Mr.Children
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バンド名の表記

本来「Mr.」の後には空白文字を入れるが、「Mr.Children」は空白文字を挿入しない(デビュー当初の一部表記には空白が見られた)。表記については「Mr.Children」が最も多用されているが、「MR.CHILDREN」[注釈 3]、「mr.children」[注釈 4]という表記もある。

アマチュア時代はカセットテープ、参加したオムニバス・アルバム、ライブ告知用のフライヤー、掲載雑誌、所属事務所発行の「御苑プレス」、直筆メッセージなどはすべて「MR.CHILDREN」を使用していた。

1stアルバム『EVERYTHING』では「Mr.Children」、「MR.CHILDREN」(表ジャケットと中ジャケット)、「MR. CHILDREN」(スペース有り)、「Mr.CHILDREN」の表記が混在しており、以降の作品や雑誌などでも箇所によって表記が異なるものが存在している。
メンバー

名前担当生年月日出身地血液型
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}桜井(さくらい)和寿(かずとし)ボーカル
ギター
ブルースハープ[注釈 5]
ピアノ[注釈 6] (1970-03-08) 1970年3月8日(54歳)東京都O型
田原(たはら)健一(けんいち)ギター
グロッケン[注釈 7]
マンドリン[注釈 8]
ピアニカ[注釈 9] (1969-09-24) 1969年9月24日(54歳)福岡県O型
中川(なかがわ)敬輔(けいすけ)ベース (1969-08-26) 1969年8月26日(54歳)長崎県A型
鈴木(すずき)英哉(ひでや)ドラムス
パーカッション
ボーカル[注釈 10]
コーラス[注釈 11] (1969-11-14) 1969年11月14日(54歳)東京都A型

影響

邦楽では浜田省吾甲斐バンド井上陽水YMOECHOES佐野元春尾崎豊など[21]

洋楽ではブルース・スプリングスティーンシンディー・ローパーリサ・ローブレディオヘッドなどの影響を受ける[21]。デビュー当時から大きく影響を受けたバンドの1つにはU2があり、桜井は「変化することでより多くのものを巻き込んでいく姿勢」など精神的な面でも影響を受けたと語っている[12]
経歴
バンド結成からメジャー・デビューまで

1985年(昭和60年)、関東高等学校(現・聖徳学園高等学校)の軽音楽部に所属していた桜井和寿中川敬輔、桜井が野球部から軽音楽部に誘った田原健一、ドラマーと女性キーボードによる5人組バンド・Beatnikを結成[22]

1987年(昭和62年)、バンド名をTHE WALLSへ改名。

1988年(昭和63年)、ソニーのコンクールのテープ審査を通過したが最終選考前にドラマーが脱退[23]。次のドラマーを探す中で吉祥寺のライブハウスへ出演した際、田原・中川とは中学時代の同級生で当時は他のバンドにて活動していた鈴木英哉が目に留まり、バンドに誘う[23]。桜井は当時について「とにかく決勝が迫っていたので誰でも良かった」、鈴木は「土下座して頼まれたので、仕方なく受けた」と話している[23]。ソニーのオーディションには落選したものの後日正式に加入、現在のメンバーとなる[17]

1989年(昭和64年)にバンド名をMr.Childrenへと改名後、ライブハウス「渋谷La.mama」を中心にライブ活動を行っていた。同年8月には初の自主制作テープ「Hello, I Love You」を制作。

1990年に入り、プロデビューの話も舞い込むようになる[24]。その後、トイズファクトリーと契約を交わしプロデューサーとして小林武史を迎え入れ、メジャーデビューに向けてレコーディングが始まる[25]
1992年 - 2001年

※オフィシャル・ウェブサイト「Biography」参照[26]

1992年(平成4年)

5月10日:1stアルバム『EVERYTHING』でメジャーデビュー。

5月19日:メジャーデビュー後初のツアー『'92 Tour Everything』スタート。

5月25日:日清パワーステーションでデビュー後初となるワンマンライブ開催。

8月21日:アルバム『EVERYTHING』からのリカットとなる1stシングル『君がいた夏』発売。FM802の8月度ヘヴィー・ローテーションに選ばれる[27]

9月21日:『'92 Your Everything Tour』スタート。

12月1日:2ndシングル『抱きしめたい』、2ndアルバム『Kind of Love』同時発売。アルバムは3年に渡るロングヒットでミリオンセラーに。

12月7日:『'92-'93 Kind of Love Tour』スタート。


1993年(平成5年)

7月1日:3rdシングル『Replay』発売。江崎グリコポッキー」のCMソングに起用、初の本格的なタイアップ作品となる[11]

9月1日:3rdアルバム『Versus』発売。

9月23日:『'93 Versus tour』スタート。

11月10日:4thシングル『CROSS ROAD』発売。ロングセラーとなり、自身初のミリオンセラーとなる。

12月17日:テレビ朝日系音楽番組『MUSIC STATION』初出演(演奏曲は「CROSS ROAD」)。


1994年(平成6年)

6月1日:5thシングル『innocent world』発売。バンド初のオリコンチャート1位を獲得。193万枚を売り上げ、同年の年間シングル売上1位獲得。

9月1日:4thアルバム『Atomic Heart』発売。340万枚を突破し当時の歴代アルバム最高売上を記録。

9月18日:『mr.children '94 tour innocent world』スタート。

11月10日:6thシングル『Tomorrow never knows』発売。自身最高となる276万枚の大ヒットとなった。

12月12日:7thシングル『everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-』発売。

12月31日:第36回日本レコード大賞受賞(受賞曲は「innocent world」)。


1995年(平成7年)

1月7日:『Mr.Children '95 Tour Atomic Heart』スタート。

1月23日:桑田佳祐 & Mr.Children名義でシングル『奇跡の地球(ほし)』発売。収益金はすべてアクト・アゲインスト・エイズ (Act Against AIDS) 基金へ寄付した。

4月25日:書籍『【es】 Mr.Children in 370 DAYS』発売。

4月28日:桑田佳祐 & Mr.Childrenとしてのライブ・イベント『LIVE UFO '95 "Acoustic Revolution with Orchestra" 奇跡の地球』スタート。

5月10日:8thシングル『【es】 ?Theme of es?』発売。

6月3日:東宝配給映画『【es】 Mr.Children in FILM』公開。

7月16日:『Mr.Children STADIUM TOUR -Hounen Mansaku- 夏祭り1995 空 [ku:]』スタート。

8月10日:9thシングル『シーソーゲーム ?勇敢な恋の歌?』発売。


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