英国気象庁
Met Office
エクセターにある英国気象庁の建物
組織の概要
設立年月日1854年 (170年前) (1854)
管轄 イギリス
本部所在地デヴォン州エクセター
行政官.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
ロブ・ヴァーリー
イギリス気象庁(イギリスきしょうちょう、英: Met Office[注 1]、略称: UKMO[注 2])は、イギリスの国立気象機関で、ビジネス・エネルギー・産業戦略省の執行エージェンシー及びトレーディング・ファンド(英語版)の一つ。天気予報から気候変動まで、すべての時間スケールにわたって気象予測を行う。本部はデヴォン州エクセターに所在する。英国気象庁、英国気象局とも訳される。 英国気象庁は、1854年にロバート・フィッツロイ海軍中将の下、船乗り向けのサービスとして、商務院
歴史
当時の新技術である電信によって、警報を迅速に普及させることが可能になり、それはまた観測網を発展させ、総観解析[注 3]を提供するためにも使用することができた。1861年には、新聞に対して天気予報の提供を開始した。フィッツロイは、この仕事の助けとするため、他の気象パラメータを絶え間なく測定する気象測器のみならず、キュー天文台(英語版)の写真式自記気圧計(フランシス・ロナルズ(英語版)の発明品)を用いて観測した記録の毎日の敷き写しを要請し、それらの情報は後に観測網中の観測所に提供された[3][4]。予報の発表はフィッツロイの死後、1866年5月に一時途絶えたが、1879年4月に再開された。
国防省との関係(英語版)(空軍省の拠点)の屋上で行われるようになった。この頃に、"The weather on the Air Ministry roof" (「空軍省屋上の天気」) のフレーズが生まれた。航空のための気象情報の必要性が高まると、各地にある空軍基地(英語版)内に気象観測および気象データ収集拠点を多数設置した。今日においても天気予報の中で空軍の飛行場に言及されることが多いのはそのためである。1936年には、一部の業務が海軍に分割され、本庁とは別に、独自に予報業務を行うようになった。
1990年4月、英国気象庁が国防省の執行エージェンシーとなったことにより、準政府機関の役割として、商業的な活動も要求されるようになった。 政治機構の再編を受けて、2011年7月18日に英国気象庁はビジネス・イノベーション・技能省 (BIS) の一部となり[5]、続いてBISとエネルギー・気候変動省の統合により、2016年7月14日にビジネス・エネルギー・産業戦略省の一部となった[6]。 今日ではもはや国防省の一部ではないにもかかわらず、英国気象庁は、国内と海外の双方にある空軍と陸軍の基地に置かれた第一線の部署を通じて、軍との強いつながりを維持しているほか、海軍と共に気象学と海洋学に関する統合運用センター (Joint Operations Meteorology and Oceanography Centre, JOMOC) に関与している。紛争時に前線部隊に随行して、戦闘地域で優勢に軍隊を展開するための助言を軍(特に空軍)に与える気象部隊である Mobile Met Unit
所有権の変更
所在地 (A30 road) の付近に建てられた、気象業務専用の庁舎に本部が移転し、(あと数週間で創設150周年を迎える頃の)2004年6月21日に正式に開庁した。