MSX
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「MSX」のその他の用法については「MSX (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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MSX(エム・エス・エックス)とは、パソコン共通規格の名称である。

1983年に最初の規格であるMSX(通称「MSX1」[1])が米マイクロソフトアスキー(後のアスキー・メディアワークス)によって8ビットの規格として提唱された。元々は、アスキー・マイクロソフト側がメーカー独自のハードウェアに合わせたマイクロソフトBASICをカスタマイズする形で移植していたが、この方法ではメーカーならびに機種単位の互換性がないという欠点があったため、共通規格としてMSXが誕生した[2]

1985年にはMSX2、1988年にはMSX2+、1990年には16ビットMSXturboRが提唱された。この間、世界の複数のメーカーからMSXの仕様に沿ったパソコンが発売され、MSXの誕生にかかわった西和彦によるとMSX対応機種は日本で約300万台、海外で約100万台売れたとされている[2]。その後、blueMSXの様なMSXエミュレーターや、MSX2をFPGAで再現した1チップMSXやMSX2+をFPGAで再現したSX1Mini+なども登場した。[3]

2023年にはMSX0、MSX3、MSX turboがMSXの権利者である西和彦より提唱され、西が理事を務める特定非営利活動法人IoTメディアラボラトリーによってMSX0の実装であるMSX0 Stackのクラウドファンディング[4]が開始された。MSX0はMSX2のエミュレータであり[5]、同年9月からクラウドファンディングの参加者向けリターンとして発送された[6]

MSXはこれらの総称でもある。
歴史ソニー「HiT BiT」 HB-75パナソニック FS-A1WX(MSX2+)
日本

規格の提唱元であるアスキーの創設者の一人である西和彦が2023年のインタビューの中で語ったところによると、NECや日立といった企業が自社製品向けのBASICの制作をアスキーに依頼する際、コマンドの追加や特定や周辺機器のサポートまで頼まれて大変だったため、統一した規格を制定してIBM PCと一緒に売ろうとしたことが、MSX誕生のきっかけだったという。とはいえ、16ビット機であるIBM PCは当時の価格で1000ドル以上もしたため、MSXはより安価なパソコンの決定版として位置づけられた。[7].mw-parser-output .scope-of-sources>.ref1:hover~.source1,.mw-parser-output .scope-of-sources>.ref2:hover~.source2,.mw-parser-output .scope-of-sources>.ref3:hover~.source3,.mw-parser-output .scope-of-sources>.ref4:hover~.source4,.mw-parser-output .scope-of-sources>.ref5:hover~.source5,.mw-parser-output .scope-of-sources>.ref6:hover~.source6,.mw-parser-output .scope-of-sources>.ref7:hover~.source7{background-color:#ffe1ff}.mw-parser-output .scope-of-sources>.text1:hover,.mw-parser-output .scope-of-sources>.text2:hover,.mw-parser-output .scope-of-sources>.text3:hover,.mw-parser-output .scope-of-sources>.text4:hover,.mw-parser-output .scope-of-sources>.text5:hover,.mw-parser-output .scope-of-sources>.text6:hover,.mw-parser-output .scope-of-sources>.text7:hover{border-bottom:dashed 1px}
1980年代

1980年代初頭、日本国内におけるホビーユースのパーソナルコンピューターホビーパソコン)では主にマイクロソフト社のBASICインタープリターROMで組み込まれ、システムの中心を担っていた。しかし、ハードウェアの設計は同じプロセッサーを用いても各々のシステムは大きく異なり、BASICレベルの互換性も、二次記憶装置の取り扱いやフォーマット・ハードウェアの仕様、性能の差異や拡張によって独自の変更が加えられ、俗にBASICの「方言」と呼ばれる非互換の部分が存在し、機種ごとにアプリケーションは作成・販売されていた。

