この項目では、日本の歌手について説明しています。その他の用法については「モジョ」をご覧ください。
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出典検索?: "MoJo"
MoJo
出生名富田 伊知郎
別名富田 伊知郎
とみた いちろう
生誕 (1952-08-24) 1952年8月24日(71歳)
出身地 日本・千葉県
ジャンルフォークソング(1973年 - )
アニメソング(1978年 - )
職業歌手
作曲家
担当楽器歌
活動期間1973年 -
レーベルエレックレコード
日本コロムビアほか
共同作業者Big Beat
魂の三兄弟(2005年 - )
公式サイト ⇒MoJo web
MoJo(モジョ、1952年8月24日[1][2] - )は、日本の歌手、作曲家。千葉県市川市出身[1]。
本名は富田 伊知郎(とみた いちろう)[3]。歌手としての別名義にとみた いちろうがある[3][4][5]。
「とみた いちろう」名義でフォークシンガーとしてデビュー。のちに作曲家・スタジオミュージシャンとしても活動し、CMソングなどの作曲・歌唱を手がける一方、「MoJo」の名義でアニメソング歌手としても活動している。
来歴が望まれています。 (2019年5月)
高校時代はフォークソングクラブにて部長を務める。この時期、同じく近隣の高校でフォークソングクラブの部長を務めていた佐藤龍一と出会う[6]。
1971年、佐藤龍一とともに吉田拓郎のコンサートに前座で出演したことをきっかけに、佐藤とブルースバンド「宴(うたげ)」を結成。同年、高校時代の後輩が結成したバンド「イージー・ライダーズ」にリードボーカルとして参加し、第5回全国ヤマハ・ライトミュージックコンテスト全国大会にて優勝するが、その後脱退。
1972年、千葉県船橋市において佐藤とともに「MOJO MOJO EAST[注 1]」を立ち上げ、さまざまな歌手を招いて毎月コンサートを行った。このコンサートに生田敬太郎を招いたことがきっかけとなり、同年に佐藤龍一、伊藤薫(両名は後に「竜とかおる」を結成)と共にエレックレコードと契約[6]。
1973年、「とみたいちろう」名義でエレックレコードよりアルバム『TAKE1』をリリース[4]し、フォークシンガーとしてメジャーデビュー。
1977年よりif音楽事務所に移籍[4]、バンド「Big Beat」を結成してライブ活動を行う[4]。
1978年にフリーのボーカリストとして独立し、同時に作曲家・スタジオミュージシャンとしての活動を開始[4]。バンド時代の最後のライブをCM制作のプロデューサーが見ていたことがきっかけで、CMソングの制作に歌手・作曲家として携わるようになる[7]。
また、同時期から「MoJo」のペンネームでアニメ作品や特撮作品の楽曲をレコーディングするようになる[2]。なお、「MoJo」は前述の「MOJO MOJO EAST」に由来するが、その当時カーリーヘアーにしていたことから自分自身も「モジョ」と呼ばれるようになったことがきっかけと発言している[8]。
スタジオミュージシャンとなってからはライブイベント等には参加しない方針をとっていた[7]が、1999年のライブイベント「スーパーヒーロー魂ツアー1999」にMoJoとして出演したことを機に、本格的にライブ活動を再開[4][5]。以降はアニメ・特撮ソング関連のライブイベントに参加する傍ら、定期的に自主ライブを開催している。
2007年には佐藤龍一と再会したことを契機に、再びフォークシンガー「とみたいちろう」としての活動を再開[9]しており、現在は作曲家としては「富田」、フォーク歌手としては「とみた」、アニメ・特撮ソング歌手としては「MoJo」と芸名を使い分けて活動している[2]。
作品
ディスコグラフィ
シングル
12時過ぎのシンデレラ / 今頃(1973年6月10日、AV-18) - とみたいちろう名義
バイ・バイ・ブルー / かげろうの恋(1975年5月30日、EB-1038) - とみたいちろう名義
ハイエナデキシーブルース / さよならマギー(1976年5月25日、EB-1048) - とみたいちろう名義
風よロマンに針路を向けて / ライバル(1979年、06-5H-12) - 富田伊知郎名義
君よ巨人の声をきけ(1989年3月21日、20336-10) - 富田伊知郎名義
お?い北海道(1990年9月25日、TKDA-30137) - とみたいちろう名義
セガサターン、シロ!(1998年2月15日、WPDV-7138) - とみたいちろう名義
アルバム
TAKE 1(1973年3月25日、ELEC-2016) - とみたいちろう名義
STEP TO MY WAY(1976年1月25日、ELRC-10) - とみたいちろう名義
MoJoスーパー・ベスト ?バトルフィーバーJ/科学戦隊ダイナマン?(2005年7月20日、COCX-33279)
代表曲(歌唱)
アニメソング
宇宙の男ライガー(1978年、『宇宙魔神ダイケンゴー』エンディングテーマ)
人生の停車駅(1978年、『銀河鉄道999』)
若き旅人(1980年、『釣りキチ三平』オープニングテーマ)
俺は釣りキチ三平だ(1980年、『釣りキチ三平』エンディングテーマ)
燃える闘魂 ?アントニオ猪木?(1981年、『タイガーマスク二世』)
Crystal Knights NECRIME(1983年、『未来警察ウラシマン』)
Maybe(1983年、『未来警察ウラシマン』)
Battle URASHIMAN(1983年、『未来警察ウラシマン』)
