NHK広島
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本放送協会 > 日本放送協会放送局の一覧 > NHK広島放送局.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼:旧局舎の画像提供をお願いします。(2019年10月)

NHK広島放送局
NHK広島放送センタービル
放送対象地域広島県
所在地730-8672
広島市中区大手町2丁目11-10
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度23分26秒 東経132度27分19秒 / 北緯34.39056度 東経132.45528度 / 34.39056; 132.45528座標: 北緯34度23分26秒 東経132度27分19秒 / 北緯34.39056度 東経132.45528度 / 34.39056; 132.45528
公式サイト
総合テレビ
開局日1956年3月21日

コールサインJOFK-DTV
親局広島 14ch (キーID 1)
Eテレ

コールサインJOFB-DTV
親局広島 15ch (キーID 2)
ラジオ第1
開局日1928年7月6日

コールサインJOFK
親局広島 1071kHz
ラジオ第2

コールサインJOFB
親局広島 702kHz
FM

コールサインJOFK-FM
親局88.3MHz
主な中継局
アナログテレビ
尾道:総合1ch、教育7ch
福山:総合5ch、教育3ch
デジタルテレビ
呉・佐東・可部:総合14ch、教育15ch
福山:総合42ch、教育44ch
ラジオ
ラジオ第1
福山999kHz、庄原1161kHz、三次1584kHz
ラジオ第2
三次1035kHz、庄原1359KHz、福山1602kHz
FM放送
豊栄81.9MHz、三次84.5MHz、福山84.8MHz
特記事項:
ラジオ第2放送は広島県と山口県東部を放送対象地域としている。
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NHK広島放送局(エヌエイチケイひろしまほうそうきょく)は、広島県放送対象地域とする日本放送協会(NHK)の地域放送局中国地方全体を管轄するNHKの放送局である。
概要

中国地方のNHKの拠点局として中国地方5県を統括している。

世界初の原子爆弾被爆都市にある放送局として、平和を考える番組の制作に意欲的に取り組み、世界へ発信。海外で賞を受けたものもある。

文化庁芸術祭テレビ部門では、2008年(平成20年)に『帽子』で優秀賞、2009年(平成21年)に『火の魚』で大賞を受賞している。

かつて、ラジオ第1放送は、山口県東部も放送対象地域だったが、岩国中継局(585 kHz)の新設後、山口県東部は放送対象地域から外れた。ラジオ第2放送は引き続き岩国市柳井市といった山口県東部をエリア対象としている。

2006年10月に広島地区で地上デジタル放送を開始した。
組織

2023年(令和5年)4月1日より、拠点局・地方局関係なく、部制度からセンター制(一時的に採用実績有)に見直され、旧放送部などの部門については各センターの下に置かれた。
経営管理センター
中国地方の各放送局統括管理部門
コンテンツセンター(旧:放送センター)
アナウンス(旧:放送部)、番組制作・技術など現業部門
視聴者リレーションセンター(旧:視聴者センター)
営業(旧:営業推進部)、広報など対視聴者部門
沿革

1928年昭和3年)7月6日 - 社団法人日本放送協会広島放送局開局。ラジオ放送開始。(呼出符号:JOFK)

1934年(昭和9年)5月16日 - 中央放送局(広島中央放送局)に昇格。

1945年(昭和20年)

8月1日 - この日から戦況報道を伝えるアナウンサーが男性から女性に代わる。理由は「男性の声だと危機感を煽りすぎる」という聴取者の意見を取り入れたため。

8月6日 - 原子爆弾投下により上流川町(現:中区幟町)の放送局舎(演奏所等)壊滅。36名の職員が犠牲となった。生き残った職員は原放送所(当時、安佐郡祇園町[注釈 1])に集合し、予備演奏所を使用し翌日からローカル放送を再開[注釈 2]

被爆直後から「大阪中央放送局へ呼びかけを行う、悲しげな女性アナウンサーの音声がラジオから流れた」という風説が流布した。これらは当初「このような状況下での呼びかけは困難」との見方が示されていたが、その後の取材や元職員らの証言により、実際に大阪中央放送局などの近隣の放送局に救援を求めていたことが明らかとなった。結局、原放送所への避難後も大阪中央放送局と交信することはできなかったが、岡山放送局と交信が取れ、同局から原爆投下の第一報が東京へ伝えられた[1][2]。当日の放送の流れは以下の通り。

08:13 「防空情報放送、中国軍管区情報。午前8時13分、敵大型機3機、西条上空を西進しつつ……」と実況。2分後、原爆投下。

08:30 「こちらは広島中央放送局でございます。広島は空襲のため放送不能となりました。どうぞ、大阪中央放送局お願いいたします。大阪、お願いいたします。お願いいたします……」とコメントを残し音が途切れる。(同時刻に呉鎮守府が大本営海軍部へ現状報告)

この間に前述通り、岡山から東京へ報道

11:30 『こちらは大阪中央放送局でございます。広島に代わりまして大阪から放送いたします』・・・大阪からも報道開始

同時刻。同盟通信社の中村編集部長が、損傷を免れた日本放送協会広島中央放送局原放送所から岡山放送局に「6日午前8時16分頃、敵の大型機1機ないし2機、広島上空に飛来し、特殊爆弾を投下、広島市は全滅した。死者およそ17万人の損害を受けた」と広島壊滅の第一報を打つ。これは東京へ送られたものの、大本営が広島市壊滅に関する報道の差し止めを命じたため、第一報が記事として非掲載。


大阪中央放送局への呼びかけを行なった女性アナウンサーが誰だったのかについては、白井久夫ディレクターをはじめとする調査員が詳細な調査を行なったが、特定することはできなかった。状況から考えると原爆投下直前の放送を担当した井沢幸世アナウンサーが声の主として有力視されているが、本人は訊き取り調査の際に否定している[注釈 3]


8月29日 - 同日夕方より本回線が復旧し、全国放送を本格的に再開[2]

9月10日 - ラジオ第2放送開始。


1950年(昭和25年)6月1日 - 放送法施行に伴い社団法人日本放送協会が解散、特殊法人としての日本放送協会が一切の権利義務を継承。

1956年(昭和31年)3月21日 - 総合テレビジョン放送開始。

1961年(昭和36年)1月8日 - 教育テレビジョン放送開始。

1962年(昭和37年)9月17日 - FM実験放送開始。2年後実用化試験放送に移行し、1969年(昭和44年)3月1日本放送となった。

1964年(昭和39年)10月1日 - 総合テレビジョンのカラー放送開始。[3]

1966年(昭和41年)3月20日 - 教育テレビジョンのカラー放送開始。[4]

1981年(昭和56年)8月8日 - 総合テレビジョンの音声多重放送開始。

1991年平成3年)3月21日 - 教育テレビジョンの音声多重放送開始。


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