Microsoft_Windows_1.0
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Microsoft Windows 10」とは異なります。
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Windows 1.0
Microsoft Windows ファミリー

開発者
Microsoft
リリース情報
リリース日1985年11月20日 [ ⇒info]
最新の安定版1.04 - 1987年4月8日 [ ⇒info]
ソースモデルクローズドソース
ライセンスMicrosoft EULA
先行品MS-DOS
後続品Windows 2.0
サポート状態
サポート終了:2001年12月31日

Microsoft Windows 1.0(マイクロソフト ウインドウズ 1.0)は、マイクロソフト1985年11月20日に発売したMS-DOS上に動作するオペレーティング環境である。Windows 1.0のカタログ(1986年1月)
概要

IBM PCなどx86系のPCはもともとDOSやBASICなどのようにキャラクタユーザインターフェース (CUI) のOSを採用していたが、1984年に登場したAppleのMacintoshではOSが当初からグラフィカルユーザインターフェース (GUI) を備えていた[1]。そのような中、マイクロソフトはMS-DOSにGUI環境を追加するアドオンの開発を1983年から進めており、1985年にリリースした。これがWindows 1.0である[2]。動作には別途MS-DOS(日本語版では Ver. 3.1以上)が必要であり、この制限はWindows 3.xまで続いた[3]

テレビコマーシャルではスティーブ・バルマーが熱狂的にWindows 1.0を宣伝し大きな印象を与えた[4]。しかしIntel 80286で搭載されたプロテクトモードには対応していなかったために、メモリ利用の上限サイズが640KBになっている。また当時の一般的なパソコンの性能では動作が重かった。Windowsの発売延期や仕様変更が繰り返されたことでソフトウェアメーカーがWindows対応ソフトの開発から退いてしまったことも影響した。結果として米国での発売発表当時(1983年)の騒ぎとは逆に、発売後の評判はあまり思わしくなかった[5]

日本ではMS-DOS Ver. 3.1と共にバンドルOSとしてNEC製パソコンPC-9801VX4/WNに採用され、1986年11月に発売された[3]。しかし、そのすぐ後にOS/2Windows 2.0の登場が予期されていたこともあり、Windows 1.0に対する日本のソフトウェアメーカーの反応は米国と同様に鈍かった[6]

1987年にマイクロソフトのロゴが変更されたため、起動画面のマイクロソフトのロゴはバージョンが1985年発売の1.01と1.02そして1986年発売の1.03までが旧ロゴ[1]1987年発売のバージョン1.04は新ロゴとなっている。
開発

Windowsの開発は1981年9月に立ち上がったInterface Manager(インターフェイスマネージャ)というプロジェクトがきっかけであった。当時のWordStarMultiplanといった代表的なものを含むIBM PC用ソフトウェアは操作方法に共通点がなく、テキストのコピーやファイルの印刷といったよく使われる操作すら統一されていなかった。また、アプリケーションからプリンターにデータを送る手順も標準化されていなかったため、各ソフトウェアがそれぞれの開発時点でのプリンターに対応するドライバを開発して添付する必要があった。こういった不便を解消すべくInterface Managerのプロジェクトが開始され、次の目標が立てられた[7]

ハードウェアから独立していること。

グラフィック・モードで動くこと。

WYSIWYGアプリケーションをサポートすること。

アプリケーションの見かけを標準化すること。

当初、画面のデザインはMultiplanのように画面下部に操作コマンドを表示するものが考えられていたが、これはXerox StarMacintoshのようなプルダウンメニュー方式に変更された。また、各アプリケーションのパネルを表示するウィンドウはタイル状に並ぶ方式を採用したが、世間ではアップルのLisaで採用された積み重ね表示のデスクトップ方式が受けていた。Windowsがまだ完成までほど遠い状況にあった中、1980年から同様のソフトウェアを開発していたビジコープは1982年秋にVisiOnを発表し、1983年10月には出荷の準備が完了したと発表した。同時期にクォーターデックからDESQViewという競合製品も現れた。他社に先手を取られたマイクロソフトは1983年11月10日にWindowsの開発を正式に発表した。それは2台のフロッピーディスクドライブと192KBのRAMを必要とするもので、マイクロソフトはそれをMS-DOS用のデバイスドライバとして説明した。正式発表後、マイクロソフトはハードウェアやソフトウェアのメーカーにWindowsの採用を呼びかけ、1984年初めには20社以上から賛同を得た[7]

