の変容

第1次オイルショックの影響を受け、1974年(昭和49年)1月16日以降、14:30から17:30のうち1時間から3時間を休止に充てるとともに[10]、深夜も23:00で放送が打ち切られた[11]。ただし早終い全面解除までその後10年を要した総合と異なり、2か月半後には深夜の終了が30分延ばされ23:30に、9月には日中の放送休止解除、そして翌1975年(昭和50年)度には東京・大阪のアナログUHF実験局閉局もあり、放送大学の開学に向けた実験番組『大学講座』を放送[注 9][注 10]することになったため、1年2か月半ぶりにオイルショックによる時間短縮措置が全面解除された。

放送自体のカラー化開始は総合と同時期だったのに対し、番組の全面カラー化は渋谷の放送センターへ東京の拠点集約を完了してからもまだ実現せず、1977年(昭和52年)10月1日であった[注 11]。このカラー化により日本のテレビ番組から、過去作の再放送等を除いた白黒放送が消滅した。

アナログ音声多重放送については、1980年代半ばまでは計画がなかったが、まず三大都市圏で1990年平成2年)10月から、その他は翌年3月21日春分の日)からの実施であった。いずれも総合テレビや在京・在阪民間放送より相当遅かった。文字多重放送字幕放送)については1999年(平成11年)と、さらに開始が遅かった。

しかし、これらのサービスを開始することにより、教育テレビの編成における制約が徐々に少なくなっていった。この動きに合わせるかのように、それまで総合で放送されていたジャンルの一部が、衛星テレビジョン本放送開始も相まってジャンル整理の一環として教育テレビに移ってくるようになった。総合で放送されていた子供向け番組は、平成時代に入ると姿を消し、教育テレビに集約された。総合の空いた時間帯には、報道・情報番組が編成されるようになっていった。

なお、衛星放送は当初、1984年5月12日試験放送の名目で、2チャンネル同時開局して、衛星第2放送を使って教育テレビとの完全サイマル放送を行う予定だったが、ゆり2号aの太陽電池の不具合の発生に伴い、当初総合テレビジョンの完全サイマルを予定していた衛星第1放送のみの開局[12]となった際、一部の番組の時差編成を中心に放送が開始され、1986年12月26日から衛星第2放送が開局後から正式に教育テレビとの完全サイマル[13]に移行した。

その後1987年7月4日から、衛星第1放送が完全自主編成による24時間放送となったのに伴い、地上波難視聴対策放送は衛星第2放送に集約[14]されるが、大半の時間は総合テレビとの同時生放送が主であり、教育テレビは地上波からの時差放送が主となり、1989年6月3日6月1日より本放送開始)以後[15]は衛星第2放送でも自主編成を主体とした放送に移行したため、地上波の難視聴対策編成は時差編成(報道・スポーツ・連続テレビ小説大河ドラマ等一部は同時生放送)が主体となる。


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