Mac_(コンピュータ)
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「Macintosh」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「マッキントッシュ」をご覧ください。
MacBook Air (M1, 2020)

Mac(マック)[注 1]またはMacintosh(マッキントッシュ)は、Appleが開発および販売を行っているパーソナルコンピュータである。
概要

Macintoshは、Appleの創業者の一人、スティーブ・ジョブズの陣頭指揮のもとに開発された。ジョブズの思想や夢、感性が設計思想に盛り込まれ、直感的で視覚的な操作インタフェース、画面に表示される文字フォントの細やかさや美しさ、画面と印刷物に表示される図像の精度(特にWYSIWYGの実現)、筺体の美しさなどが重視されている(#歴史)。

このような特徴から、MacintoshはDTPの道を切り開き一般化させた。そのうえで、各時代のデザイン関連の先端のソフトウェアを動かせる(かつては唯一の)プラットフォームとなった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}現在でもグラフィックデザインイラストレーションWebデザイン、書籍・雑誌などの組版業務で主流のプラットフォームである[要出典]。

当初から、コンテンツ制作に有用なプラットフォームとして評価されている。デザインや組版に限らず、広く「表現」にかかわるアーティストの多くがプラットフォームにMacintoshを使用し高く評価した。[独自研究?]それにより、音楽(デジタルミュージックDAW)、映像(ノンリニア編集VFX)等でも使われ続けている。また、個人クリエイターだけでなく、Web系のIT企業でもコンテンツを作成する作業が多いため、多く採用されている[注 2]

21世紀には技術的な分野でも有用なプラットフォームとなっている。2001年にリリースされたMac OS X以降、Macに搭載されているオペレーティングシステム (OS) は、公式なライセンスを受けた正統派のUNIXである。正統派UNIXであることにより、入手しやすい市販のコンピュータでありながら、UNIX・Linux系のソフトウェアが問題なく利用できるプラットフォームとして重宝されている[要出典]。理学工学などの科学エンジニアリングの分野や、物理学天体物理学などの研究室で世界的に採用されている。アメリカ合衆国では初等教育から高等教育などでも広く採用されている。
歴史
1979年 - 1984年:開発1981年当時のMacintoshの試作機(コンピュータ歴史博物館にて)

1970年代後半にMacintoshプロジェクトは始まった。1978年Appleに入社したジェフ・ラスキンは、「使いやすく、安価で、一般の消費者が手に入れられるコンピュータを作りたい」というアイデアを持っていた。1979年3月、Apple Computerの3人の創業者の1人であるマイク・マークラにアイデアを提示した。1979年9月、後者から許可を得て、数人を雇用してApple社内に開発チームを立ち上げた。このプロジェクトは、ラスキンの好きなリンゴであるマッキントッシュ(McIntosh)にちなんで「Macintosh」と名付けられた。しかし、法律上の理由から、Hi-Fi機器のメーカーであるマッキントッシュ・ラボ(McIntosh Laboratory)に近すぎるため、名前の綴りを変更しなければならなかった[2][3]。ラスキンは、このコンピュータのために考えたすべてのアイデアを『The Book of Macintosh』という本にまとめた[4]。試作機を作る技術者を探していたラスキンは、Apple Lisaプロジェクトのビル・アトキンソンの推薦で、Apple IIのメンテナンス部門に属していたバレル・スミスを採用した[5]。ラスキンは、Macintoshの成功の決め手となった2つの要素、Motorola 68000マイクロプロセッサマウスの使用に反対した。ラスキンの「Macintosh」の設計案は、現在知られる「Macintosh」とは、基本的なコンセプトが大きく異なっており、テキストベースのインターフェースを持つマシン(ラスキンがApple退社後に開発したキヤノン・キャットに似たマシン[6])として構想されていた[7][4]。ラスキンの思い描いていたコンピュータというのは低価格指向で、価格は1000ドル以下を想定し、それを実現するためにCPUは64キビオクテット以上のアドレスを指定できないMC6809(8ビットCPU)で済ませ、5インチディスプレイを備えたもので、インタフェースに関しても、テキストベースでありグラフィカルインターフェースを備えないもので、その後ジョブズが指揮をとり発売されることになったMacintoshとは別物である[注 3]。Apple Lisaのプログラムの進化に興味を持ったMacintosh開発チームの責任者バド・トリブルは、バレル・スミスにLisaのMC68000をMacintoshに搭載しながら、できるだけコストを抑えてみる提案をした。スミスは1980年12月、MC68000の周波数を5メガヘルツ(MHz)から8メガヘルツ(MHz)に上げながら、MC68000を内蔵する回路基板を設計して、この挑戦に挑んだ。この回路では、RAMチップの数が少なくて済むため、価格も安くなった。1984年に発売された最終モデルは、64キロバイト読み出し専用メモリと、64キロビットのチップを16個組み合わせた128キロバイトのRAMを搭載している。9インチの画面はモノクロで、512×342ピクセルを表示する仕様になっていた[8]

1980年末、当時Apple Computerの最高経営責任者(CEO)だったマイケル・スコットは、会社のリストラを進め、創業者の1人であるスティーブ・ジョブズはLisaプロジェクトからの離脱を余儀なくされる。1980年12月12日株式公開に向けて、スコットから代表として派遣されたが、経営者としての説得力はなかった。そこで、ジェフ・ラスキンのMacintoshプロジェクトに目を向けた。ジョブズは、Lisaプロジェクトから除外されたことへの復讐だと考えていた。ジョブズとラスキンは何度か対立しており、ラスキンはマウスを欲しがらず、逆にジョブズはマウスのないMacintoshを見たくないということで、マウスは意見が分かれた。スティーブ・ジョブズはこの対決で勝利を収めた。というのも、MacintoshはLisaで使われていたマウスとともにAppleから発売されたのである。このような度重なる対立と2人のキャラクタの大きなエゴにより、1984年1月のMacintoshの正式発売の約2年前の1982年3月1日、ジェフ・ラスキンはMacintoshプロジェクトとApple Computerから正式に離脱した[9]アンディ・ハーツフェルドによると、現在世間で知られているMacintosh 128Kは、ジェフ・ラスキンが『The Book of Macintosh』の中で想像していたコンピュータとはほとんど関係がないという[4]。また、スティーブ・キャップスとの共著『Revolution in The Valley: The Insanely Great Story of How the Mac Was Made』では、スティーブ・ジョブズがジャン=ミシェル・フォロンを雇って、ブランドを代表するキャラクター「Mr. Macintosh」を作りたいと考えていたと述べている[10]
1984年:発売Macintosh 128K:マウスとグラフィカルユーザインタフェースを使ったパーソナルコンピュータとして初めて商業的に成功した8 MHzのMotorola 68000マイクロプロセッサを搭載したMacintosh 128Kロジックボード


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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