しかし、Windowsの開発は延期を重ねていった。Windowsは当時のパソコンの平均的な性能ではあまりにも重く、開発は困難を極めたこと。開発言語がPascalからLattice C、Microsoft Cへと変更されたこと[8]。マイクロソフトは1983年末には500人ほどの社員を抱えていたにもかかわらず、すべてのプロジェクトにビル・ゲイツが責任を持つという組織体系であったため、開発の進行や問題の把握に遅れをもたらしていることが明らかになった。開発体制の問題は1984年8月の組織改革で改善され、この時スティーブ・バルマーがWindowsを担当するシステム部門の責任者となった[9]。この間、表ではVisiOnが開発環境や動作環境の問題で市場に受け入れられていないことが明白となり、マイクロソフトの失態は初めのうちは見逃されていた。ところが開発はスムーズには進まず、1984年末になるとPC Weeksを初めとする複数の雑誌の評論家から批判を受けた。Windowsはマイクロソフトの最重要プロジェクトとして、プログラミング・チームは20人以上、マニュアル製作やテストチームを合わせて30人以上の当時としては大規模なチームになった[7]

1985年5月のCOMDEXでマイクロソフトはWindowsを出展し、6月に発売すると断言した。1985年6月28日、本来ならWindowsの発売日であったが、Windowsのテスト版がソフトウェア開発者やハードウェアメーカーに配布されるのみだった。名目上は正式リリース前にテストユーザーからフィードバックを得るためとされた。最終的に、1985年11月11日にマスコミや関係者を招いたWindows完成パーティーが開かれ、11月20日にWindowsが99ドルで発売された[7]
機能スクリーンショット(Windows 1.0のカタログより)
GUI

スタイルは現行Windows製品の原型となったWindows 95や、その前身であるWindows 3.1とは大きく異なっている。擬似マルチタスクオペレーティング環境で、各ウィンドウはタイル状に展開された。ただしコントロールパネルの個々の設定項目などのようにダイアログボックス程度の小さなウィンドウであれば重ねて表示されることもあった。

タイル状のウインドウについては、当時のハードウェア的な制約によるものという説がある(Windows 1.0が動作する最低限の環境では仕組みが重荷すぎる)が、開発者は「重なったウインドウは複雑なので、ユーザーインターフェースの観点からあえてそうした」と主張している。ただし、ダイアログやプルダウンメニューといった要素を見て分かる通り、ウィンドウを重ねる機能が全く存在しないわけではない。Windows 1.0開発者の一人であり、ゼロックス出身のスコット・マクレガーは、「ユーザビリティを優先させるため簡略化した」と述べており、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}PARC時代の実験から「複数のウィンドウを用いる場合、それらを重ねるより並べて扱う方が移動の効率が良い」という実験結果を得ていたという[要出典]。現在においても研究所レベルの内製システムなどでは意図的にタイリングを採用する例はあり、Windows 1.0の設計が必ずしも低レベルというわけではない。開発チームにはMac派のメンバーもおり、タイリングにするか重ねるかで対立があったとされている[要出典]。

個々のウィンドウはタイル表示のほかに最大化や最小化(アイコン化)も可能である。この意味ではアプリケーションにはアイコンが存在するが、あくまでタスクアイコンであり、後述のようにファイルとしてのアイコンは無い。アプリケーションのウィンドウは最大化しない限りは常に下部に隙間を残す形になり、デスクトップの一部が見えている状態になる。Windows 3.x以前のデスクトップは基本的にタスクアイコンの置き場であり、このデスクトップ下部領域はちょうどタスクバーの役割があった。Windows 1.0のデスクトップは2.0-3.xのデスクトップとは異なり、下部領域はウィンドウの表示領域とは機能的に独立しており、より95以降のタスクバーに近いものだった。ウィンドウ表示領域は常に何らかのウィンドウが占拠しており、意図的にすべてのウィンドウをタスクアイコン化しない限りはデスクトップ背景が見える機会が無い。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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