光速電神アルベガス(1983年、『光速電神アルベガス』オープニングテーマ)
若さのフォーメーション(1983年、『光速電神アルベガス』エンディングテーマ)
戦いに赴く前に(1983年、『光速電神アルベガス』)
虎エ門マーチ(1986年、『GoGo虎エ門』主題歌)
超空戦隊スターレンジャー(2006年、『無敵看板娘』)
特撮ソング
バトルフィーバーJ(1979年、『バトルフィーバーJ』オープニングテーマ)
勇者が行く(1979年、『バトルフィーバーJ』エンディングテーマ)
明日の戦士たち(1979年、『バトルフィーバーJ』)
大戦隊ゴーグルV(1982年、『大戦隊ゴーグルファイブ』オープニングテーマ)
ストップ・ザ・バトル(1982年、『大戦隊ゴーグルファイブ』エンディングテーマ)
ゴーグルVのマーチ -We are Goggle V-(1982年、『大戦隊ゴーグルファイブ』)
出撃! ゴーグルロボ(1982年、『大戦隊ゴーグルファイブ』)
ダンシングゴーグルV(1982年、『大戦隊ゴーグルファイブ』)
フラッシュ! ゴーグルV(1982年、『大戦隊ゴーグルファイブ』)
熱風シャドウ(1982年、『大戦隊ゴーグルファイブ』)
燃える男ゴーグルレッド(1982年、『大戦隊ゴーグルファイブ』)
科学戦隊ダイナマン(1983年、『科学戦隊ダイナマン』オープニングテーマ)
夢をかなえてダイナマン(1983年、『科学戦隊ダイナマン』エンディングテーマ)
エンドレスウェイ(1983年、『科学戦隊ダイナマン』) - 作曲も担当
俺のハートは夢じかけ(1983年、『科学戦隊ダイナマン』)
ゴーゴーダイナロボ(1983年、『科学戦隊ダイナマン』)
スーパーダイナマイト(1983年、『科学戦隊ダイナマン』)
炎の戦士 ?FIRE CREW?(1983年、『科学戦隊ダイナマン』) - 作曲も担当
白昼(まひる)の嵐 ?BOMBER TWIST?(1983年、『科学戦隊ダイナマン』) - 作曲も担当
待っていたんだダイナマン(1983年、『科学戦隊ダイナマン』)
星雲仮面マシンマン(1984年、『星雲仮面マシンマン』オープニングテーマ)
おれの名はマシンマン(1984年、『星雲仮面マシンマン』エンディングテーマ)
OH! チャイルド(1984年、『星雲仮面マシンマン』)
大いなる人マシンマン(1984年、『星雲仮面マシンマン』)
電光アクションマシンマン(1984年、『星雲仮面マシンマン』)
ぼくらのマシンマン(1984年、『星雲仮面マシンマン』)
Take Off!! スーパーGUTS(1997年、『ウルトラマンダイナ』) - ピーカブー、若子内悦郎とのユニット「ナイトスキャッツ」名義
EYES OF JUSTICE(2001年、『百獣戦隊ガオレンジャー』)
希望のサイレンビルダー(2006年、『轟轟戦隊ボウケンジャー』)
伝説(2006年、『轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊』エンディングテーマ) - 串田アキラ、宮内タカユキとの歌唱
炎神合体エンジンオーG6(2008年、『炎神戦隊ゴーオンジャー』)
究極サムライハオー 降臨!(2009年、『侍戦隊シンケンジャー』)
データスハイパー 天使と共に(2010年、『天装戦隊ゴセイジャー』)
アキバレンジャー シーズン痛!(2013年、『非公認戦隊アキバレンジャー シーズン痛』オープニングテーマ) - 「桃井はるこfeat.山形ユキオあんどMoJo」名義
スーパー戦隊☆非公認応援歌(2013年、『非公認戦隊アキバレンジャー シーズン痛』エンディングテーマ) - 「赤木信夫と山形ユキオあんどMoJo」名義
正義の兵(つわもの)リベリオン(2017年、『宇宙戦隊キュウレンジャー』) - 「魂の三兄弟(串田アキラ・MoJo・宮内タカユキ)」名義
二刀流!スーパーツーカイオー(2021年、『機界戦隊ゼンカイジャー』)
コマーシャルソング
ミスタードーナツ「いいことあるぞ」(ダスキン「ミスタードーナツ」) - 岡田恭子と共演
石丸電気のうた(1975年、石丸電気) - 藤本房子と共演
ジョニーウオーカー(1978年、日本コールドベック「ジョニー・ウォーカー」)[10] - とみたいちろう名義
オバルチン(1978年、カルピス食品工業「オバルチン」)[10] - とみたいちろう名義、槇みちると共演
オバルチン、パート2(1978年、カルピス食品工業「オバルチン」)[10] - とみたいちろう名義、槇みちると共演
旭化成シーベ(1979年、旭化成)[11] - とみたいちろう名義、菊地真美と共演
ニュースバルレックス(1979年、富士重工業「スバル・レックス」)[11] - とみたいちろう名義、フィーリングフリーと共演
カバヤ マスカットキャンディー(1979年、カバヤ食品「マスカットキャンディー」) - とみたいちろう名義、藤本房子と共演
風よロマンに針路を向けて(1979年、サッポロビール「びん生」)
パンパース(1981年、P&Gサンホーム「パンパース」)[12] - 諏訪マリーと共演
森永、ボコデコ(1985年、森永製菓)[12]
雪印、アカディ、思いやり篇 / なぜだろう篇(1988年、雪印乳業「アカディ」)[13]
パッ! とさいでりあ[3][14](1990年、新興産業「さいでりあ」)
お?い北海道〈I'm A 北海道 MAN〉[3](1990年、サッポロ「生ビール北海道」)
俺とおまえと大五郎[3](1991年、協和発酵「協和焼酎大五郎」) - 編曲も担当
セガサターン、シロ![3](1997年、セガ・エンタープライゼス「セガサターン」)