NHK大阪放送局
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一部の再放送番組[6]においても、他曜日から金曜日に移動するなどの改編を行い、午前中から夕方にかけて大阪放送局制作の番組が放送されることとなった[7]

2022年4月12日、同月25日付の役員人事にて、角英夫が大阪局が起こした不祥事の責任を取るため局長を退任し、後任に小池英夫が就任すると発表された[8]

2023年4月11日、同月25日付の役員人事にて、小池英夫が担当替えに伴い局長を退任し、後任にメディア総局長だった林理恵が就任すると発表された[9]
組織

2021年(令和3年)4月1日付で、部制度からセンター制(一時的に採用実績有)に見直された。

この見直しはNHKのいわゆる「令和改革」の拠点局におけるモデルケースとして位置づけられ、他の放送局に先行する形で実施された[10]。但し大阪局は本部のバックアップ拠点とされていることもあり、一部で部がセンターの下に残っている。
経営管理センター
近畿地方の各放送局統括管理部門
コンテンツセンター(旧:放送センター)
報道、アナウンス(旧:放送部)、番組制作、技術など現業部門
視聴者リレーションセンター(旧:視聴者センター)
営業(旧:営業推進部・現:同センター開発推進部管轄)、広報など対視聴者部門
沿革

1925年大正14年)

2月28日 - 社団法人大阪放送局設立。

5月10日 - 三越呉服店大阪支店屋上からラジオ第1試験放送開始。

6月1日 - 三越呉服店大阪支店屋上から仮放送開始。


1926年(大正15年)

8月20日 - 社団法人大阪放送局解散、一切の権利義務を社団法人日本放送協会が継承し社団法人日本放送協会関西支部に改称(放送時は大阪中央放送局と呼称)。

12月1日 - 大阪市天王寺区上本町9丁目(現:近鉄タクシー本社所在地付近)の上本町演奏所から本放送開始。


1927年昭和2年)8月13日 - 第13回全国中等学校優勝野球大会を実況中継(全国高校野球選手権大会中継の開始)。

1928年(昭和3年)8月1日 - 全国に先駆けて『ラジオ体操』放送開始[11]

1933年(昭和8年)6月26日 - ラジオ第2の放送開始。

1936年(昭和11年)12月12日 - 大阪市東区(現:中央区)馬場町に、初代大阪放送会館落成。

1950年(昭和25年)

3月10日 - 大阪テレビジョンの実験放送(JOBK-TVX)をVHF4chで開始[12]

6月1日 - 放送法施行に伴い社団法人日本放送協会が解散、特殊法人としての日本放送協会が一切の権利義務を継承。


1951年(昭和26年)11月3日 - 堺放送所(ラジオ)の運用開始[12]

1952年(昭和27年)4月 - 大阪テレビジョンが週二回の定期実験放送開始。開始音楽は『天国と地獄』(オッフェンバッハ)

1953年(昭和28年)8月13日 - 大阪テレビジョンが開通したばかりのNHK自営マイクロ上り回線を使って、高校野球を名古屋、東京に向けて実況中継。

1954年(昭和29年)3月1日 - 総合テレビの本放送を4chで開始(後に毎日放送が使用)。

1958年(昭和33年)

2月20日 - 生駒山よりFM実験放送開始(JOBK-FMX, 88.1Mc, 1 kW。1961年6月15日に10kWに増力)。

11月29日 - 米軍からレーダー用に使用されていた1・2chの各帯域が返還されたことを受けて、総合テレビのチャンネル番号を4chから2chへ変更。空いた4chは毎日放送(同年6月1日付で前述の『新日本放送』から社名を変更)に割当(翌年3月1日に地上アナログ本放送を開始)。


1959年(昭和34年)4月1日 - 教育テレビ12chの放送開始。NHK大阪放送局初の電子音楽の制作。

1960年(昭和35年)9月10日 - テレビのカラー本放送開始。当初は、東京からのカラー放送の放送回線が整備されていなかったため、東京から送られてきたカラーVTRやカラーフィルムをそのまま放送していた(ちなみにNHK大阪でのカラー第1回放送は、総合テレビで、カラー放送開始記念番組『長唄 -京鹿子娘道成寺-』のカラーVTR放送だった)。

1962年(昭和37年)6月10日 - 電電公社(当時、現・NTT)が、テレビネット用のマイクロ波回線を東京→大阪間で高規格化し、カラーテレビ伝送の暫定運用が開始(翌月1日から正式開始)。これにより、東京からのテレビ番組が(総合・教育共)、同回線を経由しての放送が開始され、東京・大阪の完全同時カラー放送が実現する(これにより、カラーで放送するための同番組の東京からのビデオテープ・フィルム送りを終了)[13]

1963年(昭和38年)11月12日 - 大阪放送会館新館落成(テレビスタジオのみ、8月から先行使用)[14]

1964年(昭和39年)

2月4日- FMのステレオ放送を開始。(当時はFM放送用のステレオ回線が実用化されていなかった為に、ステレオ放送を行うに当り、それが1978年10月1日に実用化されるまでは、東京から事前に番組のパッケージ・テープを送って放送していた。)[15]

4月6日 - 大阪局制作の連続テレビ小説の第1作、『うず潮』放送開始。


1969年(昭和44年)

2月13日 - ラジオの送信所を堺から美原(ラジオ第1)、羽曳野(ラジオ第2)に移転。同時にラジオ第2放送が100kWから300kWに増力され、初の無人化大電力放送所として運用開始[16][17]

3月1日 - FMの本放送開始[18]


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