NHK教育テレビジョン
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放送内容地上デジタル放送サイマル放送[注 4]
衛星基幹放送(BSデジタル放送)
放送事業者社団法人デジタル放送推進協会
チャンネル番号Ch.292
物理チャンネルBS-17ch
放送開始2010年3月11日
放送終了2015年3月31日終了
公式サイト
特記事項:
地デジ難視対策衛星放送対象リスト(ホワイトリスト)に掲載された地区のみ視聴可能。
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NHK教育テレビジョン(エヌエイチケイきょういくテレビジョン)は、日本放送協会(NHK)による地上基幹放送の一種別のテレビジョン放送国内放送でもある。

教育番組を中心とした編成で全国放送を行う。

略称はNHK E、教育テレビ、及びEテレ。2011年6月1日よりEテレが対外的名称として使われるようになり[1]、それ以降教育テレビの呼称はあまり使われなくなっている。

キャッチコピーは、「みつかる Eテレ」[2]
概要

地域ごとに番組が異なる編成を組むNHK総合テレビジョン(NHK G)と異なり、日本全国で統一した番組編成を基本とするため、関東地方東海3県近畿地方においては、一部に県域放送を設定するようなことはなく民間放送広域放送と同等の放送エリアとしている。これにより独自に放送を行うことができる放送局は41局と総合テレビより少ない。

編成は概ね各種教育[注 5]趣味教養講座福祉障害者向け、子供向けの娯楽を基本としているが、高校野球等のスポーツ中継なども放送される。一部はかつて総合テレビで放送されていたものが、媒体変化などもあって集約されたものである。

2000年代頃から[注 6]は、過去の番組構成を踏襲しながらも個々の番組をリニューアルし、タレントを起用するなど軟化させた、俗受けするような番組もラインナップされるようになっている。例えば「囲碁将棋」「障害者」「クラシック音楽」「語学」「短歌俳句」などは、それのみを純粋に扱うだけでなく、「バラエティ番組に近い教養番組」として作られているものもある。番組の編集もテロップワイプを多用して民間放送のそれに近くなっている。

きょうの料理』、語学講座や趣味番組では必ず番組の最後に番組テキストの宣伝が挿入される。『日曜美術館』のテーマは国内の美術館で企画が行われていたり、「○○周年」のような産業的に利用するに時宜にかなった作家ジャンルが優先的に取り上げられている。

かつては24時間放送を行っていた時期があったが、諸般の事情により中止し、一日平均21時間前後の放送となっている。ただしこれについてはデジタル化原則完了もあり、引き続きマルチ編成の活用などによる削減に向けた取り組みが進められており、2012年度からは、さらに放送時間が削減[3]

本局での最高視聴率は、『第61回全国高等学校野球選手権大会』の「箕島対星稜」中継(1979年(昭和54年)8月16日)で、29.4%を記録した[注 7][5]
歴史
世界初の教育専門チャンネル

1959年昭和34年)1月10日に日本で初めて教育放送を専門に扱うテレビジョン放送局として東京[6]、同年4月1日大阪が開局した。当初は全日放送ではなく、日中の数時間は中断しテストパターンなどが流されていた。
1959年1月10日の当日の番組[7]


10:50-11:00 放送開始・おしらせ

11:00-11:15 三学期の贈り物「はてなはてな お正月」(実質的な教育テレビの開局後最初の番組)

11:15-11:35 同「芸術の窓・チャイコフスキーバレエ音楽」

11:35-11:55 同「美術教室」

11:55-13:00 海外だより

13:00-13:30 教師の時間・火の燃え方

13:30-14:00 母親から教師から・入学前にしつけておきたいこと(14:00-15:00 放送休止=モノスコープによる試験電波

15:00-16:05 NHK東京教育テレビジョン放送開局記念式典実況(NHKホール内幸町〉から公開生中継)(16:05-18:00 放送休止=試験電波)

18:00-18:03 放送再開・おしらせ

18:03-18:10 漫画映画ロデオ大会」

18:10-18:40 びっくり百科

18:40-19:00 連続ドラマ「鉄砲小彌太」

19:00-20:30 NHK東京テレビジョン放送開局記念特集

式辞:NHK会長・野村秀雄

テレビを生活に生かすには(練馬公民館から公開生中継)


20:30-21:15 日本の歴史・日本人と国家の起源

21:15-22:00 音楽夜話(実質的なこの日の最終番組)

話:「ベートーベンの遺跡をたずねて」

演奏:ベートーベン作曲「ロマンス」より、ヘ長調ト長調


22:00-22:03 おしらせ・放送終了

東京は完成から間もなかった東京タワーから1chで開局し、同年4月6日に千代田区の送信所(後の千代田放送会館)から3chで放送されていた総合とチャンネルが入れ替わった。大阪はそれまでアメリカ軍レーダー用に割り当てられた12chが使用された。全国的にみても、教育テレビのアナログ放送には、12chが割り当てられている地域が比較的多かった。なお、教育テレビが全国に置局化されるまでは、教育テレビの未開局の地域では総合テレビで一部の学校放送番組が放送されていた。

カラー放送は、先ず東京で、1959年4月6日に、前述の総合テレビと教育テレビのチャンネルが入れ替わったのを機に、それまで総合テレビでやっていたその実験放送がそのまま教育テレビに引き継がれ、翌日からそれを引き継いで開始[8]。翌年(1960年)9月10日の本放送の前日まで行われた。そして、翌日からの本放送は、東京・大阪共に、総合テレビと同日に開始された。NHKアーカイブスの番組表検索によると、本放送開始の1960年(昭和35年)9月10日の幼児向け番組「かっちゃん」に[注 8]との記載があり、9月12日以降、『理科教室小学校1年生 ?なんなんなあに?』、幼児向けの『できたできた』、小学生高学年向けの『美術教室』『音楽教室』などが、東京ではカラーで放送されており(その後一部は大阪でもビデオ送りでカラー放送となった)、その多くが同年4月の実験放送時から、後の本放送化を考えてカラーで制作かつ実験放送されていた番組である。[9]
オイルショックとその後の変容

第1次オイルショックの影響を受け、1974年(昭和49年)1月16日以降、14:30から17:30のうち1時間から3時間を休止に充てるとともに[10]、深夜も23:00で放送が打ち切られた[11]


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