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出典検索?: "NHK沖縄放送局" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年1月)
NHK沖縄放送局
放送対象地域沖縄県
所在地〒900-8535
那覇市おもろまち2丁目6-21
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯26度13分33.16秒 東経127度41分28.3秒 / 北緯26.2258778度 東経127.691194度 / 26.2258778; 127.691194座標: 北緯26度13分33.16秒 東経127度41分28.3秒 / 北緯26.2258778度 東経127.691194度 / 26.2258778; 127.691194
公式サイト
総合テレビ
開局日1967年12月22日
コールサインJOAP-DTV
親局那覇 17ch (キーID 1)
Eテレ
コールサインJOAD-DTV
親局那覇 13ch (キーID 2)
ラジオ第1
開局日1942年3月19日
コールサインJOAP
親局那覇 549kHz
ラジオ第2
コールサインJOAD
親局那覇 1125kHz
FM
コールサインJOAP-FM
親局88.1MHz
主な中継局
アナログテレビ
総合テレビ
平良 7ch、石垣 9ch、久米島36ch
ほか
教育テレビ
平良 4ch、石垣 12ch、久米島34ch
ほか
ラジオ
ラジオ第1
平良 1368kHz、石垣 540kHz
ほか
ラジオ第2
平良 1602kHz、石垣 1521kHz
ほか
FM放送
平良 85.0MHz、石垣 87.0MHz
ほか
特記事項:
*ラジオ放送は1945年3月23日から1972年6月24日まで放送中断
1967年から本土復帰までは沖縄放送協会(OHK)が運営
総合テレビ開局日はOHK宮古放送局(現在の宮古島市平良中継局)の開局日。
現沖縄放送局(旧OHK中央放送局)の開局日は1968年12月22日
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NHK沖縄放送局(エヌエイチケイおきなわほうそうきょく)は、日本放送協会(NHK)の沖縄県の地域放送局である。沖縄県を放送対象地域とする中波放送(AM放送)、超短波放送(FM放送)およびテレビジョン放送の県域放送を行う。 実質的な前身となる社団法人日本放送協会沖縄放送局は、太平洋戦争中の1942年3月19日に首里市(現:那覇市首里寒川町)で開局。那覇周辺で有線放送を行うが、3年後の1945年3月、沖縄戦直前の空襲で局設備が被害を受け機能停止、一旦廃局となる。その後、1972年5月15日の沖縄返還で沖縄県が“復活”した[注 1]ことに伴い、沖縄放送協会(OHK、1967年10月2日設立)の業務を移譲する形で改めて開局した。 このため経緯上は戦前の沖縄放送局との連続性はないものの、本土復帰40年となる2012年以降、戦前からの歴史を継承し、前述の1942年を正式な開局年としている(ただし「周年」の語は使用していない)。それでも開局順ではNHK佐賀放送局よりも後となり、九州・沖縄ブロックの最後発放送局であることに変わりはない。 当局のスタジオは、2006年3月5日まで、県庁所在地の那覇市ではなく豊見城市にあった。そのような経緯から、一般的なNHKの放送局では放送局所在地の市名を使用するのだが、当局のみは例外で、NHKの放送局名に過去も含めて唯一、県名を用いた放送局である[注 2]。また豊見城市の市制施行前の旧島尻郡豊見城村時代は、NHK放送局の中では唯一“村に所在する放送局”でもあった(なお、村はもとより郡部に所在するNHK局もここが唯一だった)。放送会館の那覇市おもろまち移転後、旧会館跡地は豊見城高安テレビ・FM送信所として送信機能のみが残されている。移転によりすべての県庁所在地にNHK放送局が設置された。 2022年5月15日、沖縄返還50周年にあたり、NHKは沖縄放送局を中心として、全国放送・ローカル放送(九州8県ブロック向けも含む)を通して、沖縄の戦時下・アメリカ占領下の時代を後世に伝えるとともに、琉球王朝時代からの沖縄の文化を語り継ぎ、また沖縄の魅力を広く発信するための大型キャンペーンとして「沖縄復帰50周年・つなぐ未来へ 本島周辺と先島地区では地上デジタル放送を含めた全ての放送サービスを利用できるが、大東諸島は地勢的要因により2019年6月時点で以下の通りとなっている。
概要
大東諸島におけるサービスの状況
総合テレビジョン・教育テレビジョン(Eテレ)
大東諸島においては、沖縄本島から遠く離れており、地上波の直接受信ができないばかりか、ケーブルテレビも整備されておらず、NHKはおろか、地元の県域民放も視聴することが長らくできなかった。そこで1975年にNHK沖縄が放送試験局(現・地上基幹放送試験局)(コールサイン・JO7D-TV)を開局して、沖縄放送局が番組を収録したビデオテープを南大東島役場に送り、それを1日あたり4時間程度放送するのみだった。
その後1984年5月に現在のNHK BS1の母体となる衛星第1放送(旧)の試験放送(当初は2チャンネル体制を予定していたが、衛星の故障により1チャンネルのみ)を、地上波の総合の同時放送(一部時差放送や教育テレビの時差放送もあり)という形で提供するようになった。1987年の番組再編で、地上波の同時中継は1986年に開局した衛星第2放送(当初は教育テレビのみ。1989年の本放送移行後は独自編成と混成)に移行し、更に同時期に衛星第1は独自編成となった。
この後、1998年4月から2011年7月24日のアナログ放送終了までは、衛星通信で送られていた小笠原諸島向けのNHK東京(JOAK-TVとJOAB-TV)の放送を受信、地上波に変換して放送していたが、アナログ放送終了に伴い2010年後半からはソースがBSを利用したセーフティネット放送に切り替えられた。沖縄県の情報は電話回線により、画面へのテロップ挿入で伝えた。
デジタル放送の中継局は当初、2010年の設置を目指しているとされていたが、本島⇔大東島間の中継回線をどうやって整備するか、その設置費用負担をどうするかといった諸問題が山積みになっており、開局の目処は立っていなかった。その後、2011年初頭に本島⇔大東島間の海底ケーブル敷設工事に着手する見通しが立ち、同年敷設されたため、アナログ放送最終日の2日前となる2011年7月22日に開局した。
なおセーフティネット放送についてはBS波のデジタル化対策も兼ね、直接受信できるようにもなっていた。