MKウルトラ計画(MK-ULTRA[1]、MKウルトラ作戦とも)とは、中央情報局 (CIA) 科学技術本部がタビストック人間関係研究所と極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム[注 1]。
米加両国の国民を被験者として、1950年代初頭から少なくとも1960年代末まで行われていたとされる[2][3]。
1973年に時のCIA長官リチャード・ヘルムズが関連文書の破棄を命じたものの、辛うじて残されていた数枚の文書が1975年、アメリカ連邦議会において初公開された[4]。 MKウルトラの前身は、統合諜報対象局(Joint Intelligence Objectives Agency、1945年設立)によるペーパークリップ作戦である。この作戦は、かつてナチ政権に関与した科学者を募集する目的で展開され、拷問やマインドコントロールを研究していた研究者もいれば、ニュルンベルク裁判にて戦犯とされた者も存在した[5][6]。 アメリカ合衆国連邦政府が極秘裏に行った計画の中には、チャーター計画
概要
こうした中、朝鮮戦争での中華人民共和国によるアメリカ軍捕虜の洗脳が注目されていた1953年4月13日、アレン・ダレスの命を受け、シドニー・ゴッドリーブを先頭にMKウルトラ計画が始まった[7]。実験はしばしば被験者の同意無く行われ[8]、実験に関わった研究者でさえ「計画の最終目的を知らされてないこともあった」という[9]。
冷戦下の1964年には「MKサーチ」と改名され、自白剤を用いてソ連のスパイ容疑者を尋問する、アメリカ海軍では超音波を利用して記憶を消去する実験を行う[10]など、54のサブ計画が存在した。しかし前述の通り、1973年にヘルムズ長官が計画の記録の大半を破棄したため[1]、実験の全貌を解明することは、現在においても困難である[11]。 CIAの文書によると、「マインドコントロールの効果を立証するための実験」と称し、化学的かつ生物的な手段を用いたことに留まらず、放射性物質にも着手したことが明らかとなっている[12]。 自白を目的として、LSD[注 2]や他の薬物を、CIA職員や軍人、医師、妊婦、精神病患者らに投与する実験が行われており、薬物は常に被験者からの事前の同意なしに投与されていた。そうした行為は、第二次世界大戦後にアメリカが調印したニュルンベルク綱領に違反している。
実験
薬物