メルク・アンド・カンパニー
Merck & Co., Inc.
(Merck Sharp & Dohme (MSD)
outside the United States and Canada)
メルク・アンド・カンパニー(英: Merck & Co.)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州に本社を置く、製薬会社である。MSD株式会社 (MSD K.K.) は、メルク・アンド・カンパニーの日本法人である。
メルク・アンド・カンパニーは北米においてのみメルク (Merck) を名乗り、日本を含むその他の地域ではMSD (Merck Sharp and Dohme) の名でビジネスを行っている。一方、世界的に「メルク」の名称を用いているドイツのメルク (Merck KGaA) は、北米においてのみEMD (Emanuel Merck, Darmstadt) の名でビジネスを行う。 アメリカを本拠とする世界的な製薬企業であり、世界140カ国以上で事業を展開している。2011年の売上高は480億ドル。従業員数は約86,000名(2011年12月現在)。株式がダウ平均株価の構成銘柄に選ばれている。 1990年代までは医薬品業での世界売上高が断続的にトップであったが、2000年代はM&Aによる業界の再編に伴ってサノフィ・アベンティス、ファイザー、グラクソ・スミスクラインなどに抜かれた。しかし米国メルクは2009年11月に米同業大手のシェリング・プラウを買収、売り上げ規模においてはファイザーに次ぐ世界2位に復している。 歴史的には1827年にドイツで創業されたメルク社(Merck KGaA)のアメリカ拠点として1891年にニューヨークに設立されたのが始まりで[8]、それを第一次世界大戦中の1917年、敵国企業としてアメリカ合衆国連邦政府がその資産とともに接収し、別個のアメリカ企業として独立させたものである。 ニューヨークに米国メルク(Merck & Co.)を設立したのは、メルク社(Merck KGaA)をドイツで創業したエマニュエル・メルク(Emanuel Merck
概要
設立の経緯と名称問題
一方、第一次世界大戦後にもドイツを拠点とするメルク社(Merck KGaA)は事業を継続していたため、結果として二つの「メルク」が今日まで存在し、それぞれ医薬品を扱う世界的企業として発展するに至っている。
このような経緯を背景に、両社では以下のような名称の使い分けを実施している。
当記事が解説する製薬会社
北米(アメリカ合衆国とカナダ)における名称: メルク (Merck & Co.、メルク・アンド・カンパニー)
その他の国や地域における名称: MSD (Merck Sharp & Dohme)
「米国メルク」と呼んで峻別する場合もある
ドイツを拠点とする化学・医薬メーカー
北米(アメリカ合衆国とカナダ)における名称: EMD (Emanuel Merck Darmstadt)
その他の国や地域における名称: メルク (Merck KGaA)
「ドイツメルク(German Merck)」と通称されたり、創始者名から「Eメルク(E. Merck)」、あるいは本社の所在地から「メルク・ダルムシュタット(Merck Darmstadt)」と呼ばれることもある
北米を含む全世界向け英語ウェブサイトや投資家向け報告書等では「メルク カーゲーアーアー、ダルムシュタット、ジャーマニー (Merck KGaA, Darmstadt, Germany)」を用いている。「KGaA, Darmstadt, Germany」を併記することで Merck & Co. とは区別出来るので、北米においても Merck の名称を使用することは可能だと独メルクは主張している
医薬部門は2007年、合併に伴い「メルクセローノ(Merck Serono)」となったが、北米での名称は「EMDセローノ」である。
同じくアメリカ合衆国連邦政府によって接収され、以後同名の会社が米独両国に存在した製薬関連企業の例にはシエーリングがあるが、アメリカのシェーリングはシェリング・プラウへの移行を経て、奇しくも2009年には米国メルク(Merck & Co.)に吸収合併されている。また、ドイツのシエーリングは2007年、同じくドイツの製薬会社・バイエルに買収されて消滅している。
独立後の歴史
1899年 - メルクマニュアル初発刊[8]。
1933年 - ニュージャージー州、Rahway に研究所を設立[8]。
1942年 - 連邦安全保障庁管轄下の戦争調査サービスで数年間、化学兵器の開発を担う。
1953年 - Sharp & Dohme 社を買収・合併[8]。
2000年 - 米シェリング・プラウ社との合弁会社、メルク・シェリングプラウ製薬を設立[8]。
2009年 - 米シェリング・プラウ社を411億ドルで買収[9]。この買収・合併では存続会社をシェリング・プラウとし、メルクが解散した上でシェリング・プラウの社名をメルクに変更するという手続きが取られている。
日本での事業
萬有製薬との合弁万有製薬の歴史については「万有製薬」を参照
米国メルク(Merck & Co.)は1954年(昭和29年)、萬有製薬(東京)との合弁によって「日本メルク萬有株式会社(NMB)」を設立、同社を萬有製薬が日本で販売する米国メルク製品の輸入・発売元とした。
1970年(昭和45年)、米国メルクの100%出資による日本法人として[注釈 1]、「日本MSD株式会社」が設立されたが、これは米国メルク製品・医薬品原料の輸入やライセンスの管理、メルクマニュアルの版権保有などを目的とする企業であり、医薬品の販売自体は引き続き萬有製薬との提携に基づいて行われていた。ただし、MMRワクチンは化血研が販売するなど、一部のメルク製品については萬有製薬以外との契約によって開発・販売が行われた。
1984年(昭和59年)になると、米国メルクは資産管理子会社を通じて萬有製薬の株式を買い増し、出資比率を50%超として経営権を取得した。その際、日本メルク萬有(NMB)は萬有製薬に経営統合するかたちで清算されている。
2003年(平成15年)1月、米国メルクは萬有製薬(万有製薬)を完全子会社化する方針を発表、日本MSDが同月から同年3月上旬にかけてTOBを実施し、上場している萬有製薬の株式の80%以上の買い付けに成功した。翌2004年(平成16年)3月、日本MSDと萬有製薬が合併することで、米国メルク(メルクグループ)の100%出資の日本法人としての新生「万有製薬株式会社」が設立されることとなった。