ウィンドウは上部にタイトルバーやメニューバーを備えており、これらはその後のWindowsと同様である。この頃から既にタイトルバーの左端の四角い部分(95以降では小さなアイコンが表示される個所)にもプルダウンメニューを備えており、そこをダブルクリックすることでウィンドウを閉じる機能も、この頃から搭載されている。
しかしウィンドウには後のような太いウィンドウ枠は存在せず、ウィンドウ枠を直接ドラッグすることはできなかった。ウィンドウ間の境界位置を変更するにはタイトルバーの右端にある四角いボタンのようなものをドラッグする必要があった。このボタンはダブルクリックでウィンドウをフルスクリーン(最大化)にする機能もあった。タイトルバーの右端のボタンはこれ1つだけであり、後のようにウィンドウを閉じたり最小化したりするボタンは無い。それらの操作はタイトルバーの左端のプルダウンメニューから行う必要があった。
マウスの操作は当時のMacintoshに近いものだった。例えばプルダウンメニューを出してもマウスのボタンを離すと消えてしまうため、クリックしたまま移動(ドラッグ)させることで目的の選択肢を選び、ボタンを離すことで決定する必要があった。この操作方法はその後のWindowsでも可能である。 Windows 1.0から2.xまで使われたシェルプログラムが、MS-DOSウィンドウ (MS-DOS Executive) である。 日本語版では「MS-DOS ウィンドウ」という名称だが、紛らわしいことにDOS窓とは別物であり、あくまで後のファイルマネージャやエクスプローラに相当するユーザーインターフェースである。ただし表示される情報はMS-DOSのDIRコマンドの表示と大差なく、ドライブ名(アイコン)とボリュームラベル、カレントディレクトリのパスおよび、ファイル名が羅列されるだけのものだった。すなわちファイルにはアイコンが用意されておらず、ファイル名を直接ダブルクリックすることでプログラム(データファイルの場合は関連付けられたプログラム)が起動する。要するにMS-DOSにおけるコマンド入力の一部をマウス操作でも可能にした程度のものだった。なおメニューバーからはファイルやディレクトリ、ディスク関連の操作メニューがいくつか用意されているが、ファイルはドラッグすることができず[3]、複雑なファイル操作にはキーボード入力が必要だった。 MS-DOSウィンドウの表示形式には、ファイル名だけの「ショート」と、タイムスタンプやファイルサイズの情報を含む「ロング」があり、前者はDIRコマンドで言うところの「/W」オプションでの表示に近い。これらは後のファイルマネージャの表示メニューで言うところの「名前のみ」と「すべての情報」に、エクスプローラの表示メニューでは「一覧」と「詳細」に、それぞれ相当する表示形式である。表示順は「名前」、「日付」、「サイズ」、「拡張子」でソート可能なほか、プログラムファイルのみの表示や、ワイルドカードによる指定ファイルのみを表示することもできた。 ディレクトリツリーを表示する機能は無いものの、複数のMS-DOSウィンドウを同時に立ち上げることができ、異なるドライブやディレクトリを同時に参照することができた。新しいウィンドウを立ち上げる実行ファイルは「MSDOS.EXE」で、名称こそEXE形式だが、バイナリはRET命令のみの1バイトというCOMファイル相当[注 1]でしかなく、MS-DOSウィンドウが呼び出されるショートカットのような存在だった。これはWindows 2.xでも同様になっている。 MS-DOSウィンドウはシェルであるため自動で立ち上がり、すべてのMS-DOSウィンドウを閉じればWindowsも終了する。 当時から搭載されていた主なアクセサリやツール類には以下のようなものがある。FD運用の場合にデスクトップアプリケーションディスクに含まれるプログラムを主として挙げる。実行前にはショートカットのようなタイトル名は表示されていないため、実行するファイル名を示した。括弧内はタイトルバーでのタイトル。以下のほか画面ハードコピーを行う「WHCOPY.EXE」がWindowsのシステムディスク側にあった。 Windows発表直後や発売前後での歓迎ムードから一変して、発売後は批判を浴び続けた。 競合製品のDESQviewやTopViewがテキストベースのオペレーティング環境であったのに対し、Windowsはグラフィックベースであることを貫いた。また、別の競合製品であるGEMはグラフィックベースであるものの、同時に一つのアプリケーションしか実行できないシングルタスクであったが、Windowsはアプリケーションが無負荷の時に別のアプリケーションに処理を割り当てる擬似マルチタスクであった[10]。この機能を組み込んだ分だけ性能にハンデを負うことになり、当時普及していたIBM PCやPC/XT相当のパソコンの性能では満足に動かせず、80286とハードディスクを搭載したPC/ATですらRAMディスクを使わないとスムーズに動かないと指摘された[11]。