NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団
NDR Elbphilharmonie Orchester
本拠地のエルプフィルハーモニー・ハンブルク
基本情報
出身地 ドイツ・ハンブルク
ジャンルクラシック音楽
活動期間1945年 -
共同作業者首席指揮者:アラン・ギルバート
公式サイト ⇒NDR Elbphilharmonie Orchester
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NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(NDR Elbphilharmonie Orchester)は、1945年に結成された、北ドイツ・ハンブルクに本拠を置くオーケストラ。旧称は、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(ドイツ語: NDR Sinfonieorchester Hamburg)。
現在の本拠地は、ハーフェンシティにあるエルプフィルハーモニー・ハンブルク。「エルプ」はハーフェンシティが面するエルベ川を意味する。2016年までの本拠地ライスハレ その楽団名にNDR(北ドイツ放送)を冠する通り、北ドイツ放送協会の放送オーケストラである。本拠地は、2016年まではハンブルクのライスハレ(旧称ムジークハレ)、2017年1月からは新たにオープンしたエルプフィルハーモニー・ハンブルク。現在の首席指揮者はアラン・ギルバート。 かつて「北ドイツ放送交響楽団」と称しており、こちらの名称で当該楽団を知る向きも多く、旧称の楽団名でのレコーディング作品等も存在していることから、CDなどの購入の際は留意する。 北ドイツ放送は、このNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の他に、ハノーファーにもハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団を所有している。 第二次世界大戦後、旧西ドイツでは各地のラジオ局(放送協会)による放送オーケストラが結成されたが、北ドイツ放送交響楽団もその一つである。終戦直後の1945年、ドイツの指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットのもとにイギリス軍将校2人が訪れ、ハンブルクの放送局で交響楽団を創設してほしいと依頼し、創設に尽力する。当初は北西ドイツ放送交響楽団(NWDR-Sinfonieorchester)として結成され、後にケルン放送交響楽団を分離し、北ドイツ放送交響楽団となる。シュミット=イッセルシュテットは、初代の首席指揮者(1945年 - 1971年)に就任した。 結成直後の1951年には巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが指揮台に立ち、地元ハンブルク出身である作曲家ヨハネス・ブラームスの作品が演奏された。このときに演奏された交響曲第1番は録音も残っている。その他にも、ハンス・クナッパーツブッシュ、エーリヒ・クライバー、カール・シューリヒト、オットー・クレンペラー、カール・ベーム、フェレンツ・フリッチャイ等が指揮台にたった。 地元ハンブルク生まれでもあるブラームスの作品は、その後も一貫してこのオーケストラの主要レパートリーの一つであり、シュミット=イッセルシュテット、ヴァント(2種)とは交響曲全集も完成している。 伝統的な作品の他に現代音楽もレパートリーとしており、ブルーノ・マデルナやピエール・ブーレーズ、クシシュトフ・ペンデレツキ、松下眞一らの作品も彼らの指揮により、初演を行っている。 シュミット=イッセルシュテットの退任後、1972年からモーシェ・アツモンが第2代首席指揮者をつとめ、1979年には、東ドイツから亡命したばかりのクラウス・テンシュテットが第3代首席指揮者に就く。しかし、テンシュテットは楽団との関係がうまくいかず、1981年の演奏旅行中に辞任してしまう。後継にはケルン市の音楽総監督をつとめたギュンター・ヴァントを第4代首席指揮者(1982年 - 1991年)として迎える。 ヴァントはオーソドックスな演奏で評判を呼び、楽団員からの信頼も厚く、首席指揮者退任後の1991年以降でも名誉指揮者として、2002年2月14日に没するまでこの楽団に客演した。ヴァントのあとは、ジョン・エリオット・ガーディナー(1991年 - 1994年)、ヘルベルト・ブロムシュテット(1995年 - 1997年)、クリストフ・エッシェンバッハ(1998年 - 2004年)、クリストフ・フォン・ドホナーニ(2004年 - 2011年)が首席指揮者をつとめた。
概要
沿革