当時マイクロソフトの極東担当副社長であり、アスキーの副社長だった西和彦は大半の機種の開発に関わっていたことから、多くのメーカーと繋がりがあった。そのため、日本電気 (NEC)シャープ富士通パソコン御三家に対して出遅れた家電メーカーの大同団結を背景として、西が主導権を握る形でMSX規格は考案され、1983年6月27日に発表された。ハードウェア規格はスペクトラビデオ社の「SV-318」と「SV-328」が参考にされている。当初、マイクロソフト社長(当時)のビル・ゲイツは「ソフトウェアに専念すべき」との考えからMSX規格には反対だったが、西に説得される形で承認。「MSX」の名称は発売当時マイクロソフトの商標だったが、1986年のアスキーとの提携解消の折に著作権をマイクロソフト、商標権(販売権)をアスキーが所有することになった。

MSXの発表会には参入家電メーカー以外にも家庭用パソコン市場に参入した経験を持つ企業、または参入を計画していた企業が参加した。しかし、参入メーカー各社の足並みを揃えるため1984年に発売時期を調整している間に、任天堂ファミリーコンピュータやセガ・エンタープライゼス(後のセガSC-3000等の競合機種が発売され、苦戦が予想された。また、当時国内パソコン市場シェア1位のNECは発売せず、シャープも海外でのみ発売するに留まった。FM-Xを発売した富士通も「自社の製品と競合する」といった理由でMSX市場からは短期間で撤退。そのため、MSX規格は「弱者連合」などと揶揄された。

発売は当初予定より前倒しされ、主要家電メーカーの製品は1983年の秋から年末までに出揃った。アスキーは当初「1年間で70万台の出荷」という強気な目標値を掲げ、目標は達成できなかったものの、発売から2年強が経過した1986年1月にはMSXシリーズの総出荷台数が100万台を突破した。当時、国内メーカー製の8ビットパソコン市場で大きなシェアを有していたNECのPC-8801シリーズが累計100万台キャンペーンを企画していたが、台数的に達成出来ず結果として実現しておらず、当時としてはMSXは“日本製で最も売れた8ビットパソコン”として位置づけられる。その後も1988年の年末年始商戦だけで、FDD内蔵型のMSX2(ソニーのHB-F1XDとパナソニックのFS-A1F)が22万台の売り上げを記録した[8]

そしてMSX参入各社は、他社製品と差別化を図るべくワープロや動画編集など様々な機能を付加したMSXパソコンを発売した。しかし大部分の購入者はMSXを単なるゲーム機としか見ておらず、高機能・高価格な機種よりも低機能・低価格な機種を購入したため、参入各社間で価格競争が勃発。また他機種のパソコンとの競争も熾烈であり、MSX2が発売された1980年代後半には16ビットや32ビットCPUを採用した、より高性能な他機種の次世代パソコンや家庭用ゲーム機との販売競争に晒されたこともあり、元々参入が少なかった国外メーカーはMSX2で大半が撤退、次の規格であるMSX2+の対応機種を発売したのは日本のメーカー3社のみとなった。
1990年代

1990年には販売台数が全世界累計で400万台を突破[9]。各MSX専門誌には「夢を乗せてMSX 400万台」のキャッチコピーが躍った。

しかし、この頃よりMSXを取り巻く環境は急速に悪化していき、1990年10月には16ビットCPUを搭載した新規格のMSXturboR[注釈 1]がリリースされたものの、参入メーカーは松下電器1社のみとなった。同社の機種は好調なセールスを記録し、翌1991年末にも新機種を投入したが、サードパーティーによるMSX向け商品のリリース数は減少傾向にあり、MSX専門誌は休刊や廃刊が相次ぎ、『MSX・FAN』 (徳間書店インターメディア) のみが形態を変えて発刊を続けた。

松下電器は1994年に家庭用ゲーム機3DO REALとIBM PC/AT互換機WOODYを発売。MSXの開発部隊は、大半が3DOの開発に移行した。同年に最後のMSX規格対応パソコンである「FS-A1GT」の生産を終了し、翌1995年には出荷も終了した。これをもって日本でのMSX規格は終焉したと世間一般では解釈されている。

この時期にはMicrosoft Windows 95が登場し、パソコン市場を拡大してデファクトスタンダードとなりつつあった。MSX以外にもX68000FM TOWNSといった日本独自規格のパソコンが姿を消して行き、日本のパソコン市場はWindows 95が動作するPC/AT互換機およびPC-98またはその互換機か、あるいはMacintoshへと集約されていき、その一方でMSXのコアユーザーによるハード製作などの活動が活発に行われるようになった。


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