さらに、Windowsの開発表明から発売までに発売の延期や仕様の変更が繰り返されたため、ロータスやアシュトンテイトといった大手ソフトウェアメーカーがWindows用ソフトの開発に興味を示さなくなったことも大きなマイナスとなった[7]。 性能の問題に対しては1986年末にマイクロソフトが直々にIBM PC用CPUアクセラレーターとマウスを同梱した「Microsoft Mach 10」を発売したが[12]、Windows対応ソフトがない問題は残っているという批判が上がった[13]。1987年初めにはマイクロソフトはWindowsを50万本出荷したと発表したが、実際にユーザーの手に渡ったのは多くても10万本だろうという指摘が挙がった[14]。 Windowsのコンセプトや機能に対する批判は目立ったものではなく、当時の平均的なパソコンでは性能不足だったことと対応ソフトの少なさに問題があったとして結論づけられた。1987年3月にマイクロソフトのWindows宣伝担当は「座ってのんびりしている暇はない。我々はまだスタートしたところだ。誰も最初のラップでレースに勝利するとは言っていなかった。」とコメントし、Windowsの開発を続けることをほのめかした[14]。 Windows 1.0 - 2.xはリアルモード用のアプリケーションしか動かせないため、リアルモードのサポートされたWindows 3.0までは一応の(メモリ管理上の)互換性は保たれたものの、Windows 3.0以降でプロテクトモードアプリケーションが主流になる頃には事実上の製品寿命を終えていた。 しかし当時のマイクロソフトでは明確なサポート期限という概念が存在せず、製品寿命を過ぎてフェードアウトした製品についてはサポートもうやむやになっているような状況だった。しかし企業向けの売り込みでWindows 95からの置き換えに成功したWindows 2000の登場が転機となり、サポート期間に対する問い合わせが相次いだことから、後付けでサポート期限が設けられた[15]。その結果、この時点で事実上の製品寿命を迎えていたWindows 95以前の製品について一律に2001年12月31日にサポートが打ち切られ、Windows 1.0も16年に及ぶ歴史に正式な幕引きが行われた。
MS-DOS ウィンドウ
付属アプリケーション
CALC.EXE (電卓)
CALENDAR.EXE (カレンダー)
CARDFILE.EXE (カードファイル) - カード型データベース。
CLIPBRD.EXE (クリップボード)
CONTROL.EXE (コントロールパネル)
NOTEPAD.EXE (メモ帳)
PAINT.EXE (ペイント)
PIFEDIT.EXE (プログラム情報エディタ) - MS-DOSプログラム実行の際の個々の環境設定を行うPIFファイルを編集する。
REVERSI.EXE(リバーシ)
SPOOLER.EXE (スプーラ) - プリンタスプーラ。
TERMINAL.EXE (ターミナル) - 通信ソフト。
TIME.EXE (時計)
WDSKCOPY.EXE (WDSKCOPY) - ディスクコピー。これはオーバーラップウィンドウで実行される。
WRITE.EXE (ライト) - Windows 95/NT4.0以降のワードパッドに相当するワープロソフト。
WSWITCH.EXE (スイッチ) - PC-9800シリーズ用の場合。メモリスイッチ設定ツール。
WUSKCGM.EXE (ユーザー定義文字保守ユーティリティ) - 外字エディタ。
評価
出荷本数の推移
1987年3月 - 50万本突破[14]
1987年11月 - 100万本突破[9]
サポート期間
脚注[脚注の使い方]
注釈^ RET命令 (0xC3、テキストとして開けば半角カナの「テ」1文字) はCOMファイルにおいて、開始時のスタック状態であれば終了コードとして機能する。言わば最も短いCOMプログラムである。
出典^ a b “[管理人のテック雑記帳
^ “ ⇒Windowsの歴史 Windows 1.0前夜編:MacintoshとWindows 1.0”. ZDnet (2009年4月21日). 2015年6月13日閲覧。
^ a b c “世界のOSたち - GUIの世界へ移行した「Windows 1.0」
^ Ballmer sells windows 1.0
^ “「Windows 1.0」を振り返る--帝国を築くきっかけとなった不評OS
^ 「特集 ウィンドウの向こう側」『月刊アスキー』第12巻第8号、1988年、166-180頁。
^ a b c d e Daniel Ichbiah/Susan L.Knepper 著、椋田直子 訳「第15章 待望のWindows」『マイクロソフト?ソフトウェア帝国誕生の軌跡?』アスキー、1992年7月1日、285-